眠り月

黒みくキョン完結編です
最後は古キョンオチでごめんなさい
いやでもみくキョンの間にも愛はあるんですよ、と軽く言い訳(するな

エロくないけど下げ


















































ぜんぶぜんぶ


いつかその時が来るということは、こんな関係になる前から分かっていた。だから、その覚悟があって、ご主人様と一緒にいた。
けれど、思っていたよりも早く、そして想像とは違った形で、その時はやってきた。
そうなるだろうという予感を抱いたのは、いつ頃だっただろう。
ご主人様があいつを誘って何かするようになった頃か。
それとも、俺があいつのところにお使いに行かされるようになった頃だろうか。
分からない。
分からないが………それはきっと、俺のための準備期間だったのだ。
そんなことを考えながら、ご主人様が用意してくれた新しい服を着て、床にきちんと座る。
見上げたご主人様の目がなんだか寂しそうに見えたのは、俺の思い上がりによる錯覚などではないと思いたい。
体の中に何かを入れられてもいない。
乳首にクリップを付けられてもいなければ、縛られてもいない。
傷さえ残されていない。
全部きれいになるまで、時を待ったということだろう。
そういう意味で言うなら、俺はまさしく自由だ。
それでも俺はご主人様の物だし、ご主人様の命じるようにする。
そうすることが俺の悦びであり、望みだからだ。
「…キョンくん」
優しく俺の名前を呼んで、ご主人様は俺の頭を撫でてくださった。
「これまでありがとう」
悲しい言葉が胸に作る痛みも、今の俺には気持ちいい。
だが、久しぶりに本当の意味での痛みを感じたようにも思えた。
返答を許されていない俺は、黙ったまま、ご主人様の脚に顔を摺り寄せる。
愛しさと敬意、それから感謝を込めて。
「分かってるでしょ? ……これからあたしがどうするのか」
その問いかけに、俺は小さく頷いた。
きっと、間違っていないはずだ。
ご主人様は俺を手放すつもりでいる。
そうして俺は、別の人の物になるのだ。
でも、今はまだご主人様の物だからと、精いっぱいに甘えて見せる。
そっとご主人様の指先を舐めると、ご主人様は優しく唇をなぞって、
「キョンくん……大好きよ」
と囁いた。
大好きなら手放さないでほしい。
そう言いたいけれど言えなくて、指先にちょっと吸い付くと、ご主人様は反対の手で俺の髪を撫でながら、
「大好きだからこそ……いつまでもあたしと一緒にいさせちゃいけないって思うんです。……だってあたしは………この時代の人間じゃないんだもの…」
悲しそうに呟くご主人様の指を舐める。
無力な俺はそうするしかない。
ご主人様を引き止めることも、ご主人様の決心を曲げることも出来なかった。
「キョンくんを大事にしてくれる人が見つかったら、キョンくんのことをお願いしようって思ってたんです。…でも、キョンくんは本当に可愛くて、従順で、あたしも……キョンくんが好きで……だから、なかなか出来なかったの。………これだって、遅過ぎたくらい」
そう言ったご主人様は椅子から立ち上がり、それから俺の前に膝をついた。
その細腕が俺の体を抱きしめてくださる。
暖かさとほのかに香る甘い香りが胸に痛い。
「ありがとう、キョンくん……。キョンくんといられて、嬉しかった。キョンくんはあたしの自慢のペットでした」
その手が俺の首の後ろへと回され、もぞもぞと無図痒い感覚がしたかと思うと、胸元からネックレスが引きずり出された。
ご主人様がくださった、大切な首輪。
所有の証であるそれが外されたことが、酷く苦しい。
拘束から解放されたというよりも、いきなり水の中に放り込まれたような息苦しさがある。
「……キョンくん」
「………朝比奈さん」
俺がそう返すと、彼女は柔らかく微笑んで、
「そう、それでいいんです。………なんて、偉そうなことはもう言っちゃだめよね」
「朝比奈さん、俺は……」
言ってもいいだろうかとためらう俺に、彼女は優しく、
「言って。…聞かせてください。キョンくんが言いたかったこと…全部」
そう促されて、俺はやっと口をきくことが出来た。
「……俺は………朝比奈さんが…好きです。好きでした。朝比奈さんが教えてくれたこと、俺のためにしてくれたこと、全部……嬉しかったですし…大事に………しますから…」
「うん…。あたしも………キョンくんが好きよ…」
泣きそうになるのを堪えて、彼女に抱きつく。
きっとこれで最後だ。
忘れないように、その体温を、香りを、音を味わう。
「……さあ、そろそろ行きましょ。あんまり待たせちゃ悪いから」
「…はい」
俺は彼女と並んで歩いた。
離れることもなく、俺が後ろに下がることもなく。
そうして、小さな声で思い出話なんかをした。
彼女にしていただいたこと。
俺が覚えたこと。
新しいご主人様にちゃんとご挨拶するようにという注意もしてくださった。
ゆっくり歩いて、たどり着いた先はやはり、古泉の部屋だった。
インターフォンのボタンを押して鳴らすと、すぐにドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
そう薄い笑みを浮かべて言った古泉は、俺の首に首輪がないのを確かめるような目で俺の首元を凝視していた。
服の上からでも透かし見られそうな視線にぞくりとする。
「どうぞ中へ」
と勧められるまま部屋の中には入ったものの、朝比奈さんは玄関から奥に上がろうとはしない。
「あたしはここで……」
「そうおっしゃらずに上がってください」
と古泉が勧めても聞かない。
「いいんです。…あたしはお届けに来ただけですから」
「………本当にいいんですか?」
「はい。…別れはもう、惜しんだもの」
そう言っておいて、彼女はあえて明るい笑みを見せ、
「あたし、調教師にでもなろうかな」
と言う。
育てるのが楽しかっただけだとでも言うように。
でも、その目は潤んでいて、今にも涙が溢れそうで。
「古泉くん、キョンくんのこと、お願いしますね。…キョンくんも、ご挨拶して」
言われるまま、俺は古泉の前に跪く。
「……もらって…いただけますか」
そっと問いかけると、
「ええ、喜んで」
と笑顔で言われた。
薄寒いものとは違う。
柔らかくて暖かな笑み。
それがどこか、朝比奈さんのそれと似ていて。
だから俺は、大丈夫だなんて思えた。
「…よろしくお願いいたします。ご主人様」
スリッパをひっかけたその爪先にそろりと口づけると、
「よく出来ました」
と頭を撫でられる。
その仕草が思っていた以上に優しくて、くすぐったい。
「キョンくん、あたしは少し厳しめに躾けたけれど、優しくされるのだって、嫌いじゃないでしょう?」
少し心配そうに言ってくれる朝比奈さんに向き直り、でも床に座ったまま、俺は小さく頷く。
「……幸せになってね、キョンくん」
その目にはいよいよ大きな雫が玉を結んでいる。
俺は図々しいとは思いながら、新しいご主人様に問いかける。
「………ご主人様、」
この時点で、勝手に口をきいたことを叱責されるだろうかと思ったが、新しいご主人様は優しい……というか、自分の物には優しい、ということなんだろうか、察したような目で俺を見つめ、
「どうしました?」
「…朝比奈さんを慰めてさしあげては……いけませんか」
「…だめだと言ったら?」
そんなもの、決まっている。
「ご主人様の仰るとおりにいたします」
迷わず答えた俺に、ご主人様は満足げに唇を歪め、
「いいですよ、それくらいなら。…せっかく、あなたをこんなにも躾けてくださった方ですからね。譲っていただく立場として、ここで狭量さを見せても見っとも無いだけでしょうし」
「ありがとうございます」
これ以上なく深く頭を下げた俺は、ゆっくりと立ち上がり、朝比奈さんに顔を近づけた。
朝比奈さんは慈しむように俺を見つめていたが、俺がどうするつもりなのか分かったのだろう。
静かに目を閉じた。
その拍子に零れ落ちた涙を、俺は伸ばした舌先で拭う。
涙を追って、その長いまつ毛を舐め、雫を残さず舐めとった。
そうして体を離すと、朝比奈さんは泣きそうな顔になりながら、
「…キョンくん、元気でね」
「…また学校では会えるでしょう?」
「うん………そうね…」
学校や町で会ったところで、もうこれまでのようなことはないと分かっていて、そう口にした。
きっと、もう、朝比奈さんに打擲していただくこともない。
たとえご主人様が朝比奈さんをプレイに誘ったとしても、彼女は拒むだろう。
それでも、まだ、会えるだけいいんだろう。
いつか、そう遠くないうちに、会うことも叶わなくなる。
朝比奈さんは俺にではなく、俺の新しいご主人様に向かって頭を下げ、
「キョンくんのこと……頼みますね」
「ええ」
「…それじゃ………さようなら」
そう言って、朝比奈さんは出て行った。
ドアに遮られて、その姿はすぐに見られなくなる。
名残惜しさにそれを見つめていると、背後から抱きしめられた。
「…本当によかったんですか?」
聞いたことがないほど不安げな声に驚くが、同時に疑問もわき上がる。
「何がですか?」
「…あなたは…彼女のことが…」
「朝比奈さんは、」
と俺はご主人様の言葉を遮った。
そんな勝手なことをすれば、それこそお仕置きされても仕方ないくらいだ。
むしろ、お仕置きをしてもらえないなんてお仕置きをされるなんてことも考えられるかも知れないが。
とにかく、これだけは言っておきたくて無理矢理に言葉を吐き出す。
「俺の大事なご主人様でした。俺に色々なことを教えてくれた人です。………あの人が好きです。だからこそ、あの人が俺のことを思って、俺のためにと働きかけてくださったのに、無下になんて出来ません」
「………」
ご主人様の返事はない。
だが、聞いてくれているのは分かった。
「…それにきっと……朝比奈さんは分かってたんです」
「…何をです?」
「………俺が……ご主人様にも惹かれてたこと」
ご主人様、と言いながら、胸のあたりに回された腕にそっと触れると、ご主人様は軽く目を見開いた。
「本当ですか?」
頷いて、俺が少し体をひねると、腕の拘束は緩められ、簡単に体の向きを変えることが出来た。
そうして、甘ったれな猫がしっぽを絡ませるように、腕を首に絡める。
「ご主人様……俺のこと…ご主人様のいいように躾けてください…。どこまで甘えていいのか、どんなことをしてはいけないのか、ご主人様のことを、教えて………」
そう言って、唇に触れるだけのキスをする。
甘えたキス。
「僕にも、あなたのことを教えてください」
「はい………、ご主人様が望むなら、なんだって……」
「…あなたは、痛くされるのがお好きでしたよね?」
「はい、痛いのが好きです。…痛くされて、傷が残るのが、嬉しいです。優しいのは……不安になります。でも、ご主人様は……朝比奈さんと違って、どうしても手の届かない場所に行ってしまったりすることは、ないでしょう?」
だったら優しくても平気です、と告げた俺を、ご主人様は強く抱きしめてくれる。
「ご主人様の愛し方を、俺に教えてください…。優しくても激しくても痛くても……嬉しいですから」
そう言った俺に、ご主人様はご褒美のような、苦しいほどに激しくて、とろけそうに甘いキスをくれた。