浅き夢




幸せですかと問うてみた。

夢だから幸せだと、答えるあなた。

そう言いながら笑うあなたが、とても遠くにいる気がして唇を結んだ。

・・・どうして夢だなんで言うの?

・・・だって、幸せ過ぎるのだもの




高耶さんと二人で暮らし始め、時がゆっくりと積み重なる。

朝、一番に挨拶をかわす。

夜の静寂(しじま)に相手の寝息を聞く。

休日の午後、二つ並んだ珈琲の湯気が交わる。

だが、ささやかな時間の中に浸りきれない自分がいる。

幸福という衣を纏った穏やかな時間が流れるほと、不安という名の水音を感じ

てしまう。

それはいつもという訳ではない。

丁度、栓の緩んだ蛇口の水滴のように、ポトリポトリと滴り落ちている。

そんな掌で掬えるほどの不安が、私を苛む。

いつか、この手から水は溢れ出し、私はそれを止める術もない。

最近、高耶さんがとても綺麗になってきた。

見てくれの美醜レベルとは違う。

何と言うか、そう、とても透明になっている気がする。

白ではない。

透明なのだ。

レベルの差はあれ人が生きていく上で生じる、エゴや醜さなどの負の部分

がこそげ落ちているような感じだ。

それを上手く言い表せず、結局、陳腐な言葉しか出てこない。

「あなたが、綺麗だ」と。

「馬鹿言ってんじゃねぇよ」

目の縁をほんの少し赤くして呆れたと言わんばかりに、彼が睨む。

「どこがどう綺麗だって言うんだ?全く、壊れたレコードみたいに繰り返

しやがって・・・・」

「全てですよ・・・」

髪も瞳も唇も・・・。

手の指爪から足先まで、前も後ろも、どこもかしこもが。

「でも、一番、綺麗なのはココですね」

「ここ?」

彼がきょとんと、私が指差した自分の胸を見詰た。

「あなたの心が、一番、綺麗です。哀しいほどに綺麗で、私は何も言えな

くなってしまう・・・・・・」

「・・・・・・やっぱり、おまえは馬鹿だ・・・・・・・・」

頬を赤らめ俯く彼。

いつもと変わらないやりとりにも、ポトンと一つ水音がした。




不安が昂じると、ふっと考えこんでしまう。

このまま彼が透明になり続けたら、どうなるのだろう。

やがて光に溶け、風に乗り、跡形もなく霧散してしまうのだろうか。

人は物の形を記憶することによって生きているから、形ある物を亡くすと

いう事はとても恐ろしい。

形の消滅は、存在という記憶もたやすく消去してしまう。



   あなたは、誰ですか・・・。
   おまえは、誰だ・・・・・・。
   Who are You・・・・・・・・・.



等と、問う事さえなくなるのだ。

だが、この時間が現実だという確証がどこにあるのか。

もしかしたら、彼の言うとおり夢の産物なかもしれない。



   夢だから幸せと、彼が笑う。
   夢だから辛いと、私は背中を向ける。



夏の暑い午後。

マンションのルーフガーデンに据えられたデッキチェアに、高耶さんは身

体を沈めていた。

眼下の街も、空も、この空中庭園も太陽(ひかり)の渦に巻き込まれ溶け

たバターのようだ。

リィーンと何処かで空気を震わす、風鈴の音。

まどろむ彼を起こすのは躊躇われた。

彼の黒い瞳が私を見詰た瞬間、「これは夢だ」と告げられ彼が消えてしま

いそうで恐かった。

そんな私を嘲笑うように、風鈴の音は風に乗り届いてくる。

浅き夢なら夢のまま、目覚めなどいらない。

私たちは、夢の住人だから、二人でここに居る。

浅き夢に抱かれながら。




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コメント
お題「君は誰」
ひねりも効かさず、そのまま使用・・・。
本当は風章に揚げる短編のつもりで書き出したものですが、「30題」
のテーマにハマる箇所が出来たのでこちらに揚げました。
直江サイド、私小説風。
わざと避けていた面もあるのですが、一人称文章は短編向きで書きや。
すいです。SS用にはいいかも。

状況説明をわざわざ入れるのがうざったいので入れてませんが、高耶
さんが天日干しになってる訳じゃありません。
ちゃんと屋根か何かの陰に居ると思ってください。
溶けそうな陽射しで寝入ったら、ローストどころか火傷しちゃて大変
ですものね。