眠り月

えんかい



朝倉と会長が来たら宴会になる、というのはうちのお約束である。
なんでそんなことになったのかと言えば、ひとえに、うちの団長があの二人の度肝を抜くような何かをしてやろうと企てたのがきっかけなのだが、いつの間にか単なるサプライズを用意する場になっている気がする。
というか、期待されている時点でサプライズでもなんでもない。
しかし、それを案外朝倉も会長も楽しんでいるようなので、こちらとしても厄介な客人を不機嫌な状態で帰らせるよりは少しでも機嫌よくお引き取り願いたいわけで、作戦立案担当者としても、これを推進する側に回っているのだが、今回はいつにもまして気が重かった。
というのは、別に俺が今回もまた何がなんだかよく分からん動物の着ぐるみを着せられているからではなく、会長が何を仕掛けてくるかというただその一点に尽きる。
絶対ただじゃ済まされん。
びくつきながらの腰の引けたよく分からん演技の末、ステージから引きずり下ろされた俺は、ようやく着ぐるみから脱出し、ふうと息を吐いたところで、
「お疲れ」
という声と共に無色透明のグラスを差し出された。
差し出してきたのが古泉で、中身がただの水ならどんなによかっただろうか。
しかしながら相手は会長であり、グラスの中身は酒だ。
「汗をかいたなら水分補給しておいたらどうだ」
「お気持ちだけいただきます」
丁重にお断りして、ウーロン茶をグラスに注ぐ。
注いであったものを飲むのはあまりにも危険すぎる。
自分で注いだものさえ、気を付けて口にしたが、とりあえず、アルコールの匂いなんかはしなかった。
ほっとしてグラスを開けている間に、会長はいつの間にか膝にキョンを乗せていて、酒を舐めさせている。
「って、こら! 子供になに飲ませてんだ!」
「そんな強い酒じゃないから大丈夫だろう。それに、子供ってことでいいのか? これが成体でないと言い切る根拠でもあるのかね?」
イヤミったらしいことを言うのは勝手だが、
「心身ともにまだまだ成長の余地があるのは明らかなんですから、余計なものを摂取させないでください」
証拠とは言えないだろうが、たった一口舐めただけでキョンの顔は真っ赤で、体をふらふらと揺らしている。
「キョン、大丈夫か?」
慌てて会長の膝から抱き上げると、キョンはへろんとした笑みを見せて、
「うー……なんかふあふあする……」
「……酔ったな」
ほらみろ、この弱さが子供以外のなんだっていうんだ。
「あるいはアルコールを分解する機能を体内に備えてないという可能性もあるな」
「そういうこともあり得るんだから飲ませないでもらえませんか」
これでもし病気になるだとか、あるいはアルコールが変な風に作用したらどうしてくれるんだ。
ふらふらしているキョンを部屋に連れて行こうかと考えていると、
「じゃあ代わりにお前が飲め」
と言って、キョンが舐めていたグラスを押し付けられた。
「は…?」
「このまま捨てるのももったいないだろう?」
それはそうかも知れないが……なんだってこんなでかいグラスを持たせたんだ。
いや、単純に、会長が使ってるグラスと同じなんだがな。
両手で持たなきゃならんような大ぶりのグラスになみなみと注ぐこともないだろう。
しかし、飲まないと許してもらえないんだろうな。
俺はため息を吐き、
「この一杯きりですから」
と言って、グラスを受け取った。
そうして、一息に酒を煽り――なぜか記憶はそこで途切れている。
次につながる記憶は、翌朝のものであり、その間に何があったのかまるで分からず、俺はまるで自分が記憶の消去処理でも受けさせられたかのような錯覚を覚えた。
それは多分、酷い頭痛のせいもあるんだろう。
水を求めて手を伸ばそうとして、自分が動けないことに気付いた。
拘束されていたからだ。
と言っても、危なげなアイテムによるものではない。
単純に、古泉に抱きしめられていただけだ。
「こ……」
古泉、と呼ぼうとして、はたと気が付いた。
なんで俺は素っ裸なんだ。
古泉はちゃんと服を着ているから、何があったということではないと思うのだが、それにしたってなんだこの状況は。
疲れた顔をして寝ている古泉には悪いが、俺はぺちぺちと古泉の頬を叩いて、古泉を文字通り叩き起こした。
「古泉、おい、起きろ」
「ん……ああ、おはようございます。気分は……」
「史上最悪レベルの頭痛に苛まれてるがそれはいい。気力で耐える。が、何があったのかは教えろ。例によって記憶がない」
一定以上のアルコールを摂取すると記憶が飛ぶのはいつものことだが、それにしたってきれいに飛び過ぎている。
一体どんなに強い酒だったんだあれは。
「なんだったんでしょうね。明かしてもらえなかったので分かりませんが……恐ろしく飲みやすく、かつ、強いものであったのは間違いがないようです」
そう言って古泉はかすかにため息を吐いた。
「一杯だけ、と言ったはずのあなたが二杯目三杯目と飲んでいるので、まずいなじゃないかと僕が止めに入ったら、会長がいきなり僕の肩を掴んで、『で、結局こいつのどこがいいんだって?』とあなたに聞いたんですよ」
「そ……それで……?」
その時点ですでに色々とアウトな気がしつつ、それだけじゃすまなかったのだろう予感をひしひしと感じて先を促した。
「……あなたは答えませんでしたよ」
「え……そうなのか?」
意外にも自制心が働いたんだろうか、と思ったというのに、
「…聞いたことがないようなどすの利いた声で、『離せ』と一言告げるなり、僕を会長から奪い返しましたから」
……聞かなかったことにしたかった。
「大丈夫だったのか…?」
「知りません…。それだけで終わりませんでしたから」
「うぐ」
「あなたは僕のことをきつく抱きしめてご満悦でしたよ。不本意ながら会長も。離してくださいと言ったら悲しそうな顔をして嫌がるし、かといって許していたら今度は珍しく素直に甘えてくるしで……よっぽど押し倒そうかと思ったくらいでした」
「なっ…!」
「それくらい可愛かったんですよ」
どこか拗ねたように言って、古泉は俺を抱きしめ直した。
「俺…何も言わなかっただろうな……?」
「それはなんとか死守しました。それからやっとの思いで部屋に連れて帰ったら今度は何を始めたと思います?」
「し…知らん……」
「ヒントはあなたの今の格好です」
……分かりたくない。
「熱いなんて言い出したかと思ったら、次々それはもう潔く脱ぎ始めて、僕が止めようとしても、もう部屋なんだからいいだろってダダをこねて、あれをどうやって止めればよかったんですか。ねえ!?」
「す、すまん、俺が悪かった」
だから落ち着け。
「大変だったな…」
「……でも、嬉しかったですよ」
「は?」
「……だってあなたが人前で盛大にのろけようとしてくれたんですよ? それだけじゃなくて、甘えて、抱きついて、部屋に帰ってからなんてあなたから誘ったりして……」
嬉しくてたまりませんでした、と繰り返す古泉に、抜けかかっているはずの酒が戻って来たかのように顔が熱くなった。
「本当に嬉しかったんです。それに、部屋に戻ってから、いっぱい教えてくれましたからね」
「な、何をだ……」
「僕のどこが好きなのかとか……僕にどうされたいか、なんてこともたくさん」
「いっ…!?」
一体何を吐いたんだ俺は!
というか古泉、お前も飲んだんだったら余計なことは忘れたらよかったんだ!
にやにやだかにたにただか分からん酷い顔をした古泉は、俺に伸し掛かるような格好になり、
「ああそれから、酔っぱらってるからだめだと言ったら、酔いが醒めたらいいんだなと仰って、約束させられましたよ」
「や、くそく……って……」
「心配しないでください。あなたがしてほしいことをするだけですから」
そう言った古泉の指が、俺の顎をなぞる。
そのくすぐったさから逃れようと顔を上げれば、すかさずキスされた。
隙間なく重ねられた唇から、差し伸べられた舌が俺の舌を絡め取り、強引に吸い上げる。
それだけで、背徳感にも似た震えが背筋を駆け抜けた。
「あっ……、ん、ちょ……ふあ…っ!」
「深いキスが好きなんですね。苦しいからやめろとかなんとか言っているくせに……」
意地の悪い笑みを見せて、古泉は俺の体の中心線をなぞるようにそっと手を這わせる。
「ひっ…ぅ、あ……やだ……って……」
「くすぐったがりなのかと思っていたら、これだって気持ちいいんですって?」
「な……んなこと、な、いっ……」
「嘘吐きはいけませんよ」
そう言ってお仕置きか何かのように乳首をきつく抓られて、のけぞった。
「んっ…!」
「二日酔いの頭痛を気力で抑え込める人が、こんなのが痛くて声を上げるはずがありませんよね。…気持ちいいんですか?」
「ちが……っ、つ、か、おま……耳元で囁くなぁ……」
「好きなんでしょう?」
「ぐ……」
「そう言えば、以前も言っておられましたね。二日酔いの頭にも僕の声なら平気だと」
「それが……?」
「だったら、僕にされるなら他のことでも平気なんじゃありませんか?」
そう酷薄そうに唇を歪めた古泉が俺の腹を撫でおろす。
抵抗しないとまずいと思いながら、それが出来ない。
恥ずかしいし悔しいし腹立たしいってのに、久しぶりに感じる古泉の熱さに止められなくなる。
「や……だ、こんな……時に……」
「誰が来ていても関係ありません。大丈夫ですよ。防音はされてますし、あなたが僕の部屋で過ごしたって、今更おかしく思われたりしません。痕を残したりしないようにだけ気を付けますから……ね……」
そう言って古泉はさりげなく自分の熱を押し当ててきた。
酷く熱くて、もう負けるしかないとさえ思ったその時だ。
古泉の端末が緊急時用のけたたましい音を立てた。
慌てて俺から離れた古泉が、端末を開き、
「なんでしょうか」
と冷静になりきれない声で応じた。
『よう、そろそろ起きて来い』
「………あなたですか」
心底嫌そうな声になったのが、会長にも分かったんだろう。
クックッと喉を鳴らして笑ったかと思うと、
『邪魔して悪かったな。だが、そろそろ来ないと乗り込むぞ』
「……緊急用のコードを使ってまで言うことですかそれが」
『緊急だろ。じゃあ、後でな』
一方的に会話が打ち切られ、古泉は深い深いため息を吐いた。
「そういうことですから、早く身支度を整えて行くとしましょうか」
「お……おう、そうだな……」
こんなところでこんな時間にあれ以上のことに及ばずに済んでよかったはずなんだが、何やらすっきりしないものを感じたのは……わがままかね。