推定恋愛


 ―――では、取引をしましょう

 と、男は滑らかなよく通る声でそう言った

 ―――取引?

 だから、上擦った自分の声が、やけに滑稽に思えたことを今も覚えている

 ―――ええ、取引ですよ。高耶さん・・・・・・

 そして、冷たい手が俺を引き寄せた





大学から戻ると、玄関のたたきに派手なパンプスが一足、片方だけ倒れた形で置かれていた。

てかてかと光る、品の無い赤いハイヒール。

簡素だが清潔に整えられた玄関に、それは全く不似合いなオブジェだ。

奥の居間からは、父親と靴の持主らしい女の声。

顔を合わせるのも嫌で、俺はすぐ二階の自室へ上がろうとしたが、物音を聞きつけて父親が奥

から顔を覗かせた。

「何だ、帰ってたのか、お客さんだってのに挨拶ぐらいしろ」

「・・・・・・」

返事もしない息子を気にした風も無く、父親は、早くしろと言わんばかりに顎をしゃくる。

無視してしまえばいいものを、亡くなった母親の躾のせいで、そこまで意固地になれず見た

くもない客へと顔を向けた。

玄関の靴と同じ色の口紅。

むっつりした表情のまま、一言だけ挨拶をし、高耶は愚痴めいた繰言を並べる父親を振切る

ように踵を返した。

「すまんなぁ、無愛想な奴で」

視界の隅に頭をかきもって苦笑する、父親の姿。

どこか媚を含んだ声音と仕草。

他人にだけ見せる父親面は、吐き気がするほど鬱陶しい。

乱暴に自室へ駆け上がり、ベットへと身を投げ出し天井を睨みつけた。

大人気ないと解っていても、気分がどうにも、むしゃくしゃし滅入ってくる

何が、こうも腹立たしいのか。

睨みつけた天井に、答があるわけでもないのに、俺はそのまま寝転んでいた。

掛け時計の針の時間を刻む音が、響く部屋。針は6時少し前。

6時っ!!

約束の時間が迫っているのに気付き、慌てて飛び起きた。

クローゼットの扉を開けると、大学生には不似合いな服の数々。

流行に疎い俺でも、名前だけは知っているブランド物のスーツや、仕立物のシャツ。

一見、シンプルで地味なくせに、目の玉が飛び出るほどの値段のカジュアルもの。

それらに合わせた、靴や時計の数々。

だが、俺がそれらの中から俺が選んだのは、白いシャツとジーンズ。

値段がどれたけするにしろ、このスタイルが一番落着く。

着替えていると、ドアが遠慮がちに叩かれ、父親が来客を告げた。

「迎えが、きてるぞ」

「わかってる」

父親は心なし緊張の色を浮かばせ、伏目がちで、俺を見ようともしない。

来客への畏怖とへつらい。

僅かばかりの俺への、罪悪感。

「父さんのお客は?」

「俺の忘れモンを持ってきてくれただけだから、すぐ帰った」

「そ・・・・・・・」

少なくとも、そのくらいの配慮は働くわけかと、冷めた思いで父親を見る。

「じゃ、行く。待たせるのも嫌だから・・・・」

「あっ・・・あぁ・・・・・・」

何やら言いたげな父親を無視し、俺は部屋を出て、階下へと歩き出した。

「高耶っ・・・・・」

とんとんと階段を下りると、玄関に男は立って靴箱の上に飾られた花を見ていた。

半間ほどの玄関が、彼の存在だけで埋め尽くされている。

「可憐な花ですね、萩ですか?」

「裏の人からの貰いものだ。たくさん咲いたから、どうぞって・・・」

昔はお茶の先生をしていたという裏の老婦人が、白い小花の枝を何本か、竹筒の花瓶と共に分

けてくれた。

男所帯だと味気ないでしょうからと、いつも気を使ってくれる。

「秋の風情そのもので、いいですね」

柔らかく丁寧な物言い。

男は出会った時から、年下の俺に、この丁寧な言葉遣いをしてきた。

止めてくれと頼んでも、変わらない。

鳶色の髪と瞳。物腰は一見穏かで端整な雰囲気と、モデル並みの体型。

だがその優雅さと裏腹に、俺を捉えて離さない強い視線。

その視線が俺のなりに目を走らせ、軽くため息をつく。

「気に入って下さるのは嬉しいのですが、たまには他のを着て頂けるとよろしいんですがね・・・」

隙の無い黒のスーツ姿で、男は残念そうに首を振った。

「行きましょうか」

後ろにいる父親には言葉も掛けないし、目もくれない。

俺も、振り返らなかった。

それでも、情報だけは与えておく。

「今夜は何処?」

「和食の良い店を見付けました。お魚がお好きでしたよね」

「・・・銀座?」

銀座は嫌だと言外に匂わす。

前にも銀座の料亭に連れて行かれたことがあったのだか、偶然、男の仕事関連の人に出会ってし

まい、色々な意味で窮屈な思いをしたのだ。

「いいえ、和風は和風でも創作和風で、場所は青山なんです」

きっと、気に入りますよと笑いながら、男が俺に手を差し出した。

誘われるまま、彼の冷たい手を握り返す。

初めて会ったあの日から、変わらない冷たい手に、指先が微かに震えた。

無視されたままだというのに、父親は何も感じてないかのように、俺たち二人を眺めている。

一人、蚊帳の外という顔で。

あの時もこんな顔をしていたと、俺は苦々しく思い出した。

自分の罪−会社の金の使いこみの尻拭いを、、息子にさせておきながら、知らんぷりだったのだ。

品物ののように俺を彼に差し出し、彼も品物のように俺を扱った。

取引・・・・・・・・と、冷たい言葉を男は口にした。

都内の超高級ホテルのレストラウンジ。

広いフロアを巧みに仕切った窓際のテーブルは、星屑のような夜景を見下ろせる特等席で、棕櫚の

葉が空調に風に少しだけ揺れていた。

優雅な場所での、醜悪な話。

父の罪と罰を打ち明けられ、それがもたらす結果に、17の俺は言葉も無く呆然としていた。

震える俺に、彼は訊いた。

『大事なお父さんを、助けてあげられる事もできますよ』

大事・・・、そう、あの時までは、確かにそうだった。

血が繋がらないとはいえ、大事な、たった一人の家族。

『取引をしましょう』

何の?まだ17で、何も出来ない高校生と何の取引をするというのだ、この男は。

男は俺の戸惑いを、面白そうに見つめ徐に口を開いた。

『あなた自身ですよ、高耶さん・・・・・・』







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コメント

一本で一気にUPがキツイので分けました。
「30のお題・09冷たい手」としては、ここまで。

このお話は、オリジナルでキャラを起こしていたモノの
ミラージュプロトタイプ版です。
オリジナルは割りと込み合った設定だったのでが、殆ど
はしょりました。
後半は、○おい、頑張ります(・・・・・つもり)