碧空 −2−






「昔の武将みたいな名前だな」

面白そうに、直江が笑った。

「確かにね。皆からよく言われます。実際、どこかの流れをくんでいるらしいので

すが、詳しいことは私も知りません」

「仕事は?」

「私の?」

一呼吸おいて、直江は答えた。

「自営業ってとこでしょうか」

「ふぅん…じゃあ、ここへは休暇で?」

男の頬に影が差す。しばらくしてからぽつりと、そうですと答えた。

「宿はどこ?」

また直江はためらいを見せた。

「まだ、こちらに着いたばかりなので決めていません。どこか泊めてもらえる所が

ないか探そうとしていたんですが…。港で聞くと、岬の辺りにも宿があると言われ

て足を運んできたのです」

「あぁ、それって家のコトだ。離れがあって時々人に貸すんだ。商売してるんじゃ

ないから主に知人やその紹介だけなんだけどさ。ほら、家って人の匂いがしないと

傷みやすいだろ?夏は避暑がてらに来たいって人がけっこういるんだ」

「そうですか。…紹介とかではないですが、今、空いているならお願いできないで

しょうか…」

「離れは空いてるけど、氏照兄さんがどうかな……」

「……駄目ですか?」

「直接頼めば大丈夫だと思う」

海風が直江の鳶色の髪を吹き上げるように抜けていく。

「私が泊めてもらえることになったら、あなたは困りませんか」

「なんで?」

高耶は直江を見返した。一体、この男は何が言いたいのだろう?的をわざとはずし

ているようなことばかり言う。

直江は軽く肩を竦め苦笑した。

「普通、見知らぬ客を泊めたりするのは遠慮したいものでしょう?」

「俺…困ったり嫌な気になったりする人に、自分とこを勧めたりしないぞ」

高耶の言葉に直江は目を瞠り破顔した。

「それじゃあ、あなたのお兄さんに頼みに行くとしましょうか」

高耶も頷き、高耶の足元で静かに待っていた小太郎のリードを引いた。小太郎がち

らりと直江を一瞥しお尻を上げる。

珍しいなと、高耶は思った。専用の訓練を受けた犬だから、ドーベルマンとはいえ

滅多やたらと吼えたりしないが、それでも初対面の人には警戒心を顕にすることも

少なくない。それがこうも大人しいなんて…。

小太郎が反応しないなら、本当に大丈夫だなと高耶は安堵した。

高耶たちは岬の崖道をくだり、途中の分かれ道を公道の方へぐるり廻ってと出た。

道路脇に停めてあった直江の車の横に来ると、高耶は感嘆したように立ち止まって

濃紺のカヴリオレタイプの車を眺めた。

長身の男が乗るには少々小型だが、見事な造りできちんと手入れがされている。

「似合ってないでしょう」

友人が車道楽が昂じて輸入販売を手がけているらしく、時々付き合わされるのだと

直江がぼやいた。

「でも、悪くない。速い?」

「無茶はしたことないので解りませんが、速いはずですよ。都会では、飛ばせませ

ん。勿体無い気もしますが」

「どこに住んでんの?」

「東京です」

短い返事。

「車を移動させたほうがいいですか?」

「後でいい。ここは、もう家の敷地みたいなものだから」

秋にしては珍しく、けぶったようなもやが辺りを包む。風が弱まったせいかもしれ

ない。西の空に宵の口の青白く透けたような月が、漂っているのが見えた。

もとは祖母の趣味で建てられた別荘は、異人館のような趣で、暮れなずむ風景の中、

物語の挿絵のように柔らかなたたずまいだ。

前庭に張出した窓から、室内の明かりが洩れていた。

カーテンを引こうとして高耶の足音を聞きつけた氏照は手を止めて、高耶に笑いか

けた。だが、高耶の後ろの男に目を移した途端、その笑顔が凍りつく。

高耶は兄の蒼い顔に眉をひそめた。

豪放磊落な気質の兄が、こんな表情をすること事態、珍しい。

高耶は説明を求めるように直江を振り返った。

直江は兄とは対照的に、感情をこそげ落とした表情で氏照を見つめていた。

「兄さんの知り合いか?」

「いいえ、私のことなど全くご存知ありませんよ、きっとね」

だが直江の口調には隠しようのない皮肉が滲んでいた。

玄関の扉が開いて、兄が転がるように出てきた。直江が彼の前へと進む。

「直江信綱と申します。そちらの離れをお借り出来ないかと思いまして・・・」

氏照は直江に言葉も返さず、困惑に包まれた高耶へと視線をめぐらした。

高耶は感情がはっきりと顔に出る性質だ。

兄はそんな高耶から何らかの表情を読み取ろうとしているようだった。

暫らくしてようやく氏照は直江の方へと向き直った。

「申し訳ないが、離れに人を泊めるのは夏の間だけなんだ。温暖な所ですが海沿い

のここは、夜になるとかなり冷えるんでね。暖房設備を引いてないんですよ」

高耶は驚いた。確かに冬はそうだが、今はまだ秋。

つい、一週間前にも釣り客を泊めたばかりで、気候はほとんど変化していない。

高耶の呆気にとられた顔から、兄は目を逸らした。

直江は穏かに口を挟む。

「ご迷惑はおかけしません」

氏照は渋い表情で直江の目を見ていた。

「休暇が必要なんです。医者からも強く言われましてね。この一年というもの、休

みもままならなくて、どこか静かな場所で骨休めしなくてはと」

心持ち氏照の表情が和らぐ。

「泊めてあげたいが、賄いの人も先日で一端終了しているし、こちらにも事情が

あるんだ」

「何もご迷惑はおかけしません」

さきほどと同じ言葉をはっきりと繰り返す。

「本当にそう言いきれるといいんだけどね」

高耶ははらはらしながら氏照を見た。兄は何を怒っているのだろうか。いや、苦々

し気だと言った方がいいだろう。

さすがに直江が一瞬たじろぎ、彼の肩が震えた。思わず、高耶は口を挟んだ。

「兄さん、料理なら俺がする。どうせ二人も三人もかわんないし」

兄が弟の顔を覗き込む。

しばらく黙っていたが、やがて諦めたように肩を竦めて頷いた。

ほっとしたように直江が首をまわして、高耶へと向き直った。高耶は屈託なく微笑

むと直江の腕をとった。

「兄さんがいいって言ってくれて、良かったな。離れに案内するから、こっち来て

くれるか。眺めが最高なんだ、きっと直江も気にいるよ」











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コメント


兄上登場。
原作はお祖父さんとの二人暮しでしたが、後々の話が合わなくなるので
設定変え。