スカボロ・フェア





秋の夕暮れの少し肌寒い時だった。

空は日増しに高くなり、薄茜色に染まったいわし雲が夕映えの中、きらきらと輝く。

ねぐらへと戻るのか、烏の鳴き声が一つ、また一つと響き渡る。

夕餉の支度の匂いがし、自転車で家へと急ぐ学生。

どこにでもある普通の住宅街。

初めて訪れた町のある通りを、私はゆっくり歩いていた。

なぜそこに足が向かったのか解らない。

たまたま近くに寄ったからか。

それとも、何度も何度も自分がそこを訪れた姿をシュミレーションしていたからか。

磁力に引かれた蹉跌のように、私の足は一軒の家の傍近くでとまった。

古いモルタル造りの小さな家。

外壁の吹付けは薄く黒ずみ、お世辞にもこの家に余裕があるようには見えない。

それでも雑多な印象を持たないのは、家の周囲がきちんと整えられ、質素でも人の目がきちん

と行き届いているのを感じさせるからだろう。

猫の額ほどの前庭には、手入れの行き届いた草花が見事な垣根に仕立てられているのが、どこ

か微笑ましく、慎ましい。 残念ながら、その草花の名を私は知らなかった。

オフィスの飾り花や、私の住まいで見かける艶やかな花々とは趣きが全く違っていたからだ。

どちからかと言えば、雑草の類に近い感じだ。

花は可憐で小さい。

数種類の葉が重って列をなして、低い壁となる。

私の前に引かれた、緑の境界線。

踏み分けてしまえば他愛もない線は、それでも私とあちらをはっきり区切っている。

来る気の無かった場所で、私の足は縫いとめられたように動かない。

と、玄関のドアが開いて少年が一人出てきた。

彼は物陰の私に気付くことなく、庭を見回し空を見上げた。

そして庭の隅にある蛇口からホースを引き、庭に水を撒き始めた。

真っ黒な髪とまだ日焼けが薄く残った肌と、眦がすっと上がった瞳が印象的だ。

背筋がすっと伸び、彼の歩みは大気の層を泳ぐように滑らかだった。

確か今年で十五。

どちらかと言えば細身の体は、これからも育つ若木のしなやかさを備えている。

あぁと、私は思った。

彼は、似ている・・・・・・。

アルバムにあった数少ない、義父の若い頃の、セピア色の写真。

あの写真が有していた義父の風貌と少年は、見事なほど似通っている。

血とは、こんなにもはっきりと受け継がれていくものなのだ。

羨ましい・・・・・・。

私の裡に湧き上がる羨望と嫉妬。

どれだけ私が望んでも、決して得ることの出来ないそれを、彼はもう既に持っている。

当たり前の事実に、私は打ちのめされる思いがした。

少年の口元が動いている。

何かと話しているような、唄っているような動き。

私は彼を凝視る。風にのって、途切れながらも歌のような旋律が私の耳に届く。

・・・・・・日本語・・・・では無い・・・・・・英語か?



"Are you going to Scaborough Fair?

parsley,sage,rosemary and tyme

Remember me to one who lives there

She once was a true love of mine"



何度も繰り返されるフレーズと口元を、あやふやながらも追い続けて、やっと解った。

スコットランドの古い民謡で、60年代にフォークソングとしてヒットした曲の最初の部分。

それだと解った理由は、もう一つ。

義父もこの曲が気に入っていたらしく、たまに、本当に極々たまに口ずさんでいたからだ。

寝る前の、ほんの一時の寛いだ時間とか。

仕事の激務の間に、つと空いた時間とか。

遠い目をして、懐かしむようにぽつぽつと歌っている事があった。

お好きですかと私が問うと、忘れられない人が好きだった歌だと言っていた。

仕事一筋で、結婚もせず、近い血縁者も殆どいない義父。

還暦を過ぎてなおかくしゃくとし、己に厳しい彼にもあったのだと推測された、昔のロマンス。

ふと、歌が止んだ。

私の視線を感じたのか、少年が私を薄闇の中から見つめている。

見ず知らずの人と視線が交わったことで、彼は少し動揺しているようだった。

それは、そうだろう。

私だって、自宅の庭先に知らない人が立って自分を見ていたりされるのは、気分のいいもので

はない。

だが彼の瞳に、何故か警戒感や不快感は無かった。

彼の白いシャツが、夕暮れの中で不思議なほど白く光る。

風が二人の間を通り抜け、緑の葉がゆれる。

何か言わなくては・・・・・・。

気持ちは焦るのに、声が出なかった。

ためらいがちに見上げる瞳が、私の言葉を奪ってしまったように。

「家に何か用ですか・・・・・・?」

シャツと同じくらい白く、並びのいい歯が見えた。

サァーとホースから溢れる水音が、夢の中の雨音のように耳の奥で響いていた。

緑のボーダーライン。

白いシャツ。

暮れなずむ景色の中で、佇む彼の姿。

目を閉じても、それらはすぐに記憶の底から浮かび上がる。



「・・・にナニかヨウですか?」



透明な水飛沫のように燐とした彼の声が、今も忘れられない。







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コメント

09と設定続きで、時間軸は前になります。
が、順番としては09⇒08で読んで貰った方が、作者としてはいいです。
直江視点の独白文タイプ。・・・暗っっ・・・・・・。
多少、高耶さんとの関係を匂わすようにしましたが、解りました?
作中で、高耶さんちの庭にある草花はハーブ。
サイモン&ガーファンクルの曲で有名な「スカボロ・フェア」は、
スコットランド古謡を彼らがリメイクしたものです。
通しで聴くとナンセンスな歌詞が連続していて、意味不明ですが
哀調を帯びた旋律は、本当に綺麗。
もとは謎掛けの魔除け唄だったらしいです。
IRISH HARPの曲としてもスタンダードで、まゆは大好き。