碧空 −7−








直江が顔を離した時、高耶はわずかに息を切らしていた。

めくもりを失った唇が淋しげにふるえる。

キスをされていたんだと改めて思い返し、頬があつくなった。

「変なの・・・」

「何が?」

「少しも嫌じゃなかった……」

直江の肩の線が緩んだ。

「前世…があるとしたら、どっかで会ってたみたいな感じ」

「生まれ変わりを信じていますか?」

「まさか、そんなの、一度も考えたことないさ…けど……」

「けれど、何?」

直江が素早く聞きかえした。

「俺たちって、前にどっかで会ったことある?」

直江の表情がスッと消えた。無表情と言うのとも違い、まるで見えない仮面を被っ

ような顔だ。鳶色の瞳が底なしの井戸のようだった。

「私たちは昨日が初めてだったじゃないですか。どうして、そんな風に考えたんで

すか?」

「……うん。それは解ってるんだ。けどさぁ、何だろ。なにかがしっくりしないん

だ。どこかで見たことがある気がして駄目なんだ」

「それは・・・嫌な感じじゃないですよね?」

高耶は不思議だった。

直江がどこか緊張しながら、高耶の反応をうかがっている。

「少なくとも、直江の顔を見た途端に、回れ右をして逃げ出そうって気にはならな

かったと思うよ」

高耶は茶化すように答えた。

「じゃあ、どんな?……」

感じでしたかと張り詰めた響きの問いに、高耶は思わず眉を寄せた。

「…直江って……、もしかしなくてもしつこい?」

「……かもしれません」

それまでの硬い調子が崩れ、どこかしら項垂れた感じが高耶の微苦笑を誘った。

いい大人が自分みたいな子供の一言一句に浮き沈みするなんて…。

「やっぱり、何かある。直江も兄さんも、絶対、俺に隠してることがあるだろう?」

直江はからかうような笑顔になった。

「高耶さんは、なかなか想像力がたくましいですね。さあ、せっかく作ったお弁当

です。何か口にして下さい。このチーズは美味しいですよ。クラッカーにのせて食

べてみましょう」

直江が話題を変えたがっているのを感じて、高耶もそれ以上言及するのは止めた。

そしてクラッカーとチーズを無理に口にした。

「自営業って言ってけど、どんなことして、どんな風なんだ?」

一口に自営と言っても、ピンからキリまである。

彼の身形や様子から、会社経営などの実業家の匂いがしている。兄たちに近いもの

が直江にはあった。

「仕事は…そうですねぇ、人を相手にすることが殆どでしょうか。物を売るんじゃ

なくて、ノウハウを教えてます」

「コンサルティングみたなものか?じゃあ、忙しい?」

「むやみに忙しいばっかりですよ。この数ヶ月というもの働きすぎで、肉体も精神

もまいってしまいました」

クラッカーをポンと一口で食べ、高耶は直江を観察した。

「こんな田舎の島の別荘なんかより、都会の豪華ホテルの方が似合いそうだな」

直江は顔をしかめる。

「この一年、ほとんどホテル住まいでした。正直、ホテルにはうんざりしています」

「ふぅん…俺にしたら、うんざりするほどホテルに泊まってみたいけどなぁ」

奇妙な沈黙が流れ、直江は顔を強張らせて、海の向こうを見つめていた。

日本人にしては頬骨が高い顔だが、いかつい印象はしない。

風になぶられてむきだしになった額も、筋の通った鼻梁も、すっきりと整いノーブ

ルな雰囲気を漂わせている。

直江が手をあげ、乱れた髪をときつけるのを眺めていた高耶は思わず言った。

「大きな手。ピアノか何か楽器はしてないのか?」

直江はシニカルに口許をゆがめた。

「少々なら」

「家に帰ったら何か弾いてくれないか?」

「それは、遠慮させて下さい。あなたのと比べられたらへこんでしまいそうです」

高耶は直江の片方の手をとり、自分の手と重ねて引き締まった力強い指を眺めた。

「エネルギーのある手だ」

「おや、手相でも観て下さるんですか?」

高耶は吹き出したが、直江の手をひっ繰り返してさらりと乾いた感触の掌の線を、

指でなぞった。

「生命線は立派。長生きするだろうな。愛情線は・・・・短いのと長いのとあるから、

意中の人が出来るまでは浮名が多いタイプ。頭脳線はとびっきりいい」

直江はくすくす笑った。

「すごいですね。だけど、先にお代を貰はないと商売になりませんよ」

「いくらでも。10円でも1,000円でも気のすむお代でけっこう。お客さんが決めて

くれよ」

高耶も笑って言い返した。

直江はポケットから小銭を取り出し、高耶の手にのせた。500円硬貨だった。

「ありがとうございます。旅の占い師さん」

「新米、即席占い師に払うには高くないか?けど、サンキュウな。これで新しいタ

ロットカードを買うことにするか」

「カードの未来に出る余所者なら、もうすでに現われていますよ」

高耶は黒い睫の陰から視線を投げた。

「おまえ、本当は…誰?」

「ただの客人ですよ。違いますか?」

近くの岩肌に鳩が一羽舞い降りて、こちらの様子を小首を傾げて伺っている。

餌を貰えると思っているのだろうか。

直江がパンと大きく手を打つと、慌て飛び立ってしまった。

どこかコミカルな慌て様に二人して笑い声をたてる。

直江は敷物に座りなおすと、失礼といいながら体を伸ばして寝そべった。

高耶はリンゴを少しかじった。太陽の角度が変わり、さきほどよりも陽ざしが差込

んで来ているせいで頬が熱い。

鳩が去った後に、今度はカラスが食べ残しのごちそうに、あずかれぬものかと貪欲

な目付きで飛び交っていた。

カラスは小賢しいから、下手に餌を与えるととんでもないことになる。

「放っておきましょう」

直江の言葉に高耶も頷いた。

「都会は多いんだよな…カラス」

「そうですね。彼らは肉食性で雑食ですから、結局、何を食べても生きていけます。

自分たちの群れに迷い込んだ鳩なんかでも、遠慮なく突付き倒して食べたりしてま

すよ」

うげっと高耶は顔を顰めた。

「弱肉強食なのは解ってるんだけどさ…」

平和な営みの傍らで、繰り広げられる、残酷な様。

高耶は想像しただけで、身震いした。

「人生も見かけより、そんな風に複雑ですよね」

直江は仰向けに、頭の下で両腕を組んで空を睨んでいたが、いつしかきつい顔立ち

が緩んで、目をつぶっていた。

口許も柔らかくなっている。

張り詰めていた力が抜けて、直江の体がくつろいで見える。

気を張った目つきが隠されると、穏かで優しい雰囲気が現われていた。

高耶はせっかくの眠りを邪魔したくなくて、直江をそっとしておくことにした。

からすたちは餌を諦めたようで遠くの枝へと小刻みに移動して行く。青い空では

海鳥が数羽、白い弧を描きながら飛び交う。

霞む水平線へ向かって、波がきらきらと輝く腕を広げている。

カサリと小さく響いた草ずれの音に、視線を戻すと、のんびりと草を食む野兎が

数匹。

直江の寝息につれて、睫がちらちらと動く。

高耶が覗き込むと、直江がゆっくりと目覚めた。

高耶の深く濃い瞳を見つめ返し、

「まるで夜に包まれているみたいです」と呟いた。

「気持ち良さそうに、眠っていたよ」

「すみません、せっかくのピクニックで…つませらない思いをさせてしまいました」

「気にしてないよ、一人は慣れてるし、ちゃんと付き合ってくれたのもいたしな」

高耶は相手の訝しげな顔に答えるように、空や兎たちへと目をやった。

「その気になれば、友達には不自由しないんだ」

直江の笑いは優しいといってよかった。

「お兄さんからいただいた犬の小太郎もいますしね」

高耶はぎょっとして、頬がひきつった。

「なんで?なんで兄さんからって知ってるんだ?」

「…前に………いえ、昨日、高耶さんがおしえてくれたじゃないですか」

一瞬、直江が返事に窮した気がした。

ちょっとした行動や言葉の端々、目配せや沈黙……。

想像力がたくましいと直江に揶揄われたが、本当にそれだけなんだろうか。

高耶は空を見上げた。

「もう、帰ろうっか…。兄さんがそろそろ心配してるかもしれない」













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コメント

へんなトコで止めちゃって、ごめんなさい
あまり長く書き込むと、webで読むときは辛いかなと思い、この辺で
終わらせてしまいました。