作品No06


 熱く、湿った風が吹き抜ける。入道雲はまるで天の城塞のようにそびえ立ち、まばゆく輝く太陽を覆い隠す。
 街で一番高い丘。その頂上に立って、僕は頬を切る風に目を閉じる。




  〜空へ〜




 「空に行きたい」と彼女は云った。








 彼女が窓ガラス越しに見る空は、一体どんな風に見えたのだろうか。
 それは何処にでもあって、何処からでも見えて、だけど決して届かない遥かな天の高み。
 近くて遠い。そんな形容がピッタリな『世界』
 僕は何処からでもそれを見て、感じて、触れた気になっていたから、彼女の眼差しの向こうは何の変哲も無いいつもの景色に見えた。
 だけど、彼女には多分違う『世界』が見えていたんだろう。
 だってほら。
 目を閉じて浮かんでくる、空への憧れを語る彼女の瞳は、こんなにも輝いているのだから。








 「私は空に還るんだ」と彼女は笑った。
 それはとても綺麗な、透き通った微笑みだった。








 彼女はいつも、窓際で陽の光を浴びながら本を読んでいた。難しくて本の内容はよくわからなかったけど、唇を緩めながら字を追っていく彼女は、とても楽しそうに見えた。
 僕もそんな彼女のそばに立って、一緒に太陽の光をその身に受けるのが好きだった。
 本を読むのに飽きたら、彼女は僕に空の話を聞かせてくれた。
 真っ白な部屋に閉じ込められた彼女には、それくらいしか楽しみが無かったのだろう。だけど、いつも嬉しそうに物語を紡いでいた。
 だから、僕も彼女が話す『空の物語』が大好きだった。








 「私の空への憧れって、多分、恋に似ているような気がする」と彼女は呟いた。
 その時の彼女は、何故か、僕には寂しそうに見えた。








 夕日が窓から差し込む時間になると、僕は自分の家に帰る。
 僕の家はここから少し遠くて、このくらいの時間に帰らないと、暗くなるまでに着けないから。
 彼女もそれが判っているのか、時間が近づくと少しずつ寂しそうな表情に変わって行く。
 僕はそんな彼女の表情を見たくなくて、一生懸命おどけてみせる。すると彼女は少し寂しそうに、でも少し嬉しそうに笑ってくれる。
 だからいつも、僕は彼女の家を出るときに願う。「またね」って手を振ってくれる寂しそうな笑顔に。



 「明日は、きっと心から笑ってくれますように」
 








 「私、空に行きたいよ……」と彼女は泣いた。
 この間まで笑ってくれてたのに。
 いや、彼女は『笑って』なんかいなかった。だって、彼女の透き通った笑みは、

 ―――本当に、透明だったのだから―――








 ざあざあと雨が地面を打つ中、濡れるのもかまわずに彼女の部屋に向かった。
 それが僕と彼女を繋ぐ『約束』だったから。だから僕は一生懸命急いだ。
 びしょ濡れになった僕を、彼女は驚きながら部屋に入れた。
 タオルで僕の身体を拭きながら「約束、こんな時でも守ってくれるんだね」と嬉しそうに云った。
 「だって約束だもん」と僕は云う。だけど彼女には伝わらない。それでも良かった。彼女が笑ってくれるなら。
 今日は本を読まずにいた。物語りも話さずにいた。
 一日中ふたりで曇り空を見上げていた。
 「空って、いつも青いわけじゃないよね……」
 窓越しに濁った空を見つめながら、彼女はぼんやりと呟いた。

 僕には、彼女が泣いているように見えた。









 「さよなら」と彼女は云った。涙を流しながら微笑んで云った。
 多分、これが彼女の『本当の笑顔』なんだろう。だって、こんなにも綺麗で、こんなにも悲しいのだから。




 ―――そして彼女は、息をするのをやめた。









 熱く、湿った風が吹き抜ける。入道雲はまるで天の城塞のようにそびえ立ち、まばゆく輝く太陽を覆い隠す。
 街で一番高い丘。その頂上に立って、僕は頬を切る風に目を閉じる。
 瞼の裏には彼女がいつものように微笑んでいた。遠い遠い、安らかな日々の幻。
 


 彼女が「またね」じゃなくて「さよなら」って云った時。彼女が憧れていた空へ還った時。
 僕は、生まれて初めて涙を流した。


 
 びゅうっと、一際強い風が丘の上を吹き抜ける。
 この風のたどり着く場所は一体何処なんだろう。僕も見たことの無い青の向こう。誰もたどり着けなかった空の果て。
 ただ一つ言える事は、


 ―――この空の向こうで、彼女はきっと待っている。


 僕は丘の上から一気に飛び上がった。羽根を散らし、翼を翻して。
 風を捉える。彼女の住んでいた街がどんどんと小さくなる。
 ふと見下ろすと、彼女が住んでいた真っ白な建物が、まるで雲のようにゆらめいていた。

 もうあそこに彼女はいない。僕はしっかりと前を見据える。
 
 さあ、行こう! 
 青く霞む地平線の向こう。彼女が憧れた世界へ!

 僕は一声鳴くと、思い切り翼で風を叩いた。
 
 

 届け! 青の彼方へ! 彼女の下へ!
 舞い上がれ―――空へ!!



総合得点

31点

寄せられた感想

・間違いなく全体で最高の出来。文章の統制も良く取れている。

・いいんだけど何かが足りない気がした。よく分からないから「何か」なんだけれど。その分を引いてこの点数です。

・青春。(ぉ

・情景は浮かび易い、わかりやすい話だと思います。もう1押し欲しい感じがするかな。

・うん。活力に満ち溢れていて、読んでても爽快になれますね。!の使い方が旨いし、さぁ!って決意が伝わってきそうでよしです。



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