雨の後先(前)







  雨は昼過ぎには、土砂降りになった。

  空から雨は叩きつけるように降り注ぐ。

  余りの驟雨に江戸の往来もひっそりとなりを沈め、利休鼠の深い帳の底だ。

  そんな雨の中を一人の男が、小走りで走っていく。

  着流しに大小を差した武士だ。

  男は名を石井宗次朗といい、安田長秀の現生になる。

  長秀は激しい雨に小さく舌打ちした。

  (ついてねぇな……)

  家を出た時は、まだ晴れていたのだ。

  西の空に雲はあったが、青空がみえていた。それがあれよあれよと言う間に天

  候が崩れた。梅雨の時期だから、雨具の用意ぐらいしておけばよかったのだが、

  待ち合わせの場所に行くぐらいはもつだろうふんだのが甘かった。

  この界隈は寺町のためか人通りも少ない。

  親切に、傘を寄こしてくれそうな人も期待するだけ無駄だろう。

  寺門の軒先や堀壁つたいに走りながら、長秀は目指す寺へと急いだ。

  (修栄寺で待つ…)

  と、景虎から連絡があったのか、昨夜の事。

  おおまかな場所と紫陽花が目印だと伝えられただけだったので、解りづらいこ

  とこの上ない。

  先月、景虎と組んで片づけた仕事の事後報告に行くのだが、二日前まで他の件

  で飛び回っていたため、さすがに長秀も疲れを感じていた。

  ここのところ、直江の人使いが荒い。

  原因は何となくわかるのだが、長秀としては如何ともしがたい。

  しかも、原因の大元が素知らぬ振りをしながら、直江を煽っているから、なお、
  性質(たち)が悪い。

  (まぁ、それに一枚噛んでいる、俺も俺なんだけどなぁ……)

  らしくもなく、つい考え込んでしまうのは、どこか後ろめたいとこがあるせい

  なのか。

  晴家の小言はいつものことだが、色部の無言の責はさすがに応える。

  だが、だからといって自分から退く気はさらさら無い。
  負け戦をしているつもりが無いからだ。

  長秀の足がふいに止まった。

  薄暗い雨木立の中に、花の色がぼんやりと浮かび上がったのだ。

  目を凝らせば門から中まで紫陽花の花が連なるように植わっている寺があるで

  はないか。

  編み笠を心持ち持ち上げ、長秀は寺名を確かめる。

  修栄寺―――。

  「ここか、手間かけさせやがって・・・たく」

  中から景虎の気も流れてくる。

  簡単なものだが、景虎が結界を張っているらしい。

  怨将や自分達のような力のあるものには他愛もないが、浮遊霊、自縛霊、その

  他種々の雑多な念霊を払うのには雑作もない。

  気配をたどると、本堂を通り過ぎ、離れの庵へ着いた。

  ___月桂庵と、庵の外門上部に庵名が記されている。

  佇まいや月桂庵との名前から、どうやら尼僧庵らしく、薫香がの香りが微かに

  漂ってくる。

  表門にもあった紫陽花が、ここにも溢れんばかりに咲き乱れていた。

  庵の裏庭から話し声。

  長秀は誘われるように、その方向に足を向けた。




  裏庭にいたのは、尼僧と景虎の二人。

  ついと、物陰に長秀は身を潜めた。

  別に盗み聞きするつもりは無かったのだが、二人の睦まじい様子に、間に入る

  のを躊躇ってしまったためだ。

  景虎が笑っていた。

  他人を睥睨する冷たい微笑なら、何度も目にしているが、こんな柔らかい笑顔

  は久しぶりに見た気がする。

  尼僧は傘をかかげ、景虎はその足元で何やら花の苗木をいじっているようだ。

  「左門、いかがであろう? まだ大丈夫であろうか…」

  尼僧は景虎の背に問い掛ける。
  「大丈夫ですよ。大方、犬猫の類が掘り返していつたのでしょう。幸い、枝も

  折れていませんでしたし……。

  この雨です。すぐに元通りに根をはりますよ」

  左門と呼ばれた景虎は立ち上がり、尼僧から傘を受け取振り返った。

  総髪を元結いし、周囲の花に負けないほどの容貌でありながら、けっして、弱

  な印象を相手に与えない凛とした顔立ちだ。

  「すみませんね、この雨の中手を煩わせました。あぁこのように、肩も腰も濡

  れさせてしまって・・・…。

  奥で茶を立てます故に、その間に、着物も乾くでしょうし、待ち人も来られま

  しょう。」

  幼子にするように、尼僧は左門の滴をはらう。

  「はい、では、お言葉に甘えまして茶をいただきます。私は少し庭を眺めてか

  ら、まいたいのですがよろしいでしょうか」

   景虎の言葉に、尼僧は頷くと庵へと姿を消した。景虎は暫く花の景色をじっと

  見ていた。

  が、ほどなくして

  「長秀、そこにいるのだろう。出てこぬのか」

  と、後ろも見ずに声をかけてきた。

  物陰から、ゆらりと長秀が姿を現す。

  「大将も人が悪い。気づいていたなら、さっさと声をかけて欲しかったね。お

  かげで、濡鼠だ」

  「それだけ濡れておれば、大差あるまい」

  「主の言葉とは思えんな」

  長秀は文句をいいながら、当然のような顔をして景虎の傘に入り込んだ。男二

  人が入るには、傘が女物で小さい。

  景虎も長秀も身体半分は、雨の下になってしまった。

  「いくらなんでも、これでは……。奥へ参ろう」

  景虎が庵へ目配せをする。

  「勿論といいたいが、尼僧がいては話もままならんのじゃないか?それに、お

  前とういう関係の人なんだ?」

  人を呼びつけておいて、お安くないと長秀は鼻白らむ。

  「あの人は、俺の姉上だ」

  「姉だと?」

  長秀の目が丸くなった。



初出 99'00'00
改稿 03'07'17



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コメント

 長さの都合上、妙な所で区切ってしまい申し訳ありません。
 えらく意味深な姉上ですが、このお話上の流れ上は無関係。
 初出の頃は色々な設定を考えいたはずなんですが、もうすっ
 かり忘れてしまいました(苦笑)。
 原稿及びネタは”生もの”。とっとと使わないと腐って駄目
 ですね。

 このお話は「火輪」以前に書いたものです
 当時、直江と恋愛するよりは千秋の方が絶対に楽だろうにと
 思っていたのが、この話のきっかけ。
 同じ頃「千高」本を合同で出したりしていて、千秋づいてま
 した(~_~;)。