作品No06
焼け付いたアスファルトの上を重い足取りで歩く、安物のスニーカーのせいか酷く足が痛む。熱気で歪んで見える景色が殊更に辛さを煽って、俺は今にも倒れてしまいそうだった。 人相の悪さのせいでいくつものバイトの面接に落ち、最終的にたどり着いた警備員職。最初の頃こそただ立っているだけの大した事の無いバイトだと思っていたのだけれど、この仕事の辛さは想像を絶するものだった。 そもそも北国生まれの俺にとって、初めて経験するこっちの夏は洒落にならない。ただでさえ立ちっぱなしで暇を潰す手段の無い仕事の上、焼けつく日差しがじわじわと体力を奪っていく。 それに加えて労働環境も酷いものだ。 朝から晩まで仕事をさせられて、その上給料は安い。求人誌に載せられていた「日給一万円も可能」なんて文字は、下っ端の俺なんかには縁の無い世界だ。 バイトなのに残業は当然のようにあるし、残業代なんて缶ジュース代ぐらいにしかならない。 そんな給料でこき使われた上、現場の人間には文句を言われ、通行人には罵声を浴びせられる。 全くもってやってられない。けれど他にバイトの当ても無く、仕送りだけでは生活がままならない俺のような苦学生はこうして我慢しつづけるしかないわけだ。救いと言えば給料が日払いな事ぐらいだろう。 そうやってふらふらする体を抱えて事務所へと戻る。無線などの装備は現場が終る毎に返却しなくてはならないため、どんなに疲れていても直接家に帰るわけにはいかないのだ。 「お疲れ様ですー」 「あ、お疲れー」 心の篭っていない挨拶を交しながら、隊長の元へと急ぐ。 さっさと報告を終らせて、まずはこの汗臭い制服を脱いでしまいたい。そんな思いから少しだけ乱雑に装備品を返却する。 「三津の現場終了です、特に異常もありません」 「ん、ご苦労さん。ところで北見君、この後の予定は?」 少し力を込めて報告する俺に、何気なく隊長が問い掛けてきた。 気だるそうなその表情から察するに、恐らくは「自分はまだ仕事があるのに、君は帰れて良いなぁ」よでも愚痴を零す気なのだろう。 その事に少しうんざりとしてしまいながら、それでも返事をしないわけにはいかないので渋々と口を開く。 「いえ、特に何もありません。帰ってゆっくり休もうかと」 「そっか、んじゃあもうひとつ現場行ってくれる?」 だが予想に反して、隊長の口から出たのは信じ難い台詞だった。 尋ねているような口調ではあるものの、経験上これは拒否できない命令だ。一度断ったことがあるけれど、その時は一週間ほど仕事をまわして貰えなくて、危うく餓死しかける所だった。 「あの、俺七月からずっと休みが無いんですけど……」 「若いんだから平気だろ? それに今夏休みだし、余裕余裕。それにこの現場おいしいぞ、明日の朝五時まででなんと一万五千円」 遠まわしに断ろうとはしてみたものの、当然といった様子で押し通されてしまう。けれど隊長の告げた条件はかなり良いもので、少し心が揺れた。 「一万五千って……、本当ですか? 何か裏がありそうで怖いんですけど」 「いや、ちょっと遠い現場でな、山奥だから嫌がる奴が多いだけだ。なぁに、ちゃんと送迎はするから安心しろって」 どちらにしろ断れる訳もなく、俺は疲れた体を抱えて隊長の運転する車に乗り込んだ。 二時間ほどは車に揺られただろうか、着いたのはかなり寂れた様子の小さな山間の村。疲れのせいでうとうととしていたため道順を覚えていないのだが、都会からそう離れてはいない場所にこんなところが残っているというのが少し意外だった。 車から降りてみても特に工事などをしている様子も無く、警備員が常駐するような建物も見当たらない。 「隊長、現場はどこなんです?」 「ん、だからここだって。村の入り口な」 「何でこんなところを?」 「猪とか出るらしいぞ、まぁ滅多に無いらしいが」 隊長の言葉に思わず辺りを見渡す。周りを取り囲む木々のせいかやけに薄暗く、少し不気味に思える。猪ぐらいならいてもおかしくないと思える、そんな景色だった。 「んじゃあ頑張ってな、明日の朝には迎えに来るから」 「えっ、俺一人なんですか?」 「ああ、猪が出るって言ってもそう頻繁に起こる事じゃないしな。念の為でしかないんだ」 そう言って、隊長は車で走り去ってしまった。 まぁ一人で現場を任されるのが初めてと言う訳ではない、本当は拙いのだろうけど良くある事だ。それに実際そうそう何かが起こるような現場でもないのだろう、気楽に構えていても構わないのかもしれない。 そうと決まればまずは腹ごしらえでもと思い立ち、ここに来る途中で購入したコンビニ袋手を伸ば――そうとしたところで、車内に置き忘れた事に気が付いた。 焦ってはみてもどうしようもない、隊長が気付いて戻ってきてくれる可能性も薄いだろう。 財布の中身はそれなりに入ってはいるものの、この辺りにコンビニがあるとは思えないし見当たらない。来る途中で見かけた食べ物屋まで戻ろうにも歩いてでは一時間近く掛かるだろうし、何より現場を放棄していくわけにはいかない。 「どうしようもない、よなぁ」 「……どうかしましたかえ?」 行き着いた結論の絶望感に打ちひしがれていると、突然背後からしわがれた声が聞こえてきた。驚いて振り返ってみると、そこには一人の老婆が立っていた。 身長は俺の腰よりかは少し上と言った所、まぁ腰が曲がっているせいでそう見えるというのもあるだろう。皺に覆われて良くは見えないが、どこか優しそうな顔立ち。 こちらを興味深げに見詰める、優しそうな眼が印象的なお婆さんだった。 「あ、こちらの村の方ですかね?」 「そうですよ、お兄さんは何をしてるんですかな?」 大分歳を取ってはいるようだが耳は遠くないらしく、こちらの質問にも答える老婆。 繰り返してきた質問にどう答えたものか少しだけ悩んだ後、旅の恥捨ては掻き捨てと正直に答える事にした。 「いや、仕事でここの警備をする事になったんですが……弁当を忘れてしまいましてね」 「あれまぁ、そうかえ、それは大変じゃなぁ」 「ええ、まぁ一食ぐらい抜いても死にはしないですからね。我慢するとします」 少し強がるように笑おうとした所で、またしても俺の腹が大きな音を立てる。 「大きな音だねぇ、家でご飯食べて行くかえ?」 「……いえ、今日はここの現場は俺一人ですから、持ち場を離れるわけにはいけませんし」 中途半端な強がりを通しきれなかった気恥ずかしさもあって、折角のお婆さんの好意を思わず断ってしまう。 気を悪くさせてしまったかもしれないと思いお婆さんの方に目をやると、とても悲しげな様子でこちらを見ていて、何だか居たたまれなくなってしまった。 「あ、あの……」 「そうじゃ、ちょっと待っておりや」 言い訳をしようと口を開いた所で、お婆さんが突然声を上げて歩き去ってしまう。その矍鑠とした動きに口を挟む事が出来なくて、俺はとぼとぼと仕事に戻ることにした。 空腹と戦いながら仕事を続ける。仕事とは言っても特にやる事があるわけでもなく、ただ村の入り口で立ち続けるだけ。 何もする事がない分空腹をごまかせないのが辛い、二十分も過ぎる頃には余りの空腹に眩暈がするほどになっていた。 素直にご馳走になっておけばよかった、そう思いはするものの後の祭り。その内意識さえおぼろげになってきて――。 「お兄さん、お兄さん」 よっぽど断ったことを後悔していたのか、先ほどのお婆さんの声が聞こえてきたような気さえする。それどころかソースの香ばしい匂いまで――。 「お兄さん、いらないのかえ?」 「――え?」 どうやら幻覚ではなかったらしく、お婆さんが俺の手を引っ張っている。傍らに置かれているお盆の上に目をやれば、数個のお握りとジャガイモの炒め物が載せられていた。 「これならここで食べられるじゃろ? たんとお食べ」 「あ、ありがとうございます。いただきます」 御礼の言葉もそこそこに、貪るように食べ始める。少し震える覚束ない箸でジャガイモを口に運び、もうひとつの手でお握りを頬張る。 焦ったせいかご飯が喉に詰りそうになってしまう俺に、お茶を渡しながらお婆さんが笑う。 「そんなに焦らんでも、誰も取らんからゆっくりお食べ」 「は、はい」 受け取ったお茶を一息で飲み干してから、また食事を再開する。ただし今度はゆっくりと味わうように。 塩で握っただけの簡素なお握りに、味付けはソースだけのジャガイモの炒め物。 |
8点(25点満点)
・この後どう怖くなるかがわかるまで判断は保留
・これからって所で…w
・みかん、ですよね?
・文章量が多いけど、前フリで終わっているのが…… このおばぁちゃんが幽霊なのかも解らず仕舞なのが残念