郭公の栖(すみか)






  休日の午前中、空は雲が垂れ込めて鬱陶しい限りだったが、今日は街に出て映画を

  観ようという事になり、直江が朝食の片付けを高耶は自室で身支度をと、それなり

  にわらわらしている時だった。

  「な・・・おぇ・・・」

  絞り出すような声で呼ばれて、直江が振り向くと、右手を血だらけにした高耶が呆

  然と立っていた。

  「っ・・・高耶さんっ!」

  かしゃんと皿が手許から水桶に滑り落ちた。

  驚愕で直江も喉が詰まったような声音になる。

  「とっ、とにかく洗面所へ」

  手近のティッシュを鷲づかみにし、血が滴り落ちる手に添えてやり、直江は高耶を

  促した。

  ぼたり、ぼたりと床に赤い滴の跡がつくが今はかまっていられない。

  水流で掌に溜まった血を洗い流し、次に水を張って傷に触らないよう右手を静かに

  漬けてやった。

  見ると、右人差し指の指先がそいだように半円形に切れている。

  表皮だけでなくその下の肉も少しだが一緒に切れており、それこそ薄皮一枚で指先

  に繋がっていた。

  かなり痛むのだろう、高耶が唇を噛み締め顔色も青い。

  「どうしたんですか、コレ」

  出血は派手だが、今すぐとうこうというほど大事ではないと解り、直江は落ち着き

  を取り戻す。

  洗面横の棚から救急道具を取り出しながら尋ねた。

  血溜まりが水中で赤い花をゆらりと咲かし、花びらが生物ののように揺れている。

  「クローゼットの棚で捜しモンしてたら、何かの拍子に横の金具にシュッと手が当

  たって・・・」

  当たって、っ痛と思った瞬間に切れていたらしい。

  「傷なんて見慣れてるはずだったのに、何か思考がストップしちまって」

  ゴメンと小さく高耶が吐息とともに謝る。

  「心臓が止まるかと思いました。」

  眉をひそめ、直江は応えた。

  「戦いの場ならいざ知らず、こういう普通の日常で血をみると・・・」

  駄目ですねぇと苦情まじりの顔になる。

  水からそっと引き上げ、簡単な止血をしながらガーゼと絆創膏で応急処置をほどこ

  した。

  「縫うことは無いでしょうけど、念のため病院へ行きましょう」

  「・・・苦手だ」

  本当に嫌そうに高耶が低く零した。

  「けど、仕方ねぇよな・・・・」

  「大丈夫、ちゃんと私も付いていきますから」

  恐くないですよと子供のようにあやされ、普段なら怒るところだが、咄嗟の事故に

  気が動転しているせいで、今は妙にそれが心地いい。

  そんな高耶を落ち着かせるためか、直江は高耶の髪を梳き上げる。

  高耶は頭をことんと直江の胸に預け、されるがままに目を閉じた。





  「で・・・、何でこうなるわけ?」

  目の前にスゥープをよそったスプーンを、はい口を開けてと言わんばかり差し出さ

  れ、高耶は忌々しそうに唸った。

  休日の病院は当番病院の救急指定病院しか開いていなかった。

  救急でしかも高耶たちの前に交通事故者が入ったりしたものだから、診療までにか

  なり待たされお昼を食べ損ねてしまい、早めの夕食とあいなった次第だ。

  「えっ?高耶さん、南瓜のスゥープお嫌いでしたか?」

  「好き」

  「じゃぁ、はい、あーん・・・・」

  あーん・・・じゃねぇと叫ぼうとしたが、すかさず直江はスゥープを流し入れた。

  ゴックン。

  あっ、やっぱ美味しい。

  好物の味に、つい高耶の頬が緩む。

  決して料理が上手いとは言えない直江だが、スゥープやシチューの類は得意らしく

  かなり美味しい。

  一点集中主義なんですよとは、直江の弁。

  つまり、あれこれ作るのは苦手だが、それだけ一品でいいのなら何とかなると言う

  のだ。

  変なのと思いつつ、美味しい物は美味しいから高耶もよくリクエストする。

  外食してもよかったが、朝のドタバタで映画も見逃してしまい、人ごみに出る気力

  が高耶に残っていなかった。

  怪我で手が使えないから、夕食当番は当然、直江。

  今夜の夕食も何がいいですかと問われて、真っ先に浮かんだ品がこれだった。

  あとはパンとお肉とサラダ。テクが無くても出きるものばかりだ。

  「・・・じゃなくて、俺、何で食べせて貰ってるんだ?」

  手が痛いのは確かだが、箸やスプーを使えないほどしゃない。

  こんな子供みたいなことをされると、恥ずかしくて堪らない。

「いいじゃありませんか、他の人が見てるわけじゃないし。左手で食べるにしても不

  便でしょう?」

  そういう問題じゃないと反論しても、直江理論に太刀打出来た試しがない。

  高耶はため息一つで諦め、自棄くそとばかり「肉」と催促した。

  「高耶さん、何だか雛鳥みたいで可愛いですね」

  「はい?」

  「ぽんと開いたお口はまん丸で、美味しそぅに食べてくれるし・・・。何て言うか、

  そう、父性本能がくすぐられて仕方ないです」

  野郎の口を見てそんな戯事がほざけるのは、お前ぐらいだよと突っ込みたいが、き

  っと無駄だ。

  だが・・・・・・。

  「お前、子供が欲しいのか?」

  「どうしてです?」

  「だって、やたら俺にかまうっつうか、過保護っぽいし、今だって父性・・・何て言

  うし」

  「高耶さん・・・」

  直江が微苦笑を浮かべた。

  「私は子供とか家族が欲しいと思った事はありませんよ。身も心も焼ける想いで欲

  っした者は、貴方だけです。それは、充分ご存知ですよね」

  「・・・・・・」

  「それだけ願った貴方が傍にいるんです。嬉しくて、それこそ私は毎日がばら色な

  んですよ」

  愛しくて、下手したら抱きしめたまま、愛しさに縊り殺してしまいそうなほどで。

  「・・・危ねぇ奴だなぁ・・・・・・」

  高耶は呆れた。

  それでは、昔も今も変わらないではないか。

  だがどちらにしても、彼の腕(かいな)て果てるならそれも悪くないと心の底で思っ

  てしまう自分も同類だ。

  「あなたが雛鳥なら、私たちはさしずめ郭公でしょうかね」

  「どうして、郭公なんだ?」

  別に鳩や雀、燕だってかまやしない。

  「郭公は、子育てをしないんですよ。他の小鳥の巣に卵を産み付けて、育てさせま

  す」

  しかも元の巣の卵より一回りも大きく孵化も早い。

  孵った雛は自分が生きていくために、他の卵は全て巣から落とし壊してしまう。

  親鳥は自分とまるで大きさの違う子供を最後まで必死に育てるのだ。

  「酷ぇ・・・・」

  けれど・・・。

  「少し・・・私たちと似てますよね」

  換生という業を負った自分達と。

  本来、巣を持たない小鳥の栖。

  一見平穏な生活も、二人の在り方もまやかしかもしれない。

  でも、誰が何を本当だと正しいと言い切れるのか。

  つきんと人差し指が痛みに疼き高耶は顔をしかめた。

  直江は何も言わずに、そっと高耶の右手を包み込む。

  「郭公の栖でも、俺はいいよ」

  「高耶さん」

  直江が首を傾け近づいてくる。

  「おまえと一緒なら、別にどこで何に・・・・」

  高耶の言葉は紡がられず、薄く笑みをかたどった口唇に吸い込まれてしまう。

  西日が差しこみ、重なった二人の影を、床にくっきりと映しこんでいた。






BACK
HOME



コメント
うーん・・・消化不良気味(^_^;)
もっとエロスダークに仕上げるつもりが、途中で路線変更したばっ
かりに仕上げが今一になっちゃいました。
でも会社での隠れエロス書きは無理(爆)です、さすがに。
機会があれば、リベンジしてみます。

お話初めの"指さっくり"事件は我が家のお子様がしでかしました。
多少、邪まモードをかけてますが、殆ど実話。
スプラッタな状況に親子共々、真っ青。
それでも後日、こんなお話のネタにしちゃった母・・・・・。
死ぬまで、本人には秘密です(苦笑)。