眠り月

光 (後編)


世話になっている果樹園まで古泉を連れ帰り、俺のベッドを貸す形で休ませた。傷からの血が止まる様子はなく、核の傷ももちろん癒えない。
むしろ、少しずつその輝きが失われていくのが怖かった。
日が経つにつれて、古泉は寝ていることが多くなり、目を開けることも少ない。
そのくせ、起きている時には俺と話したがるので、自然と、時間がある時には部屋で過ごすことが多くなっていた。
今日も、作業を終え、夕飯前に部屋に戻ったのだが、古泉は静かに……それこそ、寝息も聞こえないほど静かに眠っていた。
死んでいるんじゃないかと心配になる、と俺がぼやいたことがあるのだが、その時古泉は小さく微笑んで、
「死んだら核だけになりますから」
とちっとも安心できないようなことを言いやがった。
本当に素直じゃない。
「…古泉」
小さく声を掛けてみたが、反応はない。
よく眠っているんだろう。
それを邪魔するのも悪いと、俺はそっと部屋を出て、小さくため息を吐いた。
何も出来ない自分が悔しい。
「キョンくん…」
小さな声がして顔を上げると、果樹園主の娘がこちらを見ていた。
俺のことを実の兄のように慕ってくれているその子を、俺も妹のように思っている。
だから、その顔が心配そうに曇っているのを見て、笑みを作った。
「どうした?」
「古泉くん、起きられないのー?」
「ああ、今は寝てる」
「…そっかぁ……」
そう残念そうに呟いて、気丈にも笑って見せる。
「早く元気になったらいいね」
「…そうだな」
「キョンくんも元気出して」
「大丈夫だ。…ありがとな」
「…うんっ。もうすぐご飯だからねー」
とととっと可愛い足音を立てていなくなるのを見送って、俺はもう一度部屋に戻った。
「古泉、夕食の時間だが……気分転換がてら、少し食べてみないか?」
起きないならそれでいいと、聞こえるかどうかというような大きさの声を掛けてみると、今度は薄く目を開けた古泉が、律儀に笑みを見せて、
「……僕はいいですから…あなたは食べてきてください…」
「……そうか」
そう言うだろうと思ったよ。
けど、まだ腹もそう空いてなかったし、古泉がせっかく目を開けたんだからと、ベッドの側に座った。
「…なあ、どうやったら治せるのか、お前は知ってるんじゃないのか?」
俺が問いかけると、古泉は迷うように視線をさまよわせた。
それがもう、答えみたいなものだろう。
古泉もそうと分かっていたに違いない。
「……ええ」
「教えてくれないか。それが俺に出来ないことなんだろうとは思うが、もしかしたら誰かに頼んだりできるかもしれないだろ」
「…無理ですよ」
と古泉は呟いたが、それは自嘲するようなものではなく、諦めと悲しみの滲んだものだった。
「珠魅の傷を癒せるのは、同じ珠魅が流した涙だけです。そして……我々はいつの頃からか、涙を失いつつあるんです」
「…涙を失いつつあるって……」
「泣けないんですよ」
と古泉は困った顔をした。
「本来、僕たちは姫と騎士という役割に分かれ、二人一組で行動するものです。それは性別による区別ではなくて、姫は涙を流し、癒すもの、騎士はその姫を守るものという違いなんです。ですから、外見上男であっても姫であることはありますし、女性の騎士もいます。でも……それも今ではあまり意味のないものです」
「……泣けないから、か」
その通りです、と古泉は頷いた。
「全ての珠魅が全く泣けないわけではありません。でも、昔と比べると遥かに、涙を流せる珠魅の数は少なくなってきています。いつか、誰も涙を流せなくなり、珠魅が滅びる時が来るのでしょう。……珠魅は、狩られなくても滅びて行く種族なんですよ」
そう言って古泉は悔しげに眉を寄せた。
泣き出しそうな顔に見えるのに、涙はにじまない。
「目の前で友を失っても、どんなに傷が痛んでも、泣けないんです。涙なんてこれっぽっちも溢れて来ないんです。悲しいのに、苦しいのに、涙にはならない。悲しみようが足りないとでも言うんでしょうかね……」
「そんなことはないだろう」
俺が何を言っても、気休めにもならないだろうと思った。
思ったが、言わずにはいられなかった。
「お前が悲しんでることくらい、俺にだって分かる……」
そう言った俺を非難するでなく、古泉は困った顔のまま、
「…お願いですから、泣かないでください」
「泣いてねえよ。……つか、いつもそれだな…」
「……珠魅のために涙するもの、石と化す」
「…は?」
「…そういう伝承があるんですよ。本当かどうかは分かりませんけどね。……だから、泣かないでください。あなたの気持ちは…僕にも伝わってますから」
そう言って古泉は手を伸ばし……けれど、その手は俺のところまで届かず、ベッドの上に落ちた。
俺はそれを握り締め、
「珠魅の…涙があったら治るのか?」
「ええ。…珠魅の涙も石です。涙石と呼ばれるそれがあれば、こんな傷も…それどころか、核だけになっていても、僕らは蘇ります。けれど、それを手に入れるのは難しいでしょう」
「…そうだろうな。珠魅なんて、お前に会って初めて知ったくらいだし……」
「この辺りは帝国の勢力圏ですからね。帝国が珠魅狩りをしている以上、珠魅は遠くに逃げているでしょう」
「お前は…どうしてあんなところにいた?」
こいつを拾った街だって、帝国の街だ。
なのにどうして。
「……人を探してました。それに……あなたにはお分かりでしょうけど、あの時の僕はもう、自分がどうなろうと構わないというような気持ちだったものですから」
「……石だけでも、どこかにないもんかな」
「まずないでしょう。持っていても……魔導士でしょうか」
「…それこそ知り合いも心当たりもないな」
「この辺りで魔導士といえば、帝国軍人みたいなものですからね」
ですから、と古泉は小さくため息を吐き、
「治すのはまず不可能と申し上げたんです」
古泉は俺の手を弱弱しく握りしめた。
「……こんなことを言うとあなたには怒られそうですけど、事実なので言わせてください。……僕はもう、長くないでしょう」
反射的に怒鳴りそうになるのを、奥歯を噛みしめて耐える。
「僕が死んで……核だけになったら、生き返らせようなんて考えずに、ただ、あなたの側に置いてくれませんか」
「何を…」
「……あなただけなんです。珠魅でもないのに、僕のことを……僕自身よりも心配して、こうして介抱してくれたのは。ですから……できれば、あなたの側にいたい。でも……そうですね、もし、あなたがお金に困ったら、僕の核をお金に替えてください。そんな形でしか、恩返しも出来ないのが悔しいですが……」
「なっ……」
「怒らないで」
そう言って古泉は俺の手を握り、
「…あなたが救ってくださった命です。あなたにもらってほしいです。……要らないとは、言わないでください」
「……くっそ………ずるいだろ、お前…」
泣くなって言っといて、泣かすな。
「泣いてはいけません」
「っ、る、さい……ばかっ……」
そう、言ったことまでは覚えている。
俺はただ、本当に苦しくて悔しくて堪らなかったんだ。
古泉は少し不器用なところもあるし、ツンケンした物言いをすることもあるが、本当は凄くいいやつで、優しくて、自分のことよりも他人のことを思えるような奴なんだ。
そんな奴が、ただ、胸に核があるから、珠魅だからというだけで、命を狙われ、傷つけられて、治療も出来ないまま死んでいくなんて言うのが悲しくて、見送るしか出来ないのが歯がゆくて。
それに……何よりも、俺は、こいつに死んでほしくなかったんだ。
もっとこいつと話したかったし、こいつのことを知りたかった。
だから、だと思う。
俺は涙を流し……意識を失った。
気が付いたら古泉が俺を抱きしめていた。
その胸の核が見たこともないほど美しい光を放っているのが分かる。
「……古泉…?」
「よかった……」
泣きそうな情けない声出すなよ。
「泣きそうな、なんてものじゃ済みませんでしたよ。泣きましたから」
そう言って俺を驚かせた古泉は、きっと俺を睨みつけた。
「泣かないでくださいとあれだけ言ったのに、どうして泣いたりするんです。あなたが目の前で石になって、僕がどんなに絶望したか、分かりませんか」
「……つまり、俺は今の今まで石になってたのか?」
「そうですよ…っ」
そう言って古泉はきつく俺を抱きしめたが……なあ、
「なんでお前の怪我が治ってるんだ?」
「……あなたが涙を流したからですよ。人の涙が珠魅の傷に効くなんて聞いたこともありませんでしたけど……その代わりにあなたが石になるなんて…。僕のために……石に…なったりして……」
古泉はまた泣き出しそうな声を出しながら、俺をぎゅうぎゅうと抱きしめる。
痛いくらいだが、文句は言えない。
「お前が泣いたってことは、それで俺の石化が治ったってことか?」
「そのようですけど……でも…何かしら影響が残っていないとも限りませんから……」
「…そうだな」
俺が頷いても、古泉が腕を離してくれないので、体を動かして確かめることも出来ない。
「……古泉」
「はい?」
「…ちょっと離せ。確かめようがないだろ」
「……あ、す、すみません…」
慌てて手を放した古泉は、それでもなお心配そうに俺を見つめている。
俺はとりあえず手足を動かし、首を回した。
特に強張った感じはない。
少しばかり痛むのは、さっきの古泉の暑苦しい抱擁のせいだろう。
だが、何か妙な違和感がある。
胸のあたりが少し重いような…熱いような、妙な感じだ。
なんだろうと思ってさすり……硬い感触にぎょっとした。
……なんだこれは。
「どうかしましたか?」
「……いや、まさかとは思う。思うんだが……」
ぶつぶつ言いながら俺はシャツのボタンを外し、それだけじゃ足りなくてシャツを脱ぎ捨てた。
俺の胸にはさっきまでなかったはずのもの、あるはずのないものが輝いていた。
虹色の滑らかなそれは、どう見ても石だった。
「な………」
「一体…これは………」
古泉も驚いている、ということは、珠魅でも驚くような異常事態ということか。
そりゃ、そうだろうな。
なんだって、さっきまでただの人間だったはずの俺が珠魅になっちまったんだ。
「…この石は……涙石、ですね」
「……そうなのか?」
「ええ。……どうしてあなたが珠魅になってしまったのかは分かりません。でも……こうなってしまった以上、帝国領内にとどまるのは危険でしょう」
そう言って古泉は俺の体にさっき脱ぎ捨てたシャツを着せ掛け、それから、古泉には非常に似つかわしく、しかしながら俺にはもったいないほど優雅な仕草で俺の前に膝をついた。
「こうなってしまったのも僕の責任です。僕が騎士としてあなたを守りますから、どうか、僕と一緒に来てください。……僕の姫に………なってください…」
そう震える声で言った古泉は、狩られ、追われる旅のつらさを思っているのだろうか。
俺としても、ここにいて、家族に迷惑をかけたいとは思わないから、逃げ出すべきだとは分かっている。
だからこそ、申し訳なさそうに、自分を責めるようにそう言った古泉の緊張をほぐしてやりたくて、
「…愛の告白でもされてるみたいだな」
と呟いてやったのだが、ぎょっとした古泉の顔を見ると俺の方が笑えてきた。
「冗談だ。……だが、まあ、お前の言うとおり、お前と一緒に行った方がいいだろうな。ここの家族に迷惑もかけられんし、かといって一人旅が出来るとも思えん。……お前に迷惑をかけてもいいか?」
「迷惑なんかじゃありません」
そう言って古泉は俺の手を取り、手の甲に額を押し当てた。
「僕の剣を、僕の命を、あなたのために使わせてください」
「……ん、これからよろしくな」
そう、なんとか笑えたのは、古泉が一緒なら大丈夫だろうと思えたからだろう。
そうして、俺たちの旅は始まった。