眠り月

煌 第二話


決断の余地はなかった。僕たちだって望んで放浪しているわけではないし、もともと放浪していた僕と違い、彼はひとつところに住む方が慣れている人だから、出来ることならどこかで落ち着きたいと思っていた。
なにより、返答の間がなかった。
「五秒以内に決めなさい! ご、よん、さんにいちゼロ! はい決定!」
とあっという間に決められたせいだ。
反論の間もなくそう言われ、唖然としていると、
「有希、離してあげて」
と彼女が声を掛ける。
すぐさま目に見えない拘束はなくなり、僕らは慌てて体勢を立て直した。
「あなたは本当になんなんです? どういうつもりで僕らを捕まえたりしたんですか。それから、僕たちのことを観察してもいたでしょう?」
矢継ぎ早に問いかけると、彼女は小さく鼻を鳴らして笑い、
「あたしはアーティファクト使いだって言ったでしょ? あんたたちを捕まえたのは用心棒がほしかったからよ。観察してたのは当然じゃない? あたしの森に知らない誰かが勝手に入って来たんだから、どんな人間か確かめない方がおかしいわ」
今度はすらすらと答えてくれた彼女だったけれど、あまり納得できない。
まず…、
「用心棒ってのはなんだ」
……質問しようとしたことを彼が先に問いかけていた。
「用心棒ってのは、普通、何かあった時に守ってもらうために契約する人間のことを言うんじゃないの?」
「…本当にその意味なのか?」
「そうよ。…なにしろあたしは有希と二人暮らしだし、出入りしてるのも非力な女の子だから」
と言いながら振り回してるのがなかなか重そうなロッドに見えるのは気のせいだろうか。
第一、
「先ほどの拘束も魔法か何かなんでしょう? それだけの力があるなら、用心棒なんて必要ないのでは?」
「魔法には発動までに大きな隙が出来るでしょ。集中できないと威力やコントロールも落ちるし…。あたしはそのための時間を稼げるような用心棒が欲しいの。それに、日常の力仕事には、魔法を使うよりも男手を雇った方がいいじゃない?」
「それでどうして俺たちなんだ」
噛みつくような調子で彼が言ったけれど、彼女は完全な優位にある者独特の笑みを浮かべて、
「この森に入ってきた男があんたたちくらいだからよ。それに…そうね、放り出さなくてもよさそうなのも、あんたたちくらいだったわ」
「はぁ?」
「あんたたちには分からないかも知れないけど、この森には結界みたいなものが張ってあって、邪心の強いやつだとか、不死皇帝によって甦らされた死者の兵士みたいなのは入れないようにしてあるの。そこを通ってこれた時点であんたたちはまず一つ合格したってわけ」
それから、と彼女は辺りを示すように大きく手を広げ、
「この森の清浄な空気に耐えられたってことも、ポイントが高いわ」
「は?」
訳が分からないとばかりに声を上げる彼に、彼女はざっくりとした説明を口にする。
「ここの空気は綺麗過ぎて耐えられない人間の方が多いのよ。綺麗すぎて息苦しく感じるっていうのかしら。その点、あんたたちは珠魅だから平気なのかも知れないわね」
「なんで俺たちが珠魅だって知った? 俺たちを見てたのか?」
「観察してたのもあるけど、ちょっと見たら分かるわよ。珠魅か森人か獣人か植物人かくらい」
けろっとした顔で言ってのけた彼女は、
「あたしはアーティファクト使いだって言ったでしょ。そこいらの魔導士や修道士なんかよりもずっと敏感なんだから」
「その、アーティファクト使いというのはなんなのでしょうか」
と僕が問いかけると、彼女は少し考え、
「それはまた後で説明するわ。そろそろ真っ暗になっちゃうし、とりあえずうちに行きましょ」
と言って歩き出した。
スキップまでして、随分とご機嫌だ。
その後を静かについて行く有希さん。
僕と彼は顔を見合わせて、小さな声で相談した。
「…どうします? 逃げますか?」
「……この森があいつの言うとおり、あいつのもので、あいつの好きに出来るんだとしたら、出られない可能性もあるんだよな」
「ええ…」
「それなら、大人しくついてった方がいいんじゃないか? …たとえ少しの間だとしても、落ち着けるのはありがたいだろ?」
「……そうですね」
「悪そうには見えないしな」
「…そうですね、服装とか言動は大分怪しいですけど……」
これまでに出会った中の誰とも違うのに、なんだか誰かを思い出させる。
その人のことを思い出そうとすると、胸の核が少し痛んだ。
「…古泉? どうかしたか?」
「……いえ、なんでもありません」
そう言って僕は記憶の奥にそれを封じ込め、唇を笑みの形に整える。
「あなたはどう思います? 彼女のこと」
「……色々とおかしいが、悪さはしそうにないし、あいつの説明も一応納得できるものだと思ったが…」
「そうですね」
「……じゃあ、当分はここにいることにするか」
「あなたがそれでよろしいのでしたら」
僕がそう答えると、彼は面白くなさそうに眉を寄せて、
「…お前のそういうところだけは、気に食わん」
と聞こえるかどうかという小さな声で呟いた。
胸の核にひびが入らなかったのが不思議なほど、僕の胸は痛み、ずくりと疼く。
僕はそれでも、彼の言葉の意味を問いただすことも出来ず、ただ黙り込むだけだ。
情けない。
でも僕は…これ以上何か余計なことを言って、彼に嫌われるのが恐ろしいほど、彼のことが……好きだった。
彼のちょっとした言葉が胸に痛い。
けれど、同じように、あるいはそれ以上に、彼の笑顔や優しさが嬉しい。
愛しくて堪らなくて、こんなに近くにいるというのに、いつだって彼が恋しい。
彼を失ったら、僕の核は砕け散ってしまうだろう。
そう思うほどに。
重苦しい気持ちを顔に出して鬱陶しがられないように、僕は細心の注意を払う。
なんでもないような顔をして、聞かなかったようなふりをして、
「行きましょう。また訳の分からない力を使われて、強引に歩かされても面白くありませんから」
「だな」
と頷いた彼も、なんでもなかったような顔をしていた。
だからきっと、さっきの言葉だって大したことではなかったのだと自分に言い聞かせようとする自分が、酷くみじめで滑稽だった。

歩いて行った先にあったのは、森の中が丸くひらかれた中にぽつりと立つ、小さくてかわいらしい家だった。
家の周りには小さな畑もある。
こじんまりとしたその姿は、子供向けの絵本か何かのようでもあった。
褐色や白、黄色など色とりどりの薄い石板でふいた屋根の上には星を掲げた風見鶏が風に踊り、明るいオレンジに塗られた木の扉は僕らを待ち受けるように開かれている。
「遠慮なく入ってちょうだい」
と言われるまま足を踏み入れたそこは、幻想的なランプや古ぼけた書籍の山、子供のおもちゃのような木の人形に大きなキルティング、それからキャンディの詰まったビンや鉢植えのバラや銀のティーセットまであらゆるものが雑多に置かれた空間だった。
玄関がそのままリビングになっているらしい部屋の中では暖炉が明るく燃え盛り、部屋の中を暖かくしている。
「あったけー…」
と彼が呟き、日が落ちてから少しばかり寒くなってきていたことに、僕はやっと気が付いた。
彼は寒かったんだろうか。
そんなことすらろくに感じられない自分が歯がゆく、苛立たしい。
彼と僕は同じ珠魅のはずなのに、あまりに違っていて悲しくもなる。
やっぱり僕が生まれついての珠魅で、彼がほんの少し前まで人間だったというのがその理由なんだろうか。
近づけたと思うほど遠く感じられるのが苦しい。
僕は彼から背を向けるようにしてドアを閉め、彼をまっすぐに見てしまわないよう気を付けて、ハルヒさんの姿を探した。
彼女は棚の前に立って何やら物色しながら、暖炉のそばのテーブルの方を示し、
「好きな席に座ってて。今、有希が夕食を作ってるから」
と言うので、僕は暖炉からは少し距離を開けたところに座る。
彼が隣に来れば、暖炉の側になって丁度いいだろうと思ったのに、彼は僕の側を通り過ぎ、斜め向かいの席に腰を下ろした。
それだって十分近いはずなのに、酷く遠く感じられて胸がずきずきと痛む。
「はー…暖炉も久しぶりだな…」
なんて言いながら彼が手をあぶっているのを見れば、彼なりに好みの位置があってそこを選んだんだろうと分かるのに、それでも苦しくなった。
「…そうですね」
と同意を示しながら、僕は炎を見つめる。
赤やオレンジに光るそれは美しくもあるのだけれど、それ以上にどこか恐ろしいもののように思えた。
どこか気まずい雰囲気の中、黙り込んでいると、
「これが多分分かりやすいわ」
と言いながら、ハルヒさんが棚から何かを引っ張り出し、テーブルの上に置いた。
それは細かくて色鮮やかな刺繍の施された、手の平に収まるほどの小さなボールだった。
「…これは?」
僕が問いかけると、
「アーティファクトよ。簡単に言えば、マナの力を引き出しやすくした魔法具ってところかしら。こういうアイテムの力を借りてマナの力を借りるのが、あたしたちアーティファクト使いなの」
と説明した。
見てて、と彼女が言い、そのボールの上に軽く手をかざすと、それは自ら転がり始める。
愉しそうに弾む様はどこかおとぎ話にも似ている。
「珠魅なら分かると思うけど、マナの力はあらゆるものに宿っていて、あたしたちはその使い方さえ分かればそれを自由に使うことが出来るわ。でも、アーティファクトを使うとそれがもっと容易になるの。でも、最近はだめね。魔法っていうと楽器を使うのが簡単で分かりやすいからってそればかりになっちゃって」
嘆かわしげに呟いて、彼女はボールを手の中に戻すと、
「本当はどんなものも、どんな人も、マナの力を持っていて、その力の根源は無限にあるんだから、奪い合う必要なんてないんだけど、それが分かんないやつらばかりなのよね」
と独り言のように呟いた。
「…あなたは魔導士とは違うんですか?」
僕が尋ねると、彼女は頷いた。
「そうね、厳密には違うわ。あたしはただのアーティファクト使いだから、魔導士が使うような魔法の使い方はしないわね。それに、今残ってるまともなアーティファクト使いはあたしくらいのものじゃないかしら」
「そうなのか?」
と彼が問う。
「多分ね。少なくともあたしはほかに知らないわ。…だからこそ、あたしたちも帝国に狙われるわけだし」
「お前たちもなのか?」
驚く彼に、彼女は落ち着いた様子で頷いた。
「何度も言われたわ。帝国に来て、不死皇帝のために魔法の研究をしろって。でも、あたしはそれが不死皇帝だろうとどこかの賢人や魔法学校の校長だろうと、誰かに指図されるままに研究をするなんてまっぴらだわ。だから断ってやったの。そのままだと危ないから、わざわざこんなところにまで逃げ込んで、ね」
簡単なことだったかのように彼女はそう言い、ウインクまでして見せたけれど、実際それがどんなに困難なことであったかは、同じく帝国に追われる身としてなんとなく察せられた。
「追われているのは、あなただけではないんですね?」
と僕が尋ねると、彼女は頷いた。
「有希もよ。…むしろ、あいつらは有希が欲しいんじゃないかしら。有希くらい精巧なアーティファクトクリーチャーは珍しいから」
「アーティファクトクリーチャー……ですか?」
聞いたことがあるような気がした。
大昔の戦争で使われた魔法具、あるいは魔法生物のことだっただろうか。
「そうね、そんなところだわ。でも、有希は特別よ。あの通り、見た目は完全に人間と同じだし、命も心も持ってるわ。大昔のアーティファクトクリーチャーよりも遙かに強くて、複雑なことも出来る。……帝国は有希のようなアーティファクトクリーチャーを量産して、戦争に使いたいのよ。まったく、何百年経っても進化がないんだから」
憤然と呟いて、
「だから、あたしとあんたたちの敵は同じで、つまり利害も一致するわけでしょ。文句言わずにうちに住んで、いざって時の用心棒になりなさい」
と言い切った。
「用心棒になれますかね…」
「あら、大丈夫でしょ。その剣が飾りだっていうならともかく」
「もちろんこれは飾りではありませんけど……」
「それにしても、あんまりいい剣じゃなさそうね。…んー……どっかに剣もあったかしら」
と独り言を呟いた彼女は、
「あったら、新しい剣をあげるわ。もう少し使えそうなやつ」
「ありがとうございます」
すっかり彼女のペースになってしまっているな。
苦笑してもどうにもならないのだろうけれど。
「で、あなたが剣を持ってて、そっちが丸腰ってことは、あなたが騎士でそっちのが姫ってこと?」
そう分かるということは、珠魅についても詳しいということだろうか。
僕らが頷いてやっと、彼女は僕らの名前を聞いていないことを思い出したらしい。
「そういえば、名前は?」
と言うので、僕らはおとなしく、
「…古泉一樹です」
「……キョンだ」
と答えた。
ここまで来て、抵抗しても虚しいだけだろうという諦観が滲み出ていたと思うのだけれど、彼女は気にも止めない。
「キョンと古泉くんね」
「…なんで俺は呼び捨てでこいつはくん付けなんだ」
「だってあんたの方が偉そうにしてるからよ。あたしは態度がでかい奴はとことん見下したくなるの」
と冗談のつもりか本気なのかよく分からないような笑顔で言っておいて、彼女は改めて満面の笑みを浮かべた。
「とにかく、これから頼んだわよ!」