眠り月

ピンク色した悩み?


どういう訳か昔から、それはもう、妹が生まれるよりも前から、女の子らしいものが好きだった。玩具なら着せ替え人形やぬいぐるみ。
テレビ番組は魔女っ娘ものを中心に女の子向けのもの。
漫画なら汗臭い少年漫画なんかではなく、可愛らしく、かつドロドロしてない類の少女漫画。
今でこそそんなに顕著ではないものの、相変わらず好きなものもある。
色ならベビーピンクやローズピンク。
モチーフならレースやリボン、小さな花。
テディベアやなんかのぬいぐるみは相変わらず好きだが、ぐっと抑えている。
恥じる気持ちがあるからこそ、部屋は極力簡素にしているし、抑えつけたものを発散するのは妹の服を作る時だけと決めている。
それで十分楽しかったし、そういうものが好きなだけであって、女の子になりたいなんて思っていた訳じゃなかった。
その、はずだった。
なのに、なんでこうなっちまったんだろう。
ため息を吐きながら、俺はベッドの下に隠してあったものを取り出した。
…とはいっても、エロ本とかじゃないぞ。
ただのぬいぐるみだ。
いや、ただの、というのはおかしいか。
何しろそれは正真正銘この世にひとつきりしかない、俺の手作りのものであり、かつ、おそらくそいつをモデルにしたぬいぐるみなんてもの自体が他にないだろうものなんだからな。
腕にちょうど抱えられるような大きさのそれをぎゅっと抱きしめて、
「…古泉」
と小さく呼んでみた。
そう、そのぬいぐるみは古泉をモデルにしていたのだ。
どうしてだろう、なんて考えて悶々とした日々はとっくに過ぎ、今ではもう、古泉が悪いと居直っている俺である。
あいつがあんなかっこよくて、頭もよくて、少し意地悪なくせしていざという時には頼りになるような、それこそ少女漫画の主人公みたいだからいけないんだ。
あいつを好きになってから、俺の女々しさが加速しているような気がしてならない。
それは多分気のせいじゃなくて、そろそろ男としてやばい領域に足を突っ込み掛けているのも、間違いじゃないんだろう。
どうにかしたい。
止まりたい。
そう思っても動けない。
本当にどうにかしたいなら、止めたいなら、あいつに告白でもなんでもすりゃいいんだ。
そうしたらあいつのことだ。
凍えるような冷笑と共に、俺の頭がおかしくなったんじゃないかと言い、いい病院のひとつやふたつ紹介してくれるだろう。
そうと分かっていて、なんで俺は諦められないんだろうな。
このぬいぐるみだって、作るつもりはなかったのに、気が付いたら無意識のうちに作り始めていた。
放り出そうとしても出来なくて、完成した後は抱いて寝るような始末だ。
あいつを思うだけで苦しい。
切なくて堪らない。
それなのに、やっぱりあいつが好きで、諦められなくて、どうしようもなくなる。
「……古泉」
抱きしめて名前を呼んでも、ぬいぐるみは黙ったままだ。
古泉の匂いもしない。
意地悪な声も。
ぬいぐるみの浮かべているような優しい笑みも、古泉は俺にはくれない。
泣きそうになりながら、俺はぬいぐるみを抱いたまま布団にもぐり、
「…おやすみ、古泉」
とぬいぐるみにキスをして、目を閉じた。
せめて古泉の夢でも見られるように願って。

それから数か月後、俺はとんでもないことになっていた。
あの時男としてやばいと思ったのは全くもって正しかったのだ。
そうでなければ今、こんな格好で座っているわけがない。
リボンやフリルやレースやビーズなんかをいっぱい飾った、ピンクのワンピース。
その膝丈のスカートは丸く大きく膨らませてあり、中には鬱陶しいほどペチコートも重ねてある。
足元は白い二ーハイソックス。
頭にはレースの髪留めまで止めてある。
オプションのピンクのテディベアの代わりに、古泉のぬいぐるみを抱いていた。
こんな格好をしたかった訳じゃないのに、着てみると楽しかったし、嬉しかった。
本当はずっとこうしたかったのを、誤魔化していただけだったのかも知れんと思ったほどに。
おまけに、絶対に笑い飛ばすだろうと思っていた相手が手放しでほめてくれた上に、今もその膝から解放されていないのだから、俺はもう何から処理をしたらいいのかさえ分からない。
「だから……その…」
心細さにぬいぐるみを抱きしめながら、古泉を見上げる。
俺を横抱きにするような形で抱きしめたままの古泉は、相変わらずの冷たい笑みを浮かべながら、でも声だけは暖かく、
「どうしました?」
と囁いてくる。
その囁きに鼓膜が妙にくすぐられ、ぞくりとした。
「と、とりあえず下ろしてくれ…」
「聞けません」
きつい声できっぱりと言われ、びくっと竦み上がりそうになる。
それが分かったんだろう。
古泉は少し慌てた様子で声を潜め、
「すみません。…いけませんね、どうもあなた相手だとうまく話せなくて……」
「は……?」
「これでも緊張するんですよ。…あなたにだと」
「なんだそりゃ…」
訳が分からん、と混乱していると、古泉は舌打ちでもしそうな顔になって、
「直接言われないと分からないんですか?」
といつものようなとげとげしい言葉を寄越すから、
「お、お前こそ、分かってんのかよ」
と泣き出しそうになりながらも反論を口にしていた。
「俺は…、こ、こんなぬいぐるみ作って、抱きしめて寝るくらい、お前が好き…で、だから、こんな、抱きしめられたりしてたら、誤解する、ぞ……」
「そんなことをしてたんですか?」
今度こそ気持ち悪いと罵られるだろうと覚悟しながら頷けば、更に強く抱きしめられ、
「羨ましいぬいぐるみですね」
と囁かれた。
「何、言って……」
「羨ましいですよ。……ねえ、本当にまだ分からないんですか?」
「だから、何が……」
呆れたようなため息を吐いて、古泉は俺の頬に……え。
「…僕も、あなたが好きなんですよ」
「う……そだ…、俺をからかってんだろ…」
悲しくて苦しくて、涙が溢れそうになる。
「本当です。…あなたこそ、僕のことなんて嫌いなんだとばかり思ってました。それくらい、自分の態度が悪いのは自覚してますから」
そう言って笑った…のは、苦笑、なんだろうか。
「器用そうに見えるかも知れませんけど、そうでもないんです。……好きな人にこそ、緊張して、優しく出来なくて………」
でも、と古泉は嬉しそうに笑ったように見えた。
「嫌われて、なかったんですね」
そう、本当にほっとしたような声で言うから、信じていいかな、なんて思っちまった。
古泉を見つめて、それから、そっと目を閉じてみる。
我ながら少女漫画の読み過ぎだと思ったが、でも、古泉はちゃんと理解してくれたらしい。
柔らかな感触が唇に触れて、
「…好きです」
と囁かれた。
これが夢でも構わないと思うほど、嬉しかった。
「……俺も、好きだから……」
ぎゅう、と自分からも抱きしめてみる。
ぬいぐるみが床に落ちたのも構わずに。
抱きしめたら、古泉の匂いがした。
「……困りましたね」
そう呟かれてびくつく俺に、古泉は苦笑らしきものを見せて、
「いえ……こんなに可愛らしい恰好をしたあなたに、二人きりの部屋で抱きつかれて、大人しくしていられる気がしなくて……」
「……へ…?」
「…襲われたいんですか?」
「っ…!? んな、わけ、あるか…!」
真っ赤になった俺を面白そうに見て、古泉はクックッと喉を鳴らす。
「そうですよね。……あなたは、女の子のように可愛らしい人だったんですから」
俺の服装をもう一度まじまじと見て、それからぬいぐるみも見てから、古泉はそう呟いた。
「…気持ち悪いだろ」
「いいえ、可愛いと思いますよ」
「……ほんとか?」
「はい」
そう頷いて、古泉は俺の耳に唇を寄せ、
「いっぱい可愛がりますから」
「…っ、く、すぐったいこと、すんな…!」
「おや、では余計なことは言わずにケダモノになった方がよかったでしょうか?」
誰もそんなこと言ってねえ!
「分かってますよ。…ゆっくり、少しずつ、もっとあなたを教えてください。僕も……もっと言葉には気を付けますから」
「……わざとじゃなかったのか」
「ええ、さっきからそう言っているでしょう?」
という端からすでに言い回しがとげとげしいことに気づいてないんだろうか。
「…気づいてます、けど、言ってから失敗したって気づくんですよ……」
とため息を吐く古泉が可愛く見えた。
「……じゃあ、これからはお前の言葉は思い切り前向きに解釈してやるから、嫌なら散々に罵倒しろよ」
そう言ってやると、調子に乗るなと言われるかとも思ったが、そんなことはなく、古泉はぬいぐるみより優しくて柔らかな笑みを見せ、
「ええ、そうしてください。…僕も気を付けますから」
ともう一度キスをくれた。
言葉より何よりも、その優しさなら信じられると思ったくらい、優しくて甘いキスだった。