碧空 −8−






直江は素早く起き上がると、高耶に手を差し出した。

そのまま引っ張り上げられ、直江は高耶の横に並んで立ったが、そのまま手を握って

いる。

「焼けましたか?薄いサーモンピンク色になってますよ」

「陽射しが強いとすぐ赤くなるんだ。少しだけ、光アレルギー?みたいなのがあるせ

いだってさ……。女の子みたいで嫌なんだけど」

「大丈夫ですか?」

「うん、このくらいなら平気」

「頬も美味しそうな色ですよ」

直江は高耶の頬をそっと撫でた。

ほとんど下りのせいで、帰りは行きとは比べ物にならないくらい速かったが、それでも

村まで三十分ほどはかかっただろうか。

関所のたばこ屋さんの前を通りかかると、鈴木さんは兄用の経済新聞を手にして出て

きた。村の広報誌(彼女のボランティアだが)もしっかり一緒だ。

喋り足りない鈴木さんをやっとのことでかわすと、二人は別荘に向かって歩き出した。

「趣味と実益もかねてけっこうだとは思うけど、村の皆はコレを読むんですかね?」

「ワイドショーや週刊誌と一緒だよ。これには皆が一番興味があることが、ちゃんと

書かれているんだもの。遠くの芸能人より、近所のゴシップ。そうだな、例えば、旦

那と喧嘩した前田さんの奥さんが、納屋に夫を一晩閉じ込めた話とか。痴呆気味の関

口のお爺さんが夜中に突然、畳の上で田植えを始めてしまった話とか……。大井さん

の奥さんが岡山の実家に行ったきり戻ってこないのは、本当は、駆け落ちしたんじゃ
ないかって……」

「それはまたっ!」

直江は声を上げて笑った。

「それにしても、どうやって調べるんでしょうね。どれもご当人達はなかなか口にし

ないと思うんですが」

「それが一番の謎。誰もわからないんだ。当て推量か創作なのか…」

「静かな村でも、探せは随分スキャンダルがあるものですね」

「静かでも、それなりに……ううん、静かなだけに余計、ゴシップはあるんゃないか

な。結局、人の数だけ人生があるんだもの。氏照兄さんは出任せだって言うけど、俺

は、そうだとは言い切れない気がしてる」

二人は木戸を開けて、そっと寄りそうように家に入った。

「高耶さんたちのことは何か、ねつ造されたりしないんですか?」

高耶は、はっと直江を振り返った。

「どういう意味だ?」

逆光になり、直江の表情が、はっきりわからない。

「どういうって…高耶さんの方がよくわかっているでしょう」

高耶は眉をひそめた。

「鈴木さんは、本人には何も言わないから、何を知っているのか、こちらには殆ど
伝わらないんだ」

台所に行くと氏照が二人を妙に緊張した面持ちで、待っていた。

「ただいま」

努めて明るい声で、何も気付かない風に装った。

数秒間、高耶を探るように眺めて、氏照はやっと笑みを浮かべた。

「山は気持ちよかったみたいだな」

「楽しかったよ、お弁当はほとんど直江が食べたけどね……」

「高耶さんも、フルーツやクラッカーとか口にしたじゃないですか」

直江がからかう。

「いい匂い、兄さん」

氏照が鍋を時折、かき混ぜている。バターの香ばしい匂いがした。

「兄さん得意のリゾット?」

「あぁ、ボルシチ入りのリゾットだ。遅めのランチには,このぐらいでいいだろう」

「兄さんはイタリア料理が得意なんだ。直江、イタリア料理は好きか?」

「もちろん」

直江が手渡した、先ほど買った煙草とテーブルの新聞を取り、氏照は腰をおろした。

「埃っぽいので着替えてきます」

直江が声を掛けたが、それには答えず煙草に火をつけ、じっと紙面を追っていた。

「俺、手を洗ってくる」

「躾のいい子供のようですね、高耶さん」

可笑しさをかみころしているせいで、直江の唇の端がひくひくと動いた。

高耶はわざと顔をしかめて見せてから、台所を出たが、ドアを閉めようとして振り向

きざまに氏照の青い顔が目に入った。

相変わらず、視線だけは新聞に向いている。

手足を洗い、汗ばんだ服を着替えた。

台所へ戻ると、兄と直江が何やらひそひそと話をしているところだったが、高耶の姿を

見ると、突然、黙り込んでしまった。

高耶は直江の何かを押し殺した表情を見て、足が止まったが、氏照が直江に目配せを

彼の顔が和むとテーヴルについた。

氏照が鍋の蓋を取ると、美味しそうな匂いが溢れた。

「そろそろいいな。早めに盛らないと煮詰まってしまう。冷えたトマトもあるし小腹を

充たすには充分だろう…直江君」

「ええ、ありがとうごさます。私がテーヴルの仕度をしましょう。そちらのお客様、申

し訳ありませんがちょっとのいて頂けませんか?」

直江がテーヴルにかがみ込む時に、高耶の頬に触った。鳶色の瞳が優しく笑いかける。

高耶も不承不承、笑い返した。

直江を好ましく思っているのに、どうしてこうも引っかかるのか。

魅力的で一緒にいて楽しいのだけど、彼の隠し事は、高耶の神経をチクチクと刺激する。

それが彼だけの秘密なら、高耶もこうもは神経質にならないだろう。

直江が現れてから、氏照がすっかり気難しく心配そうな顔をするようになった。

静かな生活に吹きだした風がいいのか悪いのか、高耶は気がかりだった。











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コメント

ほとんど月1の連載になってきてるなぁ…。
もうちょっとピッチを上げないといけないなと思いつつ、GW突入で
すので、また間隔があきます…ゴメンなさいm(__)m