碧空 −9−






翌朝も、綺麗に晴れわたっていた。

高耶の寝室にも、きらきと日の光が差し込んでいる。外では鳩が穏かな鳴き声で、朝の訪

れを告げていた。

高耶は素足で窓に近寄り、潮の香りをいっぱいに吸い込む。

人気を感じて下をのぞくと、直江が海を見ていた。

鳶色の髪が風に踊る。

高耶の視線に直江が上を向いて笑いかけた。

「お寝坊ですね、早くおりてきて下さい。朝の仕度も出来てます」

高耶は腕を組んで窓枠にもたれかかった。

「こんな素晴らしい朝に、ばたばたするなんて…何か嫌だと思わない?」

「すぐに降りてらっしゃい。さもないと、捕まえに行きますよ」

冗談めいた脅かしを、楽しんでいるみたいだ。

一瞬、相手の挑発に乗ってみたい誘惑を感じる。

高耶の心動きは百も承知とはがりに、直江の瞳が光った。

不意に直江の足が一歩動く振りをする。

高耶は弾けたように笑った。

「いいよ、降りていくから」

「賢明です」

キッチンに下りていくと、直江のいう通り、もうすっかり朝食の用意ができていた。

コーヒーのかぐわしい香り。

よく焼けたベーコンの匂い。

自分の席につこうとすると、直江が高耶のシャツの袖から出た腕をそっと押えた。

「?」

高耶が驚きを浮かべ振り向いた顔に、直江の顔が近づいた。

頬をかすめる直江の唇。

高耶は頬を火照らせたまま腰をおろした。

今のキスが嫌だったわけではない。

お手軽な感じに見られているのかと、心配になったからだ。

一昨日からの知り合いという言葉が嘘のようだ。

妙に心が引き寄せられる。

常識という枠がはずれてしまい、少しももとに戻らない。

「ドライヴしましょうか」

食後のコーヒーを口にしながら、直江が提案した。

「どこへ?」

滅多に車などに乗ったことがない。

あの、濃紺の綺麗な車を駆るなんて……。

考えただけで、高耶はわくわくしたきた。

「どこでも。島はあっと言う間だから、向こうに渡りましょう。気の向くままに走って、

どこかに行き着いてみるのも一興でしょう?」

高耶がドアを振り返ったのに気付いて、直江は柔かく続けた。

「お兄さんなら気にしないですよ」

直江の言い様に微妙な親しみを感じて、高耶は戸惑った。

さすがに名前を呼ぶことはないが、時折、直江の口調は兄に対して友人のような響きを持

つ。

高耶の戸惑いを不安と受取ったのか、直江が探るような視線を高耶にあてた。

「どうしました、嫌ですか?」

さっきとは違う素っ気無い言葉が、ちくりと胸を刺す。

高耶は慌てて大きく頷いた。

「行くっ!」

車をフェリーに乗せて、隣島に渡りそこから橋づたいに本州へ向かった。

選んだ道は高速道路ではなく、海岸沿いの幹線道路。

時間帯が丁度よかったのか、田舎の道を滑らかに車は走った。

一定のスピードで流れる、長閑な田舎のたたずまいを見やりながら、高耶は直江がこの海

岸線に詳しいことに驚いていた。

思いがけない近道をとったり、側道に入ったかと思うと、辺鄙だが灯台のある風情漂う場

所に出たり、直江は地図やナビも頼らず車を走らせる。

と、直江が時間を確かめた。

「少し早いけど、お昼にしましょう。穴場で通好みの静かでいいお店があるんです……」

心地よい沈黙が二人を包む。

さわやかな潮風と穏かな陽射し。

それだけで、満ち足りた思いがした。

直江が口を開かないのは、もとが寡黙なのか話題が浮ばないのか……。

高耶と一緒にいるのを心から楽しんでいるようだが、時折、高耶の様子を確かめては一人

微笑んでいる。

話題が直江のプライベートな部分に触れそうになるのを極度に気遣いもする。

何が不味いんだろう…?

身を隠しているとか……でも、何から?

ふと垣間見る、直江の暗い気配に計り知れぬ内面を見る思いの高耶だった。

「島での滞在はどのくらい?」

砂利を敷いた車寄せに駐車して、ブレーキを引いた直江に高耶は唐突に尋ねた。

ハンドルに置いた手が、ぎこちなく強張った。

「まだ、決めていません。事と次第によりけりでしょうか………」

「事と次第?」

直江が答えを探すように、高耶の目を覗き込んだ。

「いくつかあります……」

物憂げな答えだった。

高耶に何かを期待しているが、高耶は何を応えればいいのかわからない。

それでもと口を開きかけたが、直江のよそよそしい雰囲気にそのまま口を閉じた。

小高い丘の中腹にある店は小さめだが、窓からの景色が海を見渡せ素晴らしかった。

少し回り込んだ場所に建っているめため、下の車道からだと、ここに店があるとは気付

きにくい。

白漆喰と黒い飾りアイアンが印象的な、南欧風の店構えだ。

オープンテラスの片隅で、OL風の若い女が二人お茶をしている。

高耶たちも眺めの良い場所に席をとり、ランチを注文した。

お通しのコップの氷が、からんといい音をたてた。

店内の枝葉と小鳥が数羽描かれた壁紙が、珍しい。騙し絵風な感じだ。

どことなく見覚えがある気がして、高耶はそれをじっと見詰た。

「どうかしましたか?」

「あの壁紙……どっかで見た気がする………」

「そうですか?」

直江は肩を竦めた。

「日本だと白一色の壁が多いですが、洒落たカフェタイプだと時折見かけます。ヨー

ロッパ田舎風インテリアだと普通ですよ」

「直江は外国にもよく行くのか?俺、小さい頃に一度だけしか行ったこと無いんだ。で

も小さすぎてよく覚えてないし…。兄さんたちは仕事の関係で何度もあるし、母さんも

留学してた経験があったからなぁ」

母のウィーン留学時代の話を聞くのは、高耶の楽しみだった。

島から見れば世界はとてつもなく大きく広く、見果てぬ夢の場所に思えた。

生き生きした高耶の表情。

上気した頬や、目の輝きが高耶の

「高耶さん、すこし興奮しすぎですよ」

子供を宥めるような口調に、高耶は唇を噛んだ。

高耶は喜怒哀楽がはっきりしているし、周囲の状況にも過敏だった。

芸術に携わる者にとって感受性豊かなことは良いことだが、溺れすぎるとただの自己満

足になってしまう。

冷静さが必要だと、師匠の綾子にもよく注意されていた。

食事が済むと直江は映画でも観ようと言い出し、郊外型の映画館へ車を走らせた。

近くには整備された公園や趣味いい美術館もあり、最近、人気の場所だ。

郊外とはいえ開発が進んでいるせいか、車の流れが悪くやがて渋滞につかまってしま

った。

少しずつしか進まない上に、脇道からも車が入ってくる。

「これは抜けるのに、少々かかりそうですね」

直江の方に横向きになり、シートの背に頬杖をつくと高耶は笑いかけた。

「全然気にしないよ、島には渋滞なんて絶対ないから、かえって面白いぐらいだ」

不思議と高耶は幸せだった。

今、こうしていること以外、何も気にならない。

お互いの唇が、ごく自然に触れ合った。

もう何度目だろう……。

不自然さを感じないキスは、滑らかな和音のようだった。












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コメント

BLパロで同性同志のキスを不自然がってはいけません。
お話が進まなくなってしまいます(沈・・・苦笑)
リアルっぽく装ってはいても、あくまでファンタジー。
ここまで割と穏かにお付合い(?)してきた二人ですが、
次回から多少嵐の予感。

…うーん、でも、まだ局地的大雨程度かも……