眠り月

しゅうごう


適当に合成した服を着せた猫耳を抱えたまま、俺は艦内を歩いていく。乗組員以外の人間を入れるのはまずいんだが、これは人間ではないからという詭弁でチェックをパスさせ、幕僚が集まる、通称SOS団室に入った。
「お疲れ様です」
と迎えてくれたのは、ハルヒの趣味でメイド服を義務付けられ、愚直にもそれを守っている朝比奈さんだった。
「ただいま帰りました」
朝比奈さんの姿にほっとしながら指定席に座り、猫耳を膝に乗せてやる。
「キョンくん、その子は……?」
「…未知の生物です」
「ふえっ?」
びっくりしている朝比奈さんだが、小さくて可愛い生き物には弱いらしい。
「とっても可愛いです。…ふふっ、これなら怖くないですね」
「ねー」
と答えたのは勿論俺ではない。
猫耳だ。
「しゃべるんですね」
と朝比奈さんはにこにこしておられるが、
「こっちの言った言葉を真似しているだけみたいですけど、この調子だとすぐにも言葉を覚えそうですよ」
「お話し出来るようになったら素敵ですね」
そんなことをしていると、ドアが開き、後ろに犬耳を連れた古泉が入って来た。
「おや、お邪魔でしたか?」
なんて馬鹿言ってないで、とっとと座れ。
「あ、今お茶をいれますね」
といって朝比奈さんがティーセットの方へと向かうと、古泉はいつも通り、俺の向かいの席に座り、俺と同じく、犬耳を膝に座らせた。
その口元がどことなく緩んでいるのが引っ掛かる。
「……何がおかしいんだ?」
「おかしい、という訳ではありませんよ。ただ、非常にかわいらしいと思いまして」
と言って猫耳を見るのは勝手だが、
「子供の頃のあなたもきっと、こんな風に可愛かったんでしょうね」
というのはなんだ。
気色悪い。
「そう照れないでくださいよ」
「だから、勤務中だって言ってんだろうが」
くすくすと笑って、古泉は手を伸ばし、猫耳の頭を軽く撫でた。
猫耳はくすぐったそうにしているが、拒みはしない。
「触るな」
「おや、いけませんか?」
「お前が触るとよからぬことになりそうで嫌だ」
そう妬かなくても、と言い出しそうな顔をした古泉だったが、流石に口にはしなかった。
「…可愛いです」
何が、とは言わずにそれだけ呟き、俺の背筋を寒くさせやがった。
「かわい?」
きょとんとして繰り返す猫耳に、馬鹿馬鹿しいほどキラキラした愛想笑いを振り撒き、
「ええ、可愛いです」
言われた猫耳は、意味など分かっていないだろうに、その笑みや言葉の柔らかさから察せられたのか、照れ臭そうに顔を赤くしている。
「……お前がショタコンとは知らなかったな」
「そうじゃありませんけど、実際可愛いと思いませんか?」
と問われて、俺は犬耳をじっと見つめた。
大きく丸い目も、ふさふさの耳も、ちょっとバランスの悪い手足も確かに可愛い。
「生物の生存のための仕組みってのは、よく出来たもんだな」
捻くれたコメントをした俺に、古泉は苦笑をみせた。
素直じゃない、とでも言いたかったんだろうか。
それを問う間もなく、朝比奈さんがお茶を運んできてくれた。
「はい、お茶ですよ。小さい子たちには、あったかいミルクにしました」
といって、わざわざちびたちの分まで置いてくださったのはいいが、こいつらはちゃんと飲み物だと理解するんだろうか。
じっと様子を見ていると、犬耳は古泉が飲むのをじっと見つめ、それだけで学習したというのか、同じようにカップを持ち、こくこくとミルクを飲んだ。
じゃあ猫耳も俺の真似をするんだろうか。
俺は自分の湯呑みを取り、少し吹き冷ましてからそれを飲み、またテーブルに戻した。
猫耳はじっとこちらを観察していたが、妙なところで融通がきかないらしい。
俺の置いた湯呑みを持ち上げ、そのお茶を飲んだ。
それがどうやら苦く感じられたらしい。
泣きそうに顔を歪めるので、
「お前はこっちにしとけ」
と声を掛け、湯呑みを取り上げ、カップを持たせる。
遅まきながらも警戒して、ふんふんと匂いを嗅いだ猫耳は、恐る恐るカップに口をつけ、こくこくっとそれを飲んだ。
うまかったらしく、今度は嬉しそうに笑う。
「なかなか感情豊かみたいだな」
「そうですね。とても素直で…」
遠回しに俺が素直じゃないとでも言いたいのだろうか。
むっとなったものの、朝比奈さんもいるのでは余計なことは言えない。
それに、そろそろ他の面々もやってくるころだしな。
その朝比奈さんはというと、自分の分のお茶を手に席に座り、にこにことちびたちを見ている。
見た目だけなら確かに可愛くてほほえましいんだが、相手が未知の生き物だと思うと少しばかり不安が残る。
本当に危険がないんだろうか。
そんなことを考えていると、
「たっだいまー!」
という声と共にハルヒが帰って来た。
おまけに………、ああ、畜生、ため息が出る。
「見なさいよこの収穫を!」
と言って引っ張りだしてきたのは、見覚えのある卵だ。
それも3つもごろごろしてやがる。
お前な…。
「こんなにおっきいんだから、非常食にいいと思わない?」
なんて言ってるところ悪いが、
「…食わん方がいいと思うぞ」
「なんでよ?」
「少なくとも俺は遠慮する。…こんなのが出てくるような卵を平気で食えるような精神の太さは俺にはないからな」
そう言って、膝の猫耳の襟首を掴み、ハルヒに向かってぷらんとぶら下げてやると、ハルヒはきょとんとした顔で猫耳を見つめた。
「それ、ぬいぐるみ?」
とでも言おうとしたようだったが、猫耳がじたばたと暴れるのを見ると口をあんぐりと開いたままそいつを見つめて続ける。
流石に不憫になって猫耳を床に下ろすと、キッと睨み上げられた。
すまん、ちょっとやり過ぎた。
「全く、あなたは意外と乱暴ですね」
そう言いながら、椅子から腰を上げていた古泉が、へたり込んで呼吸を整えようとしている猫耳を抱き上げた。
「大丈夫ですか?」
けほけほ言っていた猫耳は、いきなり抱き上げられて驚き、またもがこうとしたのだが、相手が古泉であると認識し、優しく抱きしめられると大人しくなった。
喉でも鳴らしそうな顔をしてやがる。
「キョン、一体なんなの?」
目をどんぐりみたいに丸くしてハルヒが聞いてくるが、俺にも分からん。
「…私が説明する」
と言って長門が入ってきてくれて、ほっとした。
部屋に森さんと鶴屋さんが入ってきたところで、長門が説明を始めた。
おおむねのところ、俺が聞いたのとそう変わらないような説明だった。
長門がそんなことを知っているのは、長門がいわゆる「宇宙人」であり、我々人類には計り知れないような膨大な知識量を持った何かにアクセス出来るからなのだろうが、それをハルヒやほかの連中に知られるとまずい以上、どう言い訳するのかと思ったら、
「他の惑星でも、同じような生物が報告されている」
と言ってデータを引っ張り出してきた。
なるほど、そうやってごまかすのか。
実際には宇宙人的超データベースにアクセスして調査したか、直接こいつらを解析するかどうかしたんだろうな。
ともあれ、こいつらが何者かそっくりに擬態して、その庇護下に入ることで成長し、学習していく生き物であるということを説明されたハルヒは、
「それじゃ、確かにちょっと食べられないわね」
と笑い、いつになく優しい手つきで卵を一つ撫でた。
すると、それがまた小気味のいい音を立ててぱっかんと割れちまった。
「ふにゃ」
どこか寝ぼけたような声を上げて出てきたのは、黄色いリボンのついたカチューシャを付け、三角形の耳を尖らせた、それはもうハルヒそっくりの生き物だった。
というか、こいつも猫なのか。
「あなたも閣下も、どちらかというと猫タイプですから、そのせいでしょうか」
と古泉が面白がっているのも気に食わん。
しかしそれを咎めるよりは、
「へー、あたしそっくりで可愛いじゃない!」
とかなんとか言いながらそいつを抱き上げて振り回しているハルヒを止める方が先だ。
「ハルヒ、せめて服を着せてやれ。一応女の子なんだろ」
「そうね。これくらい小さかったら少々関係ないとも思うけど」
勝手なことを言うハルヒだったが、すぐにぱちぱちと端末を弾き、服を用意してやった。
「せっかくだから、みくるちゃんと有希も欲しいわよね」
「ハルヒ、あんまり厄介事を増やすのは…」
「ほらほらっ、みくるちゃん、有希、こっちに来なさい!」
「だから人の話を聞けってのに…」
全然聞いてねえ。
「えっ? あっ、あの…?」
戸惑っている朝比奈さんが卵の前に引っ張り出されたと思うと、ぱっかんと音が鳴る。
そうして出てきたのは、大きくて長い耳を垂らし、今にも泣きそうな顔をした生き物であり、それはもはや妖精か何か幻想的なもののように見えるほど愛らしく頼りない。
一方、無言のまま進み出た長門を前にして卵が割れると、出てきたのは白い耳をしたものだったが……これはなんの耳だ?
「……おそらくは、狼、あるいはそれによく似たイヌ科の動物と同じものと思われる」
狼…ねえ。
なんで長門が狼なんだろうか。
よく分からんが、似合ってはいる。
長門のコピーだからか、沈黙したまま辺りを冷静に観察しているところを見ると、とても生まれたての生き物には見えない。
「とにかく、これでSOS団がそろったってことね!」
とハルヒは満足しているが、そううまくいくんだろうか。
見ていると、どうにもこいつらがなじんでくれるようには見えない。
今はどうやら、オリジナルの人間に引っ付いていたいようだ。
「その方が望ましい」
とは長門の言である。
であれば、逆らう必要はないだろう。
「せっかくだから、この面白い惑星を長期的に探索することにするわ! ここに基地を作って、色々調べていきましょ!」
そうハルヒが高らかに宣言し、俺たちには当面の課題が出来た訳だ。
「今はまだ決まらなくても、近いうちに乗員名簿にこの子たちも乗せるから、早く名前を決めなさいよ」
と言ってハルヒは自分のコピーを小脇に抱え、出て行った。
全く、勝手な奴だ。
「お返ししますね」
と俺の膝に猫耳を返却した古泉は、
「これから楽しくなりそうです」
と悠長に笑っているが、
「本当にそう思うのか?」
「ええ。…涼宮閣下もご機嫌ですし、この惑星に調査の必要があるのも事実でしょう? うまくいけば、こちらへの移住なども行えるでしょう。…母星の人口過密や食糧問題が随分逼迫したところまで来ていることは、あなたもご存じではありませんか」
「ご存じも何も、俺が小学生の時分からずーっとそんなことばっかり言ってるから、逆に信憑性が感じられんのだろうが。……そりゃ、軍に入ってから知った情報だと、実際結構危ないらしいってのも分かるが」
それにしても、だからと言って他所の惑星に移ったら問題が解決するってものなのかね。
もっと根本的な解決策が必要なんじゃないのか?
「もっともですね。しかしながら、我々にはあまり時間もないのですよ。こうして住みやすい星が見つかったのであれば、移住というのも十分現実的かつ必要な方策ではないかと」
「せめて母星の二の舞にならんことを願う」
「それは我々の調査と報告次第でしょう」
「そうかい。……期待しておきますよ、幕僚総長」
そう言いながら、俺は端末を叩き、艦外の様子を見る。
緑に包まれた美しい星。
その未来がもしかしたら、ちっぽけな俺たちにかかっているのかも知れないと思うと、少しばかり寒気がした。