眠り月

はっけん


未開発地域や未探索地域を探索し、地図を作るのも軍の大事な仕事である。どんな危険があるか分からないこと、長期間に及び乗組員の不満が溜まりやすいことなどから、生半可な人間には任せられない重要な任務ではあるものの、まさか上級大将自ら乗り出すようなことになるとは思わなかった。
「仕方がないですよ。辺りに敵と言える相手がいなくなってしまったんですから」
長年戦ってきた帝国を下し、他に見当たらないんじゃ軍をもっと縮小されても仕方がないところだったが、そこをこういう仕事があると言ってうまいこと認めさせたのは古泉の功績なんだが、
「お前のことだから、大人しく退官するかと思ったんだが」
「それも考えましたが、あの涼宮閣下がそうするとは思えませんし、それならあなたの退官が認められるはずもありませんから、縮小に伴って分散された場合、あなたから遠く離れた土地に赴任させられても嫌ですからね。僕なりに頭を絞ったんですよ」
「…そうかい」
恥ずかしいことを言う奴だ。
照れ臭くなりながら、俺はごろりと寝返りを打ち、古泉に背を向ける。
「まあ、こういう仕事も悪くないよな」
「そうですね。閣下も楽しそうですし」
「あいつはもともとこういうことがしたくて軍に入ったんだろ。勿論、愛国心なんてものがないってわけでもないんだが」
「未知の生物に出会いたい、と常々おっしゃってますからねぇ…」
苦笑してはいるが、古泉だってそういうことを思っているくちであることは知っている。
そろりと伸びてきた手が自分の肌に絡むのを許容しつつ、俺は静かに目を閉じた。
「……しかし出来ればこのまま、静かに過ごしたいもんだな」
「全くですね。……あなたとこうして、ゆっくりと……」
しかし、その望みは残念ながら叶わなかった。
見知らぬ宙域に入ってしばし。
生物が存在していてもおかしくないほど恵まれた環境を発見したのだ。
恒星からの距離といい、公転周期といい、我らが母星とよく似ている。
青く輝くその星に期待を抱いて、俺たちはその星の衛星軌道に乗った。
「さあっ、調べに行くわよ!」
と意気込むハルヒを止められるはずがない。
一応、
「大将自ら乗り込むなよ。こういう時はまず探査ロボットを出すもんだろ」
と声を掛けたが、
「そんなのとっくの昔に出したわよ! 大気の組成も上々、マスクなしでも下りられるわ」
そりゃ凄いな。
「これなら今度こそ宇宙人との遭遇も夢じゃないわね!」
とはしゃぐハルヒは歳相応に見えて、それはそれでほほえましいのだが、機嫌が良くてもハルヒが危険人物であることに変わりはない。
「ってことは危険な生物がいる可能性もあるってことだろうが。そんなところに団長が乗り込んで何かあったらどうする。お前の代わりが務まるようなやつはいないぞ」
ため息まじりに言えば、ハルヒはにやりと笑い、
「当然ね。あたしの代わりが出来るなんてそういないわ。でも、何かあった時に代わりがいないのは誰だってそうよ。だったら、危険なところに部下を行かせるより、あたしは自分で行きたいわ」
というと部下思いのいい上司のようだが、
「自分が一番乗りしたいってのが本音だろうが……」
呆れ返る俺に、ハルヒはふんふんと鼻歌まじりで、
「せっかくの機会だから有志を募るわ。キョン、あんたは当然行くわよね?」
俺はどっちかというと艦内で大人しく待っていたいんだが、ハルヒを止められる人間がいないとまずいだろう。
「古泉くんはどうする?」
以前の古泉なら、ハルヒの代わりに艦に残ると言うところだろうが、
「では、せっかくですからご一緒させてください」
と言っておいて、俺に目配せした。
やめろ、くすぐったい。
「みくるちゃんは?」
「あっ、あたしはお留守番します!」
びくつきながら朝比奈さんが答え、留守番役も決まった。
「有希は探査のサポートお願いね」
「了解した」
と長門が頷いたが、嫌なら断ってもいいんだぞ?
「……私も興味があるから」
ならよかった。
「鶴屋さんは?」
「あたし? あたしはほらっ、みくるを一人で置いとくのは心配だから留守番しとくよっ! 危ないお仕事はハルにゃんたちに任せたっ」
と鶴屋さんが明るく笑い、森さんも、
「それでは私も留守番組ということにいたしましょう。お気をつけていってらしゃいませ」
「んっ、よろしくね!」
それから、
「希望者は5分以内に集合!」
なんて無茶苦茶な召集で集まった猛者五十人ほどを適当に分けて、SOS艦隊はその未知なる惑星に降り立ったのだった。

そこは本当に美しい星だった。
生物棲息の可能性なんてもんじゃないことは地上に下りる前に分かった。
溢れる緑に埋め尽くされたそこはまさに、原初の母星を思わせる星だった。
大気は濃密な酸素の匂いがした。
それに水の匂いも。
「物凄いな……。地球そのものみたいじゃないか」
しかし、細かく見ると違うらしい。
『植生がまるで違う。どれも未知の植物』
と通信機で俺の呟きを拾ったらしい長門に指摘されちまった。
「そうなのか?」
『似てはいる。けれど、組成が大きく異なっている』
「となると、うかつに手出しはしない方がいいな」
一緒にいる部下にも注意を促し、慎重に森の中を進んでいくと、大きく開けた場所に出た。
「長門、ここはなんだ?」
自然に開けたにしては妙に整っている気がして、画像を送りながら尋ねると、
『……巣』
と聞き逃しそうなほど短い返答があった。
「………は?」
『大丈夫、危険はない』
「…お前が言うならそうなんだろうが……」
巣って……ことはやっぱり動物もいるってことか。
恐る恐る進んでいくと、広場の真ん中にこんもりと草が盛り上げられているのが見えた。
……あれが巣か?
そこに動物の気配はない。
温度を調べても熱源らしいものもない。
使ってない巣なのか?
そろそろと近づくと、そこに白く大きな塊があることに気づいた。
「まさか……」
見慣れた丸み。
つやはないのだが硬そうな質感。
それはどう見ても卵だった。
「……常識として、卵に近付くのはまずい…よな……」
どこかから親が駆け付けてきた場合、卵に危害を与えようとしたと見なされ、襲われる可能性は高い。
だから、と俺は声を潜め、近くにいる部下にもゆっくり戻ることを小声で指示した。
近付く時よりも更に慎重に下がると、草が踏み締められるような音がした。
それも、卵の方から。
ぎょっとして見ても、親の姿はない。
気のせいだろうか。
卵に背を向け、一歩ニ歩と歩く。
がさがさと音がする。
歩く。
がさがさ。
歩く歩く。
がさがさがさ。
……ちょっと待て。
怖々振り返ると、そこにはあの卵があった。
俺が歩くとついてくるってのか?
卵なのに?
『卵というより、さなぎに近い』
「長門、これはどうすりゃいいんだ?」
『大丈夫。危険はない。……あなたなら特に』
どういうことだ、と尋ねようとした俺の足元に卵がころころと転がってきた。
そして逃げる間もなくそれはぱっかんと割れ――、
「んにゃ?」
と可愛い声を上げたのは、三角形の尖った耳と長く細い尻尾を持つ子供だった。
それもどこかで見たことのあるような顔をしている。
「…というか……俺?」
「おれ?」
そう呟いて、そいつはじーっと俺を見つめる。
「さ、作戦参謀、一体どうなってるんでしょうか」
戸惑いの声を上げる部下に、分からんと返すより早く、そのちんまりとした生き物が、
「さくせんさんぼ?」
と言う。
……なんだろうか。
この感じは覚えがある。
妹が喋り初めた頃、こんな調子で色々と言葉を真似ていたのとよく似ている。
「長門、こっちの状況は分かるな? 一体どうなってんだ?」
『……推測でいい?』
ああ、それでいい。
『おそらくそれは、他の生物に擬態することによって繁殖と子供の育成を行う種類の生物。より強いもの、賢いものを選んで擬態し、相手に似せた姿で生まれてくると思われる。その姿が完全に同じでない理由は不明。そして、その特性から、あなたから離れたがらないと考えられる』
……あー…ええと、つまり、長門さん?
『…連れて帰って』
やっぱりそうなるのか。
「本当に危険はないんだろうな?」
『ない。…他の凶暴な生物に擬態したものであれば危険性も高まる。しかし、擬態したのがあなたであれば……』
「そりゃ、大丈夫だろうな」
ため息を吐いて、俺は上着を脱ぐと、素っ裸のまま足元に突っ立っていたそいつを上着で包み、抱き上げる。
「暴れるなよ」
「あばれるなよー」
……。
うかつなことは喋れないな、こりゃ。
大きさは、せいぜい二歳か三歳の子供だ。
運動能力もそんなもんだろうから、こんなもんを連れたまま探索を続ける訳にもいかん。
ひとまず艦に帰ることにして、小型艇に戻ろうと歩き出す。
来た道を戻り、森を抜けると、もうひとつ小型艇が寄せてあった。
あの艇は……。
「幕僚総長の艇ではありませんか?」
「だよな」
あっちも何かあったんだろうか。
そう思いながら近付くと、艇の陰から古泉が顔を出した。
「お戻りになられましたか」
ほっとしたように呟くのは勝手だが、
「どうかされましたか」
「……あなたと同じですよ」
苦笑して見つめる先にいるのは、俺が抱く生き物だ。
「…は?」
戸惑っていると、てててっとかわいらしく、小さな生き物が艇の陰から現れ、古泉の足にしがみついた。
……なるほど、同じか。
ただし、俺の抱いているやつは猫耳なのに対して、古泉にしがみついている奴はふさふさとして垂れ下がった犬の耳をしていた。
一度艇に戻ったからだろう、犬耳には服を着せてあった。
同じ種族同士、何かやりとりがあるかと期待して、猫耳を抱いたまま古泉の足元にしゃがみ込み、犬耳に近づけてみたが、お互い見つめあったものの、犬耳は古泉の後ろに隠れるし、猫耳はぷいっと顔を背けるしでうまくいかなかった。
古泉は小さく笑って、
「それにしても、可愛いものですね。あなたの子供の頃もこんな感じだったんですか?」
「……幕僚総長、勤務中です」
「厳しいですね」
くすりと厭味っぽく笑った古泉は、かすかな声で、
「また後で」
と囁き、俺の心拍数をはねあげておいて、
「とりあえず、具体的な理由は伏せたまま、探査中の各艇には母艦への帰投を指示しておきました。涼宮閣下もこれで帰ってきてくださるといいんですけど……」
そりゃ、期待しない方がいいな。
どうせなら、面白いものを見つけたって言えば、あいつも帰ってくるだろうに。
…いや、俺や古泉が見つけたって言ったらかえって張り合うだろうか。
あいつの行動パターンはよく分からん。
とにかく、
「帰りますか」
「ええ、そうしましょう」
それだけのやりとりしかないってことは、わざわざ俺の顔を見に来たというよなものであり、非常にくすぐったい。
そういうことをして、周りの奴らに気付かれたらどうするんだと咎めたいような、ちょっとの間に思いがけず会えたのが嬉しいような気持ちになる。
にやけそうになるのをぐっと堪え、俺は艇に乗り込み、帰投を命じた。