六花の面影 参







暮れ六つ。

佐吉は家路を急いでいた。いつもなら、もう少し早いのだが、今日は色々手間取り帰りが

遅くなった。

残照が遠く山の端に、二藍の筋を残しているだけだ。

鬱蒼と茂った樹木が、大きな門か鳥居のように頭上を覆て、足下は暗い。

枝葉に夜鳥の鳴き声がたわむ。

昼は旅人の行き交う道も、今は人影一つないが、佐吉にとっては、慣れた道だけに歩みは

速い。

と、佐吉の足が、ふと停まった。

背後から、まるで自分の後を尾けるかのように足音。

神経が磨ぎ澄まされた。

(追剥か?)

知った道とはいえ、夜道が危険なのは現代の比ではない。

全身に緊張をみなぎらせた佐吉の背後で、ぴたりと足音がやんだ。

「ちとお尋ねしたいのだが」

穏やかな物言いに振り向くと、上質な紬の上下に二本差しの、まだ若い精悍な武人が立っ

ていた。

「巳の屋という茶店をご存知ないだろうか」

「それなら、てまえの家ですが……」

相手の折り目正しい物腰に、佐吉は肩の力を抜いた。

と、同時に相手もほっとしたのが、伝わってきた。

「では、堀井という若者が厄介になっていると思うのだが」

「へぇ、おられます。失礼ですが………」

「拙者、秋元直之と申します。堀井殿を迎えに参りました」

落ち着いた物腰の、響きのよい声の持ち主だ。

たかだか一介の職人にも、丁寧な応対だ。

「家はもうすぐ、この坂を越えた辺りでございます」

佐吉は提灯の灯りを掲げ、坂の上を指し示し、腰を落し気味に歩きだした。

「お迎えの方がいらしたとしれば、堀井様も安堵されましょう。人は病にかかりますと、

とかく気が弱くなられがちですから」

「…………、どうかな。案外、鬱陶しがられるやもしれん。気の強い人だから」

軽い口振りだが、底に沈む何かが男が冗談ではなく本気でそう思っていることを感じさせた。

佐吉は男の顔を見上げる。

男は薄く笑っていた。

それはどこか痛ましい笑いだった。

このお方は寂しいのだろうか。

唐突に、佐吉は思った。

このお方も、堀井の若様もお寂しい方なのではないだろうか。

佐吉は二人に同じ種類の匂いを感じ取っていた。

人は、求めても求めても得られない物を抱えている時は、寂しいものだ。

「何か?」

佐吉の視線に、秋元は尋ねた。

いいえと首を振りながら、佐吉は曖昧に目をそらし、家の方を見た。

あそこには、おせいがいる。

自分の帰りを待ってくれている、愛しい女房だ。

自分も、昔、寂しさを抱え荒れていた時期があった。

それを救ってくれたのは、おせいだった。

誰であれ、自分を託せる人がいるということは、こんなにも安らかな気持ちになれるもの

だと、おせいが教えてくれた。

「それにしても、ようお連れ様が倒れられたと解られたものですな」

家路を辿りながら、佐吉が訊いた。

「一足先にお待ちしていたのですが、約束の刻限に現れなかったので、胸騒ぎがいたしたのだが…。

律儀な方ゆえに何かあったのではと、戻って下の里で色々訊きまわっていると、そちらの事

を小耳に挟みましたもので」

「今朝、医者をお願いしておきました。堀井様も少しはよくなっておられますよ」

佐吉は秋元を、急ぎましょうかと秋元を促した。



初出 99'00'00
改稿 2005/03/03



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コメント

もともと遅い更新に輪をかけて遅かったのは、この小説前頁を 消してしまったからてす…ガーン(阿呆や…)
上書きする時に、間違えて前のを消してしまってたのよね…


やっと直江の登場です
でも、出たと思ったら今回は話が短くてすみません
筋運び上、上手く区切れなかったのでこういた事態に…
予定としては次回で終了
サクッと行きたいので、もう少しお待ちください