眠り月
ツンデレは好きですか?
古泉一樹は誰が好きなのか。
そんなことをよく聞かれるようになったのはたしか、とんでもなく忙しく、滅茶苦茶な楽しさに満ちていた高校一年という短い時が早くも終わろうとする頃だったと思う。
そこから推測すると、その頃からあいつが、いわゆるお付き合いの申し込みという告白に対して、「好きな人がいるんです」などという返事をするようになったということだろう。
実際、あいつはその頃から変わったと思う。
何が、とは言いづらいんだが、ちょっとした受け答えだとか投げかける視線が柔らかくなった気がする。
その頃に好きな人が出来たってことなんだろうな。
ともあれ、そんな質問をされても、俺には答えようがない。
知らないと返事をするだけだ。
だが、本当は見当くらいついている。
良くも悪くも、毎日のように顔を合わせてるんだ。
それくらい、分からんでもない。
古泉の思い人はおそらく、ハルヒだ。
根拠を示すならこうだ。
ハルヒの影響を受けて変わったという意味で言えば、あいつが一番劇的だっただろう。
何しろ、普通の中学生が一転して訳の分からない空間で戦うエスパー戦隊の一員だ。
それはもう想像を絶するほどの葛藤や苦悩があっただろう。
朝比奈さんは仕事でこの時間平面に来ているだけ、長門はそもそもハルヒがいなければ存在しなかったということを考えれば、変えられたという面ではあいつもっとも影響を受けたと言ってもいいと思う。
それなのに、あいつがハルヒを見る目はとても優しい。
何があっても許す、あるいは甘受するのは、ただの諦観とは思えない。
そこになんらかの愛情なんてものがあるんじゃないかと想像するのは、下種の勘繰りと言われるほどのことではないだろう。
だが、あいつはハルヒに告白すら出来ないらしい。
あいつにだってそれはもう複雑な心境や立場があるんだろうが、そんなもん、放り出しちまったっていいだろうに、あいつはそうしない。
どこまでも自分を抑える。
普段は意外と軽かったり、ハルヒの無茶な提案を止めもしないくせして、そういうところだけ妙にストイックなのだ。
いっそのこと、告白しちまえばいい。
そうして、くっついちまえ。
半ばやけっぱち気味にそう思うくらいには、俺はどうやら古泉のことが好きで堪らんらしい。
何がどうしてこうなっちまったのか、俺の方が聞きたい。
それから、どこが好きなのかなんてことも聞いてくれるな。
むしろ嫌える要素を教えてくれなどと寝ぼけたことを言いだす自信がある。
なお、教えてくれるのはいいんだが、その場合俺から鬱陶しい反論があることを覚悟してくれ。
さて、古泉にさっさと告白しちまえとせっつく俺だが、俺が告白するつもりは全くない。
そんなもん、無駄でしかないと分かってるからな。
男同士ってだけでもハードルが高いってのに、相手には思い人がいると来た。
俺は、玉砕しかない結果に向かって突き進むほど愚かじゃないつもりだ。
そんな訳で少しばかり後ろめたいものを感じながらもただの部活仲間として過ごしているのだが、ある日の帰り道、古泉が唐突にこんなことを言いだした。
「あなたは好みのタイプとかあるんですか?」
「ハァッ!?」
思わず声が裏返った。
分かってて言ったのかと思ってぎょっとした。
が、そういうことではない……はずだ。
俺は不自然でないように気を付けながら顔をそむけ、
「……いきなり何を言い出すんだお前は」
「いえ、ずっと気になっていたんですよ。でも、聞く機会がこれまでなかったので。思い出したついでにと思いまして」
「ついでに、な」
俺は小さくため息を吐いて、恨みがましく古泉を見た。
「そういうのは言いだしっぺから先に言うもんだろ」
「おや、僕の好みなんて全く興味がないかと思いましたが……」
「一方的に聞かれるだけってのは割に合わん」
「それもそうですね」
そう笑った古泉は、少し考えるようなふりをしておいて、その実全く考えてないんだろう返事を寄越した。
「好み、というほどこだわりがあるわけではないのですが、いわゆるツンデレタイプと付き合いたいですね」
「……ツンデレって……お前……」
「ご存じありませんか? ツンデレ。そうですね、簡単に言ってしまえば素直に好意を示せないタイプと言ったところでしょうか」
「講釈はどうでもいいし、ツンデレの意味くらい俺も知ってる」
というか、ツンデレってのは要するのハルヒのことだろ、と言いかけてなんとか飲み込んだ。
そんなこと言って、おやご存じだったんですかよければご協力願えませんか等と言われた日には当分立ち直れる気がしない。
だから俺は、あいつが実行することはありえないと高をくくって、こう言ってやった。
「付き合いたきゃ付き合えばいいだろ。近くにいるんだからな」
吐き捨てるように言った俺を、古泉はじっと見つめ、それから柔らかく目を細めた。
「いいんですか?」
「いいも何も……」
「いいってことですよね」
古泉にしては珍しく畳み掛けるようにそんなことを言うから、まさかこいつは俺もハルヒを好きだなんて誤解をしてるんじゃないだろうなと思い、その可能性は十分あると判断して、
「ああ、好きにしろ」
と言った。
……そう言うしかないだろう。
ところがだ。
「それでは、」
と言って古泉は俺に向かって手を差し伸べ、
「お付き合いいただけますか」
「…………は…?」
「いいんですよね?」
「……ちょ………っと待て」
「はい?」
俺の戸惑いの理由なんぞよく分かってるんだろう。
人の悪いにやにや顔で俺の反応を楽しんでやがる。
「そのお付き合いってのは何だ、連れションでもする気か」
「とぼけないでください。今の会話の流れで分かるでしょう?」
「いやいやいや、お前こそ冗談はほどほどにしろ。今のは笑えない上にブラックすぎる」
「そうですか? 僕としては冗談のつもりなんてないんですけどね」
「嘘吐け。大体な、俺のどこがツンデレだ」
「十分ツンデレですよ。自覚してないんですか?」
自覚してないも何も、俺はツンデレじゃねえ。
「ツンデレでしょう。涼宮さんのことを憎からず思っているのに酷くこき下ろしたりするじゃないですか」
「憎からずってのはなんだ、含みのある言い方をするな!」
「では、こう言いましょうか? 涼宮さんのことを色々な方面で認めているのに、それを口にせず、言葉にするのは彼女の問題点だけ、というのはフェアじゃないと思いませんか?」
「フェアとかそういう問題じゃないだろう。大体あいつは、」
「そう言う風に、思わず反発して心にもないことを言ってしまうのも、ツンデレらしいかと」
「心にもないことなんか言ってねえよ」
「では、思ってはいるけれど普段なら言わずにおくことを勢いに任せて言ってしまうと言い換えましょうか。それでも同じでしょう」
「違う!」
「あなたがそう仰るのはあなたの自由ですけど、僕から見ればあなたも立派なツンデレですよ」
そう楽しそうに喉を鳴らした古泉は、わなわなと怒りに震える俺からちょっと目をそらし、
「素直に好きと言えないきみも」
と酷く聞き覚えのある歌を、しかしながら正確な音程で口にした。
というか、
「お前がそれを歌うな! その歌は朝比奈さんが歌うからいいのであって、お前が歌ってもどうしようもない!」
と言ったのは、今度こそ「心にもない」セリフだった。
正直俺は慌てていたんだ。
俺が古泉を好きだと言うことを見抜かれているんじゃないかと怯えていたと言ってもいい。
「つれないですね」
くすくすと笑った古泉は、
「それで、結局、お付き合いいただけないんですか?」
としぶとくも言ったってのに、俺はからかわれているのが完全に頭に来ていた俺は、腕組みして古泉を睨み上げ、
「付き合う訳ないだろ。冗談でもそんな話に乗れるか。お前なんか大っ嫌いだってのに」
と言った。
……いや、正直に言おう。
俺はそう言ったんじゃない。
怒鳴ったんだ。
古泉は軽く肩を竦め、つまりはいつも通りに、傷ついたという様子もなく、
「それは残念です」
と言い、そうして、この訳の分からん会話は終わった。
しかし、次の話題がいつまで待っても始まらない。
俺の方から新しい話題を振ることも出来ん。
よって、俺は思い切り後悔に浸る羽目になった。
嫌いだの大嫌いだのとまで言うつもりはなかったのに、勢いに任せて何を言ったんだ俺は。
くっそ……なんで自分から心証を悪くするようなことをしちまうんだ。
ずぶずぶと凹もうとしていた俺の耳に、古泉の鼻歌が聞こえた。
ハミングだから、本当に鼻歌だな。
耳慣れた、しかしながら少しばかり違和感のあるそれは、さっき古泉が歌ったあの歌だった。
「だから、お前はそれを歌うなと言っただろうが」
そう咎めた俺に、古泉はくすぐったそうに笑って、
「僕もまた、素直に好きとは言えないんですよ」
と言ってウインクしやがった。
……って、ちょっと待て。
「なんです?」
「どういう意味だ」
古泉は少しばかり意地の悪い形に唇を歪め、
「そうですね……ひとつ、ヒントを出しましょうか」
ヒント?
「僕の好きな人は涼宮さんではありません」
それだけです、とばかりに、俺に背を向け歩いて行く古泉を、俺は呆然と見つめた。
なんだって?
古泉の思い人はハルヒじゃない?
というか、それをどうして俺に言うんだ。
俺がそう思っていたと分かってたのか?
嫌味なくらい正確な音程であの歌を口ずさみながら歩み去ろうとする古泉を、俺は慌てて追いかけた。
後のことなんか知るもんか。
追いかけてどうするかなんてことも考えてない。
ただ古泉を追いかけて、問いただしたいことが……それから、訂正したいことが山ほどあっただけの話だ。
それ以降、古泉の「お断り」文句が少しばかり変わったなんてこととは、まったく関係のないエピソードである。