碧空 −6−








鈴木のご隠居さんは網を広げて虫を待つ、くもにも似たとこがあった。

島で起こることで彼女の知らないことなど、何一つないだろう。

何か特別な情報収集探知機でも隠し持っているのではないかと勘ぐりたくなるほど、

彼女の情報は正確で、百人ほどの小さな村の秘密は全てつつ抜けだった。

他人のことを知りたいという野次馬根性のおかげで元気にしていられるのだと、兄は

言っていたけど……。

年寄り特有の邪気のない笑顔を振り撒いては、誰かれかまわず捉まえて、根堀り葉

堀り質問を浴びせ掛けるのだ。

ある意味、彼女なりの使命感に燃えているのだろう。

噂好きで集めて広めるだけならかまわないが、時には彼女なりに脚色してドラマテ

ィックにしてしまうことがある。

些細な出来事がとんでもなく肥大している事も多々あるから困ってしまう。

高耶が鈴木さんに挨拶をすると、たちどころにおしゃべりが始まった。

「おや、ピクニックかい。日よりもいいし素敵だね。昨日、見たこともないほど立

派な車があったけど彼のかい?素晴らしいスポーツカーじゃないか。あんたん家に

泊まっているんだろう、久し振りのお客だね。お客と言えば二宮さんとこにお孫さ

んが生まれて、今、里帰りで戻っているんだよ。お嫁さんに似た可愛い男の子でね、

もうおじいちゃん、おばぁちゃん二人ともメロメロさ………」

「兄さん用に煙草を一つ貰える?」

高耶は彼女が一息ついたので、大急ぎで割って入った。

左脇の棚からいつもの銘柄を取り出しながら、老婦人は直江に笑いかけた。

「大阪…じゃないね、東京からきなさったのでしょう?」

相手の返事など待ってやしない。

例え自分に思惑と違った答えが返ってきても気にしないし、その答えが意にそわな

ければ答えを変えて無理矢理納得してしまう。

「東京はね、一度も行ったことがないんですよ。行きたいとも思いませんけどね。

あんなとこは人の住むとこじゃありませんよ。あぁ、でも若い人にはねぇ、魅力な

んですよねぇ。この島も、もう誰も残っちゃいませんから、寂しいものですよ」

奥で電話が鳴り出した。

彼女がひょいとそちらを向いた隙に高耶はお代を置いた。

「じゃ、またね。鈴木さん」

高耶に続いて店を離れた直江が、こらえ切れないように吹き出した。
「すさまじいマシンガントークですね」

店を振り返ると、電話の相手にも彼女は言葉の洪水を送っているらしく、次の犠牲

者になった誰かが可笑しかった。

顔を見合わせて笑みをこぼすと、登山口に向かって歩き出した。

緩やかな勾配を上がっていくと、疎らな家の間から海が光って見えた。

もし、直江が今までにもこの島に来たことがあったなら、鈴木さんが知らないはず

がない。今日の素振りでは、直江に会うのは初めてみたいだった。

濃紺のデニムの上下にブルーの開襟シャツといったくだけた装いの直江を、小さな

目を皿のようにして凝視(みつ)めてはいたけれど。

高耶は白いTシャツに黒いジーンズ、上着がわりに木綿のシャツ肩に掛けていた。

すっと伸びた鎖骨がシャツから浮き上がって見える。

風が吹くと、無駄の無い細身の身体の線があらわになった。

登山口の最初の2、3段は大きい切だし石を無造作に積み重ねただけの石段だ。

直江が先に上がり、高耶に手を貸した。

高耶の手を握って離すまで、一瞬、戸惑いのような間があったような気がする。

だが、直江は何気ない様子で登り始めた。

砦は四方を見下ろす山の頂上にあった。

基礎は室町頃からあり、砦として発達したのは戦国時代からだ。陸で群雄割拠が熾

烈だったころ、海の攻防も激しかった。

「ここで毎日、下を通る船を見張ってたんだな」

高耶は朽ちた灰色の石の間に立っていた。

「この狭い島に七つもこんなのがあるんだ。島全体がちょっとしたお城だよな」

「戦いもあったんでしょうね。兵どもが夢の跡ってところでしょうか。怨霊とか彷

徨ったりしないんですかね……」

さぁねとくっくっと喉を鳴らしながら、高耶は苦笑した。

「風の強い日とかだと、石の隙間を抜ける風が割と大きい音をたてるんだ。それこ

そ誰かが泣いてるみたいに……。小さい時はお化けが出てるんだと信じてたぞ」

「こういう場所だと、誰かはここで亡くなってますよね。どこかに朽果てて骨だけ

になった遺骨があるかもしれませんよ…」

冗談半分だろうが改めて言われると、慣れ親しんだ場所がうすら寒く感じられた。

来襲に傷つき草むらに倒れた兵士の幻影が、高耶の目蓋に浮かぶ。

白い顔と赤い血だまり。

幻影の兵士の顔が、ふいに自分の顔すりかわる。

………何時か、何処かで。

そんな風に自分が地面に倒れていたことは無かっただろうか………

アスファルトの冷たい感触、人のざわめき、鳴り響くクラクション。

経験した事もないはすの幻影が、リアルな触手で高耶を包む。

「やめようっ、縁起でもない……っ!」

馬鹿なっと、首を振り高耶は荷物を持って足早にその場を離れた。

山の上は風が速い。

見上げた空にはちぎれた雲がたなびいていて、手を伸ばせは取れそうだった。

眼下には青い海の波が草原の草のように太陽にきらめき、波間に浮かぶ島々が岩の

ようにほっこり映る。

島と島を巡る鳥の影が長閑だ。

頂上から少し下った場所に岩下になった風の静かな陽だまりを見つけると、高耶は

短い草のカーペットに座った。

直江も隣に腰を降ろすと、長い脚を投げ出した。

「隠れ家みたいで、気持ちのいい場所ですね」

テーブルがわりに大判のナプキンを広げ、高耶はお弁当を並べた。

「歩いたからでしょうか、お腹が空きましたね」

ペコペコですと直江がパンを手にした。

「そろそろお昼だしな」

朝食は8時ごろだたっから、時間が立つのは早い。

頭上高く舞うのは鳶だろうか。

まるで翼の動きを止めたように舞っている。

高耶は片手を目の上にかざして、仰向けに身体を伸ばすとその姿に見入った。

体の下の草は思ったよりも柔らかかった。

風の通り道からはずれたこの場所は暖かく、けだるいような気分に引き込まれる。

高耶は直江をじっと見つめた。

白い丈夫そうな歯で、実にきれいにベーグルを口にしている。

「直江って、美味しそうに食べてくれるんだな」

見返す直江は魅力的な目元を綻ばせた。

「高耶さんは、食べないの?」

「お腹は空いてるみたいだけど…口が欲しがらないんだ……」

高耶は伸びをした。

直江は半分ほどになったベーグルを自分の皿に戻し、チーズとクラッカーを取ると

高耶の方に差し出した。

「食べないと駄目ですよ」

高耶が体をずらすと目の前に直江の顔。

ひたと自分を見つめる優しい鳶色の瞳が、少し怖かった。

いたたまれず、咄嗟に目を伏せる。と、それが合図だったみたいに直江の気配が近

くなった。

柔らかなものが、唇に触れる。

吐息が頬をかすめ、軽く唇を吸われた。

スキンシップの延長みたいな、躊躇いがちなキス。

今時、高校生でもこんな他愛ないキスはしないだろう。

ほんの数秒触れただけで、それはすぐに離れていく。

たった数秒の刹那な時間のキスは、高耶の心を早鐘のように震わした。











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コメント

最後の最後でてこずりました…(苦泣)
キスそのものより背景シーンで四苦八苦。だって食事中のキスなんすよ? 
流れ的にはOKだったんですが、まゆが潔癖症なのか気にしすぎなのか、
何か嫌で今一気乗りせず逃げまくり…。
このままだと埒があかないので、しぶしぶ書きました。
温めでソフトなのは、そのせいです。スミマセン