眠り月
ほかく
普通、宇宙船の中に浴場なんてもんは存在しない。
よっぽど贅沢してるのならともかく、そんな無茶な水の使い方はやりたくても出来ん。
限りある資源を繰り返し繰り返し丁寧に使うのが最優先だからな。
よって、体が汚れたらエアシャワーなんかを使うのが普通だし、そうでないにしても、軽く体をぬぐうくらいのもんだ。
それか、水よりもっと少量で済む薬品なんかで体を洗うくらいか。
ともあれ、風呂なんてものはないのだが、我々のDNAのどこかに、風呂に入りたいという欲求が刻まれているらしい。
よって、住宅だ基地だのを建築する傍ら、真っ先にオープンしたのは、仮設の大浴場だった。
「せっかく水のある星に着いたんだもの! 何はともあれ旅の垢を落とさなきゃ!」
というハルヒの提案によるものであることは言うまでもない。
それでも、ハルヒも鬼ではないし、世間の評判ほど身勝手でもない。
浴場は階級の低い兵や裏方の連中から使うことに決められ、俺たち上層部は一番最後に入ることになった。
仮設とはいえ、資源は豊富にあるし、水だってすぐさま浄化されるので、終い湯でもなんら問題はないはずだったのだが、唐突に問題が発生した。
キョンが姿を消しやがったのだ。
ご丁寧に、服に取り付けてあった発信機まで外して。
おかげでどこに行ったものかさっぱり分からん。
「あいつ……どこに逃げやがったんだ」
ため息を吐く俺に、古泉は苦笑して、
「お風呂がどんなものか、説明はしないでおくということでしたよね?」
「ああ。あれでも猫らしく、水が嫌いってのは分かってたからな」
何しろ、洗面すら嫌がって、舐めて済ませてたくらいだ。
風呂に入るなんて言ったら逃げ出すに決まってると分かっていた。
「どうやら、先に入った連中の話を聞いちまったらしくってな……」
「……部屋に隔離しておくべきでしたね」
「だな」
まあ、今更嘆いても遅い。
「わん古も一緒に行っちまったんだろ?」
「ええ、そのようです」
「まとめて取っ捕まえて、風呂に放り込むぞ」
「はい、頑張りましょう」
と言ってる古泉が妙に嬉しそうに見えるのは……気のせいなんかじゃないんだろう。
俺はもう一つおまけのようなため息を吐き、
「…その前に、お前はそのにやけた面をなんとかしろ」
「すみません。…あなたと二人で何かをする、というだけで嬉しくなってしまって……」
「あほか」
罵りながら、俺は先に部屋を出て、心当たりを回ることにした。
後から慌ててついてきた古泉を引きつれ、会議室やデッキ、キョンの好きな物置の隅まで見て回ったのだが、姿が見えん。
というかだな、
「あいつら……女性陣に取り入りやがったな……」
俺が唸ると古泉も苦笑して、
「どうやらそのようです」
見なかったか、とそこいらにいる人間を捕まえて聞いても、返事があまりに芳しくない。
というか、嘘を吐かれたり誤魔化そうとしているのがありありと分かる。
相手が女性でなければ締め上げるところなんだがな……。
「この男女平等社会でも女性を優先させるあなたはお見事ですよ」
と笑った古泉だったが、
「僕としても、女性に乱暴したくはありませんけど」
「だろ。……しかし、どうやったもんかな」
「作戦を練るのはあなたの得意なことでしょう?」
「つってもなぁ……」
子供なんてどうやって捕まえりゃいいんだ。
それとも、あいつらの味方をしている奴らをみんなこちらに寝返らせればいいのか?
「……仕方ない」
あまり大事にはしたくなかったんだが、こうなったら他に方法はない。
「艦外への外出はあいつらだけじゃさせないことにしてたよな?」
「はい。それは流石に守られているでしょう。出入りの記録はつけてありますし、子供だけで未知の惑星を散歩させるほど、甘くもないと思いますし」
「だな」
俺は端末を開き、出入りの記録を確認する。
あいつらの外出はない。
なら、まだ艦内にいる。
「幕僚総長に申請します」
「なんでしょうか」
「各艦を繋ぐ通路及び、居住ブロック、通信ブロック、娯楽ブロックその他各ブロックごとにシャッターを下ろして封鎖します。出入りの条件に制限は課しませんが、認証と記録を行うということでいかがでしょう?」
「いいでしょう。許可します」
「ありがとうございます」
古泉がぽちぽちと端末を叩くと、通路とブロックの封鎖を告げるアナウンスがこちらの端末にも入る。
それから、と俺は端末をいじくり回し、逃亡したちび共の写真を手配書風に加工してやった。
それに、こんな文章を付けて、全員に伝達を飛ばす。
内容は簡単だ。
『キョン及びわん古の二名を指名手配。罪状は風呂を前にしての敵前逃亡。処分は風呂でのクリーニングとする。捕獲した人間には粗品または風呂上がりのふわふわもこもこを撫でまわす権利を進呈する』
とな。
ふざけた内容だが、ハルヒ率いるお祭り好きの連中だ。
こういうのに乗ってくれる奴も一人や二人じゃないだろう。
案の定、
『あたしが見つけます!』
とか、
『一緒にお風呂に入れてもいいですか?』
などという反応が返ってきた。
頼んだぞ、と思いつつも、俺も探さなきゃな。
この場合、待ってるだけって訳にもいかんだろ。
「行くぞ、古泉」
「はい。とりあえずは、この艦からでいいですかね」
「多分な」
「早く見つけたいですね…。そうしたらあなたと……」
「幕僚総長、戯言は口に出さないでください」
俺がそうたしなめると古泉は軽く肩をすくめて黙った。
そんなこんなで、しらみつぶしに探し回っていると、
「捕まえたぞ」
と死にそうな谷口の声が入ってきた。
「お、よくやったな」
「つか、キョン! お前一体どういう教育してんだよ!」
涙目で怒鳴るな、気色悪い。
「俺がどんな目に遭ったと思ってんだ……」
うっうっと男泣きする谷口の話によると、どうやら大変なことがあったらしい。
お祭り感覚で艦内が騒がしくなってきたところで、谷口は物陰に潜むわん古とキョンを見つけたらしい。
そろそろと次の物陰へと移動しようとしていたのを発見し、
「お、ちびキョンにわん古、どこ行くんだ? キョンが探してたぞ」
と声を掛けた谷口に、ぴゃっと飛び上がったキョンは、
「たっ、谷口…!」
と声を上げたものの、なんとかその場をしのごうとしたんだろうなぁ。
「おっ…俺は……俺は作戦参謀だ! 谷口、お前、いくら友人だろうと勤務中になれなれしくすんなよ」
と言って俺のフリをして逃げようとしたらしいのだが、もちろん通用するはずがなかった。
「それでごまかしてるつもりってのが可愛いけどよ……」
と呆れた谷口は、
「そんじゃ、作戦参謀、任務が待っているようですから、部屋に戻りましょうか」
などと言いながらキョンを小脇に抱えた。
軽々と抱えられたキョンは悲鳴を上げて暴れる。
「ぎゃっ! なっ、何すんだ! 持ちあげんなあほ谷口いいいいいいいいい!」
「……この辺の口の悪さは誰のせいだ? キョンか? それとも涼宮か?」
首をひねりつつ、谷口が確保したのはキョンだけだった。
それはある意味正しい。
キョンを確保しちまえば、わん古はキョンについてくるに決まってるからな。
だが、野放しにしておいたのはよろしくなかった。
「わあああああああああああああん離せええええええええええ!!!」
じたばたじたばた暴れるキョンを、わん古が大人しく見ているはずがない。
「キョンくんを離しなさいっ!」
と勇ましく吠えるやいなや、谷口の脚に思い切り噛みついたのだ。
「いっ……てええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」
という谷口の悲鳴がブロック内に響き渡ったのは言うまでもない。
それでもキョンを離さなかった谷口はなかなか立派なもんだ。
聞きつけて来た連中の助けでわん古と引き剥がし、ようやく俺に連絡を寄越したということだった。
「そりゃ…すまなかったな。治療費はこっちで見てやるから早いとこ医務室に搬送してもらえ。謝礼は……あー…飲み代でいいか?」
「おう、朝まで付き合えよ。散々文句言ってやる」
と唸るのをへいへいといなしながら、キョンを受け取った。
「ぐううー…」
と唸りながらこちらを睨み上げてくるキョンをがっしりと掴み、
「唸っても放してやらんから、無駄な抵抗はやめて諦める」
「むぐう…」
今度はぷくっと膨れてやがる。
どうしたもんかと思いつつも、足は風呂の方へと向ける。
「苦手なのは風呂じゃなくて水だろうが。風呂は気持ちいいんだぞー。綺麗になってさっぱりするし」
「俺は十分綺麗だ」
「ほー。あちこちほこりだらけに見えるがな」
というか、いったいどこをどうやって逃げ回ったらこれだけ薄汚れた姿になるんだ?
艦内はダクトだってきっちり掃除されてるはずなんだがな。
「べ、別に風呂じゃなくてもいいだろ。綺麗になれば…」
「理屈じゃな。だが、風呂は格別なんだ。いいから一緒に入るぞ」
「いーやーだー!」
「嫌だって言うんだったら、わん古に手伝ってもらうのか?」
「なっ、なんでだ!?」
「毛づくろいするとか」
それを聞いたわん古は古泉に抱かれたままキョンを見て、
「入らないなら毛づくろいしなきゃですよ」
と言う。
俺はその尻馬に乗っかるような形で、
「そうだ、わん古にべろんべろんに舐められるぞー」
と脅し半分で言ってみたのだが、
「みゃっ!?」
と悲鳴を上げたキョンは、しばらく悩んだ挙句、
「……うー………入る……」
不承不承頷いたので、わん古が盛大にショックを受けていた。
かわいそうに。