Les yeux fermes …目を閉じて |
「あら、橘さん、今日は愛用の万年筆じゃないんですね」 お茶を運んできた女子社員が、ふと直江の手許に目をやり、どうしたんですかと訊いてきた。 「昨日から見当たらなくて…仕方ないので、今日はボールペンです」 「大事にされていたのにね。でも、失せモノって案外、忘れた頃にひょこっと出てきません?」 「そうだといいんですか…」 直江は曖昧な笑顔を浮かべた。 「万年筆なんて、最近は珍しいですしね。 落し物BOXに入っているかもしれませから、フロアメンテにきいておきましょうか」 「お願いします」 直江に軽く頭を下げられ、女子社員はほっと頬を赤らめ踵を返した。 窓の外は、梅雨とは思えぬ明るい陽射しが溢れている。 ブラインドの影がちらちらと床で踊る、気だるい平日の午後。 ふと気を緩めると眠気がきそうだ。 普段ならこの時間は顧客へと出向く事が多いだけに、体がどうにも勝手が違い落ち着かない。 直江は溜まった書類を一掃すべく、持ち慣れないペンを片手にデスクに目を落とした。 最近、どういうわけか直江は失くしモノが多い。 それも長年、愛用していたものとか、大切なものとかだから困ってしまう。 色柄が好みだったハンカチ。 旅行先で買った、高耶さんとお揃いのスプーン。 滅多に使わなくなったけど、手馴染みの良かったライター。 万年筆は社会人になった時、兄が贈ってくれたものだった。 さすがに、これは少々、心根が痛い。 「高耶さん、部屋には落ちてなかったですよね」 「朝、片付けた時には、見なかったぞ」 夕食の洗い物をしながら、高耶が背中で答える。 本当を言うと、こういうエァポケットのような時間が、直江は苦手だ。 こちらは寛ぎタイムだというのに、高耶には何かしら家事の始末がある時間。 高耶にお三度をさせるつもりは、さらさら無いだけに、直江はいたたまれない。 せめて、食洗器を使ってくださいとお願いしても、高耶は癖なのか自分で洗ってしまう。 ザァァと流れる蛇口の音が耳につく。 せめて手伝わせて欲しいと思うのだが、手早い恋人は口を挟む余地がない。 軽く肩をおとし、直江はテーヴルの新聞を広げた。 相変わらず、景気のいいニュースは少ない。 世界は不安定なシーソーを続け、日本の社会も混濁気味だ。 「あっちは……大丈夫なのか?」 始末を終えた高耶が、直江の横にすとんと滑り込んだ。 「中東は相変わらずのようですが、中国まではね……」 「ふぅん」 高耶の身体が寄って、直江の肩に高耶の頭が乗った。 沈みがちな表情と、溜息を堪えた唇。 珍しく甘えた仕草の高耶。 これも最近、増えた。 直江は何も言わず、片手を高耶の身体に回した。 「三週間なんて、すぐですよ」 「………」 「7日間1クルーを3回繰り返すだけです」 「どういう考え方だ、それは…?」 高耶の口許が軽く歪んだ。 「寂しいかもしれませんが、私が居ないのを幸いにと、千秋や譲さんが泊まりにくるようですし、 きっと賑やかですよ」 直江の中国出張が決まったのは先月のこと、全くもって予定外の出来事だった。 1ヶ月というのをごねて、何とか三週間まで縮めた。 「ガキじゃあるまいし…寂しいなんて言ってねぇよ」 「おや、そうですか。私は、寂しくて堪りませんね、高耶さん。いっそのこと、高耶さんも連れて 行ってしまいましょうか…」 「ばぁ~か」 高耶が直江を見上げて、呆れたように眉を寄せた。 「おまえが言うと、シャレにならんから止めろ」 苦笑いだが、やっと笑みらしいものをのぼらせた高耶に、直江はほっと安堵した。 「お土産と写真0いっぱい撮ってきます」 「うん」 「いつか、二人で行ってみましょうね」 「…うん……、って、おい、この手は何だ?」 背中や腰を撫で下ろす不埒な手を、高耶は掴んだ。 「マーキング」 「はっ?」 瞬時に、意味を理解して高耶は赤面しつつも、両腕は直江の背中にしんなりと絡まった。 「見えるトコは禁止」 「………はい…」 高耶の顎に手をかけ、そっと上をむかせてキスを一つ。 唇をほんの一瞬触れ合わせ、すぐに離した。 えっ?と拍子し抜けしたような表情が、何とも可愛らしい。 高耶はちらりと上目遣いで直江を見上げた。 途端に、今度は激しい口付けを直江は落とした。 痛いくらいに吸われて、高耶の口が僅かに開く。 お互いの舌が触れ合った瞬間、電流が走ったみたいに高耶の体が直江の胸にくずおれた。 「…ここじゃ……いゃ…」 「そうですね…」 高耶の身体を抱き上げ、額に軽く唇を寄せ、直江は寝室へと向かった。 軋むベットの下の小さな秘密を、直江は知っている。 中身はなくしたモノたち。 先月から、高耶が一つ、また一つと隠した。 寂しいことを、さびしいと素直に告げられない恋人のささやかな代償行為。 自分がいないしばしの間、高耶はこれらの物を、きっと切なげに愛おしむのか。 「……ぇ…」 縋りつく腕を肩に廻してやりなが、直江もきつく高耶の身体を抱きしめる。 言葉にさえならない沈黙が、さみしいと漂う。 お前のことしか見たくないと囁く声。 ずっと、ずっとそうだからときつく閉じた目蓋の裏から滲み出る熱い雫。 直江は舌先でそっと水滴を絡めとり、身体を沈めた。 |
コメント とあるイラストCGに閃いて書いたものです。 高耶さんが乙女モードなのは、見逃してください(苦笑)。 タイトルはフランス語。で、フランス人歌手のアルバム収録曲から。 |