眠り月

ささつ



その日、呼び出されてSOS団の根城に足を踏み入れると、いきなりハルヒの不機嫌な面が目に入った。
デスクに肘をつき、反対の手では苛立たしげに指先でデスクを叩いている。
「あーもう……なんでよりによってあいつが来るのよ」
その唸り声を聞いた途端、どういうことなのか理解した。
それと同時に逃げ出したくて堪らなくなる。
普段ならこの声を聴くのは宇宙空間のどこかで、逃げ出すわけにいかないが、今は幸いにして惑星の土の上にいる。
おまけにこの恵まれた星なら、一か月やそこらサバイバル生活をしても生き延びれるだろう。
古泉に一か月会えないってのは少々つらいが、ハルヒとあいつの抗争に巻き込まれるよりはずっとましだ。
今すぐ逃げ出そう。
そう決めた瞬間、
「キョン!」
とハルヒが怒鳴った。
……やっぱり逃げられる訳ねえか。
「あいつが来るのか」
「そうよ! あんなのが査察に来るなんて……」
ぎり、と歯噛みするほど毛嫌いしていると知っていて、上層部もあいつをこっちによこすんだろうな。
何しろあいつとハルヒは不倶戴天の敵と言っていいほど嫌いあってるようなもんだから。
……正確に言えば、あいつは別にハルヒを嫌ってはいない。
ただ、ハルヒをおちょくり、からかい、揚げ足を取って面白がるだけで。
全く……あいつも暇なのがいけないんだろうな。
何か仕事をさせてやってくれ。
査察官なんて退屈なもんじゃなく、もっと実践的なことをやらせろ。
……と言っても、下手に実権を持たせるわけにいかないんだろうな。
やれやれだ。
「落ち着けハルヒ。今回こちらにケチをつけられるようなものはないだろ」
「あいつなら基地の壁の色にだってケチをつけるわよ!」
それはそうだろうが、流石にそれを報告書に書くほどではあるまい。
そんな単純な人間ならこっちももっと楽だ。
あいつはそうじゃないからこそ面倒なんだからな。
しかし、お前のセンスが馬鹿にされるくらいなら我慢しろなどとは口が裂けても言えないので、
「少なくとも上に報告するほどのことでケチをつけれることはないだろう。この惑星を見つけたのは俺たちなんだから、ここの調査や開拓、入植だってうちの乗組員に優先権があるはずだ」
元々縮小するなんて話が出てたくらいだからな。
むしろ入植なんかで人員が減るのは大歓迎のはずだ。
「査察ってのも形式上のもんだろう。どーんと構えとけ」
「あいつと顔を合わせるってだけでも嫌なのよ」
と唸るハルヒに、俺はため息を吐いた。
こりゃあ当分荒れそうだ。
「とりあえず、査察に入られても何もケチがつけられないように、色々準備しておくってことでいいか?」
「むー……こっちが守りに入るみたいで気に入らないけど、とりあえずはそれでいいわ。ついでに、あいつをぎゃふんという目に遭わせられるようなことを考えて置いて頂戴」
無茶苦茶言いやがる。
しかし断ることも出来ん。
俺はしぶしぶ頷いておいて、可能な限りの準備を始めるしかなかった。
そうして、一週間ほど後にやってきたのは、軍部における事務方トップである朝倉と査察官の通称会長だった。
朝倉は俺やハルヒと同期ではあるのだが、ひょっとするとハルヒ以上かも知れないというくらいのスーパーウーマンである。
記憶力もよければ頭の回転も速く、かといって仕事一筋という訳でもないそつのなさを見せる。
ハルヒと仲が悪いということもないと思うのだが、ハルヒの方に少しばかり苦手意識があるのを分かっていて、それをつつくような真似をするあたり、一筋縄ではいかない女性だ。
一方会長はと言うと、何がどうしてそんな呼び名を好むのか知らないが、もともとの出自がやばいとかなんとかいう話で、そういう妙な呼び名で呼ばれているうちの名物名誉職である。
査察官というのは文字通り、査察を行うのが仕事ではあるのだが、うちの規定では査察官が出来るのは査察だけであり、その結果が即評価につながるのかと言うとそうではない。
査察の結果を更に細かく追捜査する機関もあれば、そもそもの査察官を監督する部署の方が相当厳しかったりして、窮屈な部署なのだ。
おまけに、査察官は規定上、他の部署で出世することも出来なければ上部組織にもいけない。
出世においてはとんだ行き止まり地点って訳だ。
それで名誉職と言われたりするということだな。
しかし、それを面白がっている節のあるこいつが来るとなると、非常に面倒だ。
俺は可能な限りにこやかに、
「遠いところをお越しいただきおそれいります」
と声を掛けた。
朝倉はにこっと微笑んで、
「あらキョンくん、別にかしこまらなくてもいいのよ。いつも通りにしていて」
と言ってくれたが、鵜呑みにし辛い言葉だ。
会長はと言うと、
「相変わらず、俺には慇懃だな」
などと冷笑していやがる。
誰かこいつらを、いや、会長を黙らせてくれ。
余計なことを言うのは確実にこいつだ。
苛立ちを抑え込みながら、二人を会議室に案内する。
それはもちろん、愛用しているあの部屋ではなく、応対用のお堅い場所だ。
というか、なんで俺が出迎えねばならんのだろうか。
くじ引きでこんなもん決めるってのがすでに作為的に思えるのは気のせいか。
ともあれ、会議室まで連れて行けば、ひとまず俺の仕事は終わりだ。
…その後さらに憂鬱な仕事が待っているとしても。
「ここに来るのも久しぶりよね」
と言っている朝倉は楽しそうに見えるが、そこで油断するとどんな目に遭わされるか分からんので、俺はつまらない返事しか出来ない。
「そうですね。一年ぶりでしょうか?」
「前に来たのは戦争が終結した頃だから、そんなものね。元気そうでなによりだわ」
「そういうセリフは他の人間の顔を見てから言ってくれませんか」
「あら、キョンくんが元気そうだからそう言ったのに?」
「……元気そうに見えますか」
「うん、とっても」
ハートマークがついてそうな響きの声がこんなにも嬉しくないのはなんでだろうな。
ため息をかろうじて飲み込んだ俺に、会長が余計なことを言いやがる。
「確かに、前よりは肌艶がいい気がするな」
「気のせいでしょう」
「ばっさり切り捨ててくれるな」
楽しそうに言っておいて、会長はなれなれしく俺の肩に腕を置きやがった。
「俺はお前に会いたくて、数万光年の距離を飛び越えて来たってのに」
「気持ち悪いことを耳元で言わないでいただけますか。それから、ワープ航法が発達した今、距離なんて物の数にも入りませんよ」
「つれないねぇ…」
ぞわっとするようなねちっこい声に逃げ出したくなった。
が、幸い助けは来てくれたようだった。
「お待ちしておりました」
という涼やかな声と共に、会議室の方から古泉が来てくれたのだ。
「久しぶりね、古泉くん」
あくまでもにこやかな朝倉にはにこやかに、
「はい、お久しぶりです」
と返し、
「出たな…」
と呟いた会長には、一見にこやかなままだがその実恐ろしくうそ寒い笑みで、
「相変わらずなご様子ですね」
と皮肉っぽく言った。
俺は出来るだけさりげなく会長の腕を振り払い、
「後は任せた」
と古泉に任せて、先に会議室に入った。
やれやれだ。
「キョン、朝倉さんたちは?」
「いつも通りだよ」
「そう」
と言ったハルヒは浮かない顔だ。
ハルヒにも意地があるから口には出さないが、いつも通りということは手ごわいと言うことだと理解しているのだろう。
「なんとかなるだろ」
「なんとでもなるわよ」
そう言ってくれたら安心だ。
とりあえず席についたところで、
「失礼します」
という声がして、古泉が朝倉たちを連れて入ってきた。
「こんにちは、涼宮さん。相変わらずね」
どこかとげのある挨拶をする朝倉に、ハルヒは不機嫌さを隠しもせず、
「あなたもね、朝倉さん」
「ふふっ、ありがとう。…他のみんなも変わりないようでよかったわ」
そうして見渡しておいて、
「それで、噂の新種の生物はどこにいるの?」
と軽やかな声で歌うように言った。
ハルヒはワニ目で朝倉を睨みつつ、手を叩いて合図をした。
そうして、部屋の中に入ってきたのは、きちっと制服を着たちびたちだ。
今日ばかりはちみっこも目を覚ましているし、キョンも逃亡を図ろうとはしていない。
ちゃんと整列してきちんと行進をして見せたちびたちに、朝倉は微笑ましげに目を細めた。
「あら、本当に可愛いわね」
その瞬間だった。
思いもよらないやつが予想外の動きをしやがった。
きちんと整列していたはずの奴らの中でもノーマークだったそれが突如驚くほどの跳躍を見せ、朝倉に襲い掛かったのだ。
それが何者なのか、いや、何が起きたのか理解するよりも早く、朝倉はそれを地面に叩き伏せた。
「…っ」
かすかなうめき声をあげて落下したのは、ながとだった。
「ながと!?」
「どうやら躾が必要みたいね」
なんでもないような涼しげな顔で朝倉はそう言ったが……なんでこいつが文官なんてやってるんだろうな。
返り討ちにあうのなんて初めてだったんだろうながとは床に転がったまま呆然としているくらいだし、キョンはと言うと憧れの目で朝倉を見つめている。
で、ながとの飼い主…というか保護責任者である長門はというと、
「あなたがそうしたいのなら、任せる」
と朝倉に言っていた。
いいのかそれで。
「いいの? 厳しくするわよ?」
「必要なこと」
「じゃあ、ここにいる間、ちょっと口出しさせてもらうわね」
と笑う朝倉が、半端でなく恐ろしく見えた。
そうして、朝倉があれこれ細かい報告を受け始めると、会長は退屈したような顔で俺を見た。
お前のアイコンタクトなんぞ受け付けんぞと目をそらしたのもむなしく、
「俺は他の場所を見せてもらおうか」
正直に退屈したと言わないだけましなんだろうか。
というかハルヒよ、いくら嫌いだからと言ってこいつをガン無視することもないだろ。
おかげでこっちに妙なしわ寄せが来るじゃないか。
しかし、文句を言ったところで無駄なんだろう。
俺は諦めの溜息と共に、
「では、こちらへ」
と棒読みのセリフのように呟いて、会長とキョンを連れて会議室を出た。
正確には、キョンを連れ出したかった訳じゃない。
勝手についてきただけだ。
多分こいつもじっとしてるのに飽きてたんだろう。
普段はそんなことしやしねえくせに、全く知らない人間がいるからか、俺の手を軽く握って、会長を警戒するような目でにらんでいる。
「こいつがお前の子供か」
「子供じゃありません」
「子供みたいなもんだろ」
そう言ってどこか下卑た笑みを浮かべてすら絵になるっつうのは、美形の特権だろうか。
尚更腹立たしい。
「それにしても、」
と会長は更にその笑みの形を酷くして呟いた。
「お前ら、なんか雰囲気変わったな」
「なんのことですか」
「とぼけんな。古泉とのことだ」
「分かりませんね」
「古泉とようやく付き合うことになったのか?」
「何がです?」
何で分かるんだと思いながらも空っとぼける俺に、会長は軽く眉を寄せて不快を示した。
「とぼけんなよ。付き合ってないと言い張るんなら、俺にだって考えがあるぞ」
「は?」
「たとえば……そうだな」
ニヤっと笑った会長は、いきなり俺の肩に腕を回してきた。
「ちょっ……!」
「これくらいのことはしても構わんよな?」
「……セクハラで訴えますよ」
「随分と嫌われたものだな」
「あんたがうっとうしいからでしょう」
いらだちながら腕を振りほどく。
「俺に嫌がらせをするくらいなら、こっちを構ったらどうです?」
とキョンを引っ張り出してやると、キョンがぎゃっと悲鳴を上げて、
「俺を身代りにするな!」
と文句を言ったが、そういう態度はここにいる悪いおにいさんの興味を誘うだけだぞ。
「ほう。大人しくしてるだけかと思ったら、そうでもなさそうだな」
「ええ、一番やんちゃで困ってるくらいですよ」
「俺が躾けてやろうか」
「それはお断りします」
あんたに任せたらどうなるか、考えたくもないからな。
間違いなく、余計な入れ知恵しかしないに決まってる。
「ふん。…それにしても、別に隠さなくったっていいんじゃないか?」
「何の話です? 勝手な憶測を軽々しく口にされては迷惑なんですが」
「別に捕まえようってんじゃねえのに」
うるせえ。
「軍律違反にもならんだろ。戦時じゃないんだし」
誰かこいつを黙らせろ。
いい加減相手をするのにも疲れてきた。
まだこれから案内しなきゃならんっていうのにどうすりゃいいんだ。
深いため息を吐いたところで、俺の端末が鳴った。
「幕僚総長?」
『すみません、こちらに戻っていただけますか? 作戦参謀から説明していただきたいことがあるので』
「了解しました」
『会長の案内役は別の方を手配してありますので』
「恐れ入ります。それでは」
そのやりとりを聞いていた会長はというと、わざとらしいため息を吐き、
「職権乱用の方がよっぽど問題になるんだがな」
と呟いたが、聞かなかったことにしてやった。
「ま、そんなところまで目くじら立てるまでもないから見逃してやる」
そう言っておいて、会長はこれまでで一番悪辣な笑みを見せ、
「また宴会でな」
と言われてげんなりした。