シジフォスの風穴




世界の果てにたった一人で佇んでいる気がして仕方無いんだ・・・



かたかたと夜風の音に震える窓を聞きつけ、「こんな、風の日は嫌いだ」と高耶さんが

言った。


週末をゆっくり過ごそうと、二人が訪れた高原の貸ログハウスはこじんまりした山小屋
風の造りになっていた

窓も今では珍しい木枠のはめ込み式。

屋根裏には円形の小窓がついていて、

彼は「ハイジの窓みたいだ」と喜んでくれた。

「ハイジ・・・ですか・・・」

「えっ?おまえ、知らないのか?」

ピンとこない私を揶揄(からかい)ながらも、彼は丁寧に説明してくれて他愛ない話で盛

上がって笑いあった。


山の天気は変わりやすい


夕方から風の流れが速くなった。

カタカタカタ・・・・・・

  駄目だなぁ、こんな風はいけない

猫のように彼が全身で緊張する

  この風は心の底へと吹いている
  よぅく聞いてると、風が全てを支配して世界の果てにいる気がしないか・・・・・・
  直江・・・・・・
  見ろよ、ご丁寧に雨まで降り出した・・・・・・


いつも風に向かって毅然と立っている彼がと、意外な思いでいると「俺の心には『シジ

フォス』の風穴が開いている気がするから・・・」と小さく続けた。

シジフォス、正しくはシーシュホスはギリシャ神話でタンタロスと並らぶ、一種の無限

地獄の代名詞だ

シジフォスは山頂へ大岩を運ぶのだか、岩は運んだそばから転がり落ちてしまい、彼は

何度も運ばねばならない定めを負っている。

急にどうしたのですかと、寂しそうな彼を宥めるよにう訊いた。

わざわざフランス語の発音で言うからには、

「それは、カミュ・・・の論文ですか?」

「うん、今、大学の講義で取上げられているんだ」

よく知ってるなと感心したように、高耶さんは私を見た。

先刻の穴埋めをした気分になって、私は苦笑を禁じえない。

「埋まらない穴が開いてるんだ、きっと・・・。だから、いつも足りない足りないって風が

吹いてくる」

何のなどと、愚かなことは問わない。

彼が誰にも見せない見せられない心の裡を、私にだけは曝け出してくれるのが嬉しくて

彼の痛みが私の喜びにもなる矛盾を痛感してしまう。

足りないと請う彼と、もっとと願う私と、表と裏のように私たちは似ている。

幸せそうに笑う彼を愛おしいと思う分だけ、悲しみに暮れる彼もまた愛おしいから。

私の欲深さも、また無限なのだと思い知る。


「聞こえないようにして」と彼が言う。

「こんな寂しい音は嫌いだ」傷ついた小鳥の羽のような声。

私の手の内に、啼く彼をそっと両腕で囲い、貝殻のような耳に囁いた。



「愛してます」


あなたの風穴は、私が雨になってふさいであげる。

決して途切れる事のない黄金色の雨になって、風の音などしなくなるまで、あなたに降

り注ぎ続けてあげるから。

「ずっと?」

「えぇ、ずっとです。あなたが、いらないと言ってもです」

「俺は・・・、ずっとなんて永遠なんて信じてない。信じてないけど」

確かなものなら・・・

「知っている」と微笑んだ彼がとても鮮やかで、羨望さへ覚えてしまう。

あなた風穴を黄金色の雨で満たせば、いつかは溢れ出し川となって流れ出し、海へと辿

り着けたなら、そこが二人の楽園





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コメント
お題は「雨」
雨は涙と重なって、イメージ的にどうも暗くなり勝ちだったので「幸せな雨」
を、まゆなりにイメージしてみました。
モチーフにギリシャ神話を選択。
"飢え"という意味からいえば、「タンタロス」の方が向いていたのですが、
カミュを引用したかっので「シジフォス」を持ってきました。
直江のインテリ具合もを出したかったしね・・・(苦笑)

まゆにしては珍しく、直江サイド一人称。
この書き方、思ったより楽でした。癖になりそうです。

最近、風で窓が鳴るという風景に出会いません。
アルミのサッシに隙間風など殆ど入らないガラス窓。
そんな窓で鳴る訳がないですよね。
でも昔の日本家屋は鳴ってました。
カタカタカタ・・・・って・・・・・・・。物悲しい音がしてました。
自然な音がどんどん減ってきているのは少し悲しい事だと思う今日この頃。