碧空 −5−








高耶が居間に戻ってみると、兄の姿がどこにも無かった。

「兄さん?」

リヴィングボードの上には読みかけの新聞と、半分ほど残ったコーヒーカップ。

辺りを見やったが兄の気配は無い。

隙間の開いたカーテンを閉めようと窓に寄ると、離れへ行く兄の姿があった。

「一体、何なんだ…ろうな…」 高耶はソファの足元で蹲る小太郎に話し掛けた。

クゥンと小さく鼻を鳴らし小首を傾げて、小太郎は高耶を見上げた。

小太郎は高耶の十五の誕生日に、長兄の氏政からプレゼントされた犬だ。

母犬が兄の飼っていた犬で、島での暮らしは寂しいだろうからと贈ってくれた。

長兄とはかなり年が離れているせいで、あまり親しい方ではないのだが、時折そん

な風に高耶の事を気に掛けてくれる。

小太郎に専用の訓練士をつけてくれたりしたのも長兄だ。

高耶が手招きすると、小太郎はすぐ高耶の傍に擦り寄った。

「今夜はもう寝るか・・・」

解らない事を考えてみても解決するはずもなく、ましてや高耶に何かを隠したがっ

ている二人に訊いたところで答えは返らないだろう。

不思議なのは、直江という不可解な訪問者に高耶が嫌な感情を持たない事だ。

むしろどこか懐かしくさえ思えてしまう。

「……覚えてないだけで、昔、逢ったことがあるとか。うーん…違うなぁ。氏照兄

さんとの仲が今一みたいだから、もっと何かあるよなぁ。父さんやお祖父さまの関

連だとしたら…ライバル会社の人間とか……も駄目だ、違うな。そうだ、父さんの

隠し子とかは?」

気のせいか、小太郎が軽蔑したような鼻息を一つした。

「だよなぁ…小太郎、おまえが言うとおりさ。ちょっとドラマチックだけど、あり

そうも無い話だもんな。父さんが母さんを熱愛してたのは、よく解ってるものな」

諸事情で離れて暮らしてはいても、両親は仲睦まじい夫婦だった。

父は毎日の電話は欠かしたことがなく、週末も出来うる限り別荘で過ごすよう時間

をつくっていた。

母や自分を包み込んでくれていた、父の愛情に嘘があったなどと考えるほうがどう

かしている。

世間的には親兄弟と離れての生活は、情けの薄いものに見えたかもしれないが、そ
れは違う。

母の療養という目的と、もう一つの理由。

高耶の保護という大きな理由があった。

五つの時、高耶は誘拐された事がある。

会社の整理統合や合理化により取引を打ち切った先の人間が、逆恨みで事を起こし

たのだ。

幸い迅速な対応で事無きを得たし、高耶自身その時の記憶も欠片ほどしか残ってい

ないが、母や親兄弟たちの不安は消えることが無かった。

大きな企業であればあるほど、恨みも買いやすい。

小さな石がどちらに転んでも影響は少ないが、大きな岩がほんの少しズレただけで

も周りは一大事だ。

そして卑怯な手を使う者が狙いやすいのは、女や子供。

高耶の姓が「仰木」なのは、一人娘だった母の姓を継いでいるからだが、その事件

の影響も否めない。

犯人たち以上に、著名な両親の子という事でマスコミの攻勢もかなりのものだった。

過疎の島という事は、言い換えれば余所者が来たらすぐ解るという事だ。

島への交通手段も船のみと限られているうえに、船の運航は北条の家が雇っている

者たちばかり。

いわば、天然のセキュリティーが効いている状態だ。

心配のあまり都会で窮屈な思いをさせて育てるよりは、のびのび育てられるとの両

親の思いから、高耶と母はここに移り住んだのだった。

その母も去年、亡くなった。

そのまま本宅に戻っても良かったのだが、高耶はこの家から離れがたく、せめて後

一年だけはと島に残った。

勿論、高耶一人だけという訳にはいかず、すぐ上の兄、氏照が一緒に住んでくれて

いる。仕事の方は、在宅という形をとった。






翌日、目を覚ますとカーテン越しに日の光がが部屋の中を柔らかく包んでいた。

心地よい光のシャワーを楽しむようにしばらくベットでじっとしていたが、高耶が

目覚めた気配を感じた小太郎に足元のシーツを引っ張られてしまい、背伸びをして

起き上がった。

顔を洗って身づくろいをし階下へと行く。

途中で兄の部屋を覗くと、氏照はパソコンに向かってなにやら打ち込んでいる真っ

最中だった。画面は外国語と数字の羅列。

仕事なら邪魔しては悪いと、声をかけずそっと席をはずした。

キッチンに来ると、やかんのしゅうしゅうという音が聞こえる。

直江が振り返って高耶に笑いかけた。

「ずいぶん早起きだな」

「こんにいいお天気なのに、ぐすぐずしているのは勿体無いと思いまして」

キッチンの小窓に白いレースのカーテンがかかっていたのだが、直江が開けたのだ

ろう、風にひるがえり朝の光が幾つもの筋になって差し込んでいた。

庭の草木や花にはまだ露が残っている。

格子垣に組まれたばらの木に紅や白の花が咲き、手前には××が頭を揺らし、その

後ろには白い萩の花。

繁みの間や芝生の上では小鳥たちが餌を探して、目を光らせている。

青く澄んだ空が広がる朝。

「本当だ、すばらしい朝だな」

「ピクニックにはもってこいですね」

直江がお茶の葉をすくってポットに入れた。

「ピクニック?」 高耶は驚いて聞き返した。

「山の上の水軍砦跡まで行ってみるのはどうですか?」

「何で、知ってるんだ?」

「この辺の島々に現存しているものの中では一番立派なものでしょう?ちゃんと島

の観光案内にもありましたよ」

「へぇ…そうなんだ。知らなかった……」

幼い時からあまりにも当たり前のように慣れ親しんだ場所のためか、高耶は有名だ

と言われても今一ピンと来なかった。

「見た目より斜面がきついから、大変だぞ」

直江は皮肉っぽく笑った。

「私はそんなにやわに見えますか?」

ううんと、高耶は首を振った。

「ただ、注意しておきたかっただけ」

朝食を手早く済ませ、二人はお昼用に冷蔵庫やストック棚を漁った。

あり合わせでこしらえたチキンサラダをベーグルに挟みサンドにした物と、果物。

チーズにクラッカーとトマトも加え、水筒に紅茶を入れて用意終了。

「兄さんに出かけるって言ってくるから」

なんだったら、一緒に行こうと誘ってみてもいい……。

「昨日、お兄さんには私から話しました」

氏照の部屋へ飛んで行こうとする高耶の腕を、直江が押えた。

「…なんて?」

兄が離れに行った時にでも話をしたのだろうか。

「ちゃんと、お許しは頂きました」

どこか釈然としなかったが、直江の口調から詳しいことは伺えなかった。

籐のバスケットに食料や他のものを詰めて、二人はそれを手にして出かけた。

砦のある山に登るには、町はずれの登山口まで行かなくてはならない。高耶の家か

らだと、町を突ききって行くことになる。

少ない住人のほとんどは田畑や浜へ漁の始末に出かけているが、郵便局の隣でたば

こ屋をしている鈴木のご隠居さんは、いつもと同じように窓口から通りを眺めてい

た。彼女の膝元では愛猫がうたた寝をしている。

老婦人は直江に訝しげな視線を送ってから、高耶に手を振った。

「やっぱり逢っちゃったな…。挨拶しとかないと……」

話し好きだから覚悟しとけよと直江に囁き、高耶は苦笑しながら肩を竦めた。 、









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コメント

ミラパロとは言え、半分オリジナルみたいな設定だから、他の話に比
て舞台説明がかなり必要です。
多少、まだるっこしい気もしますが仕方なですね。
なかなかデート(?苦笑)にならない二人ですが、後々の伏線にも
なりますので、今回は我慢してください。次はデート♪