眠り月
捏造大学生
めんくい
大騒動しかなかったんじゃないかと思うような、けれど思い出せばとても心が穏やかになるような、つまりは最高の高校生時代を過ごした僕らも、気が付けば順当に高校を卒業し、大学生になっていた。進路はほどほどに分かれたものの、僕と彼とは同じ大学に入学し、学部の違いにも関わらず、時々学食でテーブルを同じくする程度の距離を保っていた。
今日も、授業が終わり、一人きりのわび住まいに帰る前に腹ごしらえをと思って学食に入ると、彼が憤懣やるかたないという顔をして座っていた。
いくら親しい間柄とは言っても、そんな状況にわざわざ近づくほど身の程知らずでもなければお人好しでもないつもりなので、目につかないようにこっそりと離れた席に行こうとしたところ、
「古泉」
とどすの利いた声で呼び止められた。
これで逃げ出せるほど僕は度胸があるわけじゃない。
諦めて振り返り、
「ああ、こんばんは。ご機嫌いかがです?」
「麗しく見えるようなら視力検査をしに保健室に誘ってやるよ」
とげとげしくはあるものの彼らしい諧謔を含んだ言葉につい笑みを返し、彼の向かいの席に座った。
「晩飯か?」
「ええ。あなたは……」
問いかけると、彼の方こそよっぽど不思議そうな顔をして、
「…なんだろうな。晩飯は家にあるはずなんだが、おやつってのもおかしいだろ」
「そうですよね。…いつからこちらに?」
彼の前にあるのは表の自販機で売っている紙コップのコーヒーのようだったが、それももう残り水深5ミリを切っている。
おそらく冷め切ってもいることだろう。
「もしよろしければ、」
と僕は軽く苦笑して、
「何か召し上がりませんか? 夕食の邪魔になってはいけませんから、少量の甘いものか飲み物でも」
「それくらいなら、お前の飯をつつかせてもらった方がいいな」
言いながら彼はひょいと箸を奪い、生姜焼きを一切れ、僕の皿から奪っていった。
「おかずばっかり取らないでくださいよ」
「んー」
頷きながら、茶碗を取り上げ、白ご飯も減らしていった。
「キャベツはちゃんと食えよ」
というのは優しさなのかなんなのか。
僕は小さくため息を吐いて、
「それで、なんだってこんなところに陣取ってるんです?」
「ほかに行き場がないからだ」
「あなたなら、どこにだって行けるような気がしますけどね」
「茶化すな」
自分のコーヒーではなく、僕の注いで来たお茶をぐっと飲んだ彼は難しい顔をして、
「……なあ、なんで俺には彼女が出来ないんだと思う?」
と彼らしくもないことを言いだした。
「は?」
「………なんだその反応。つか、優等生面が崩れて間抜け面になってるぞ」
「…あなたが驚かせるからですよ」
眉を寄せて無理矢理体裁を取り繕いながら、僕は彼から箸を取戻し、みそ汁をかき混ぜた。
それを一口飲んで落ち着いてから、僕は疑問を口にする。
「彼女が欲しいなんて思ってたんですか」
「思ってなかったら、合コンなんかいくかよ」
どこかふてくされた調子で言うということは、もしかして他の人にも同じようなことを言われたのかも知れない。
「てっきり誘われたから人数合わせのつもりで、とかそういうことなのかと思いましたよ。ほら、前にご一緒した時だって、積極的に話しかけたりはしないで聞き手に回ってらしたじゃないですか。結局誰とも連絡先の交換もしてなかったようですし」
「あの時はお前がいるって時点でほぼ諦めてたんだよ」
言いながらテーブルの下でごつんと脚を蹴られた。
「それに、下手に連絡先をばらまくってのも怖いだろ。今時どういう風に流れて、どう使われるか分からん」
「そんなこと言ってたら、彼女どころか友人もさして増えないと思うんですけどね」
そう言った僕はというと、合コンなんて行った日には半ば強引に迫られて連絡先を取られることもあるので、携帯だというのにサブアドレスがあるという状態なんだけれど。
「じゃあ、合コンじゃなくて他のところでの出会いはどうなんです?」
「…そっちもさっぱりだな。友人くらいまではいっても、それ以上に発展する気配はまるでない」
「……発展させるつもりはあるんですか?」
「………どういう意味だ」
首をひねる彼に、僕はどう言ったものかと少し考え込んだけれど、あえてストレートに言わせてもらうことにした。
「だってあなた、面食いじゃないですか」
「………………は?」
長い沈黙の後、彼はまるで僕の発した言語が何語であるのかすら分からなかったというような声を出した。
「違いますか?」
「面食いってつもりはないんだが…」
「でも、実際そうじゃないですか。先日の合コンの時だってそうですよ。確かに美人とは言えませんけど、愛嬌があって可愛らしい方が、あなたを気にする様子を見せていたのに、まるで気にしないどころか見えてもいないような調子で、他の男性諸氏と話したりしてましたし」
「え? そんな子がいたのか?」
「ほら、気づいてない」
「いや、だからそんな子はいなかっただろ? つうか、俺を気にするってのが分からん」
「その訳の分からない過小評価、なんとかなりませんかね」
少しばかりとげのある言葉を口にして、僕は薄く笑った。
「あなたは十分に魅力のある人ですよ。顔や成績なんてつまらないものでなく、人間として、ね。包容力もあれば思いやりもあり、かといって優柔不断でもなく、しっかりした人というのに惹かれる人は多いと思います。でも、肝心のあなたがまるで相手にしないのでは、それは恋人なんて出来るはずもありませんよ」
「お前に言われても嫌味にしか聞こえんが……」
「そうやって誤魔化すのはよしましょうよ。どうして彼女が出来ないのか知りたがったのはあなたでしょう? 僕は僕なりの答えを提示しているまでですよ」
そう言ってクッと喉を鳴らした僕は話を続ける。
「それに、時々涼宮さんや長門さん、朝比奈さんと一緒に歩いていることがあるでしょう? そうでなくても、一般の目から見て最上級の形容詞をつけたくなるような美人と一緒の時と、そうでない時だとあなたの目の輝きようがまるで違うんですよ。ですから、大抵の人間は、意識的にしろ無意識的にしろ、あなたが面食いだということに気が付いて、距離を取ると思いますね。それがあなたに反感を抱いてというよりも、自らの容姿を恥じて、ということの方が多いように見えますけど」
「そんなに露骨か?」
「少なくとも、僕からすると非常にあからさまで、見ていて面白いほどですよ。遠目に見ても、あなたが電話をしていると、相手がご家族なのか、友人の誰かなのか、はたまたあなた好みの美人なのかということは一目で分かりますからね」
それで、と僕は呆れを含んだ苦笑を浮かべ、
「本当に、自分が面食いだと自覚してなかったんですか?」
「自覚してなかったもなにも、まだ認めたくないくらいだ」
と言いながらも、半分くらいは認めているのだろう。
「ではたとえば、ということでお聞きしますが、あなたが思う美人って、どういったところでしょうか?」
「ん? だから、ハルヒとか長門とか朝比奈さんとかだろ」
「ほかには?」
と問えば、幾人かの名前を挙げてはくれたけれど、芸能人にしても校内の人物にしても、正直言って標準よりはるかに上の基準で見ているのが分かる感じだ。
多分、彼の目からすると、普通の人がいう美人、あるいは可愛い子というのは、ちょっと見れる顔くらいの感覚なのだろう。
彼の性格からするとそんな厭味ったらしい見方は似合わないから、そこまで酷い感覚ではないのかも知れないけれど、でも、実質的にはそんなところだ。
十人並の顔をどういう風に見ているのかなんて、想像することもはばかられる。
それにしても、無自覚な面食いなんて、当人も苦労しそうだ。
出会いを求めたって、自ら門を狭めていることに他ならないし、人によっては顔で人を判断するのかと反感を持っても仕方ない。
僕はいくらか同情めいたものを感じながら、
「まあ、高校時代、あれだけ恵まれた環境にあって、多くの美人に囲まれていれば、少々感覚が狂っても仕方ないですよね」
と言うと、すっかり不貞腐れていた彼はそっぽ向いたままで、
「そうだ。お前のせいでもあるんだからな」
とそれこそ無自覚に呟いた。
ドキッとしたのは驚いただけだと思いたい。
少しばかりそわそわした落ち着かない気持ちのまま、
「…僕のせいですか?」
と聞き返すと、彼は眉を寄せたまま訝しげに、
「あん? 自分で言っただろ? 高校時代あれだけ美人に囲まれてたらしょうがないって」
とさも当然のように言われたけれど、
「……僕も美人の範疇にいれていただけるんですか」
彼女が欲しいという流れからすると、美人というのは女性陣のことばかりだろうと思っていただけにさっきの発言は不意打ちだったのだけれど、彼は本当に無自覚だったらしい。
「…………あ」
と声を上げ、それからぱっと顔を赤くした。
それでもちゃんと、
「す、すまん、気を悪くしたか?」
と謝るあたり、彼らしい。
僕は微笑しながら、
「いえいえ、そう思っていただけて光栄ですよ」
「……お前が美人だってのは、事実だろ」
そう言い切って、彼はじっと僕を見つめ、
「毎日のようにお前と向かい合ってゲームなんかしてたから、俺の審美眼がおかしくなったんだ」
「おや…全面的に僕のせいなんですか?」
苦笑した僕を彼はじっと見つめて、
「おう、だから、」
――お前が責任をとれ。
なんてのは、空耳だとしか思えなかった。