眠り月

薬剤科長の指摘


「キョンと古泉くんの雰囲気がなんだか変わったよね」唐突に爆弾を投下され、俺は瞬間冷却でもされたかのように凍りついた。
いや、より正確に言うなら、国木田は爆弾を落としたわけではない。
ただ、ためらいなく爆弾の起爆スイッチを押しただけだ。
その爆弾そのものは俺の中に埋められていたようなものであり、つまりそれがどんなに小規模だったにせよ、俺に機能停止をもたらしても仕方のないものだった。
硬直している俺に、国木田は黙々と食事を続け、しばらくしてから、
「前より柔らかくなったっていうのかな。一緒にいるのを見かけることも増えたし」
「そ……そうか…?」
「あれ? 僕の気のせいかな」
にこにこと言う国木田が正直薄気味悪く、半端でなく恐ろしい。
こいつは時々こういう得体のしれないところを見せるが、それにしたってそれを直接自分が体験するのは初めてで、俺はまるきり蛇ににらまれたカエルのようになっていた。
だらだらと冷や汗が背中を伝う。
こういう時はどうすればいいんだろうか。
びくつく俺を面白そうに見ながら、国木田はなんでもない様子で食事を続けている。
宇宙空間にあるとはいえ、標準時刻に合わせて強制的に時間が流れる艦内では、こんな夜中に近く、シフトの交代時間からも中途半端に離れた時間だと食堂には人影もまるでない。
それだけに、国木田がこんな話を振ってきたのが意外だった。
国木田なら、大抵俺に逃げ場を残した上で話を振るのだが、今回は逃すつもりはないということなのか、真正面からにこやかに見つめられると寒気を感じる。
「気のせいだろ」
と返したものの、国木田にはお見通しらしい。
「キョンって本当に、プライベートに関してはまるで隠し事が出来ないよね」
しみじみと呟かれちまった。
つまり、隠そうとするだけ無駄ってことか。
「俺はそんなに分かりやすいか?」
「うん」
断言するな。
そこはせめてもう少し濁してくれてもいいだろ。
「ああ、心配しなくても、仕事に関してはちゃんと隠せてると思うよ。こないだの作戦なんて見事だったよね。キョンがああいう肉を切らせて骨を断つような作戦を選ぶなんて意外だったけど」
「あの時はああするのがベターだったんだ」
ベストとは言いたくないが、と苦々しく思いつつ、このまま話題を変えられるならとそっちに話を誘導しようとしたってのに、
「あれも、古泉くんならこちらの犠牲を最小限に抑えつつ、うまく帰ってこれると思ったからやれたんだろ? それともその直前の、古泉くんにしては珍しい勝手な先行があったから、そうする決意がついたんだったりする?」
と図星を刺されて息が止まった。
ぐっと押し黙った俺に、国木田は相変わらず笑顔を消さない。
俺は諦めの溜息を吐いて、
「ずるいとは思うが、先にお前が考えてることを聞かせろ。どういう関係だと思ってるんだ?」
「いつだったか、男ばっかりで飲み会しただろ? あの時古泉くんのところにキョンを送り届けたじゃない。あの感じからして、あれ以来付き合ってるのかなって」
大当たりだ畜生。
「…時々、なんでお前が薬剤科でおとなしくしてられるのか本気で不思議でならなくなるんだが」
「人対人の交渉や推測は好きだけど、戦略を練るとか長期的に考えるのって苦手なんだよね」
さらりとそんなことを言ったこいつを、どうすれば外交関係の役所に流せるのかと半分本気で考えつつ、
「聞いてどうする」
「んー……僕としては、自分の推測が当たってるのかどうかが分かればいいようなものだけど……ほら、前にも言ったじゃない。キョンを紹介してほしいって言われるって。付き合ってるのなら、それこそ、紹介しちゃまずいだろうし、それとなく諦めるように言った方が相手のためでもあるだろう?」
「あー………それは…そう、だな………」
どちらかというと、紹介するのしないので揉めそうなのは古泉の方だが。
「どうする?」
「……素直に認めろってことだろ」
ため息のような言葉を吐き出して、俺は握り締めたままになっていた箸を置いた。
「お前が考えてる通り、あの晩からあいつと付き合ってる」
「そっか」
それだけかよ。
「なにかコメントした方がいいの? …そうだなぁ」
と考え込んだ国木田は、
「いいんじゃない?」
「……は?」
「だって、あれからキョンも古泉くんも調子いいんじゃないの?」
「それは………まあ…」
「古泉くんなんて、前はおとなしい事なかれ主義者って感じだったのに、最近は活発に走り回ったり、涼宮閣下にも意見するようになってきてるらしいし。…キョンと付き合ってるから、だろ?」
「う………多分…な」
恐ろしく恥ずかしいものがある、と思いながらも素直に同意すれば、
「だから、いいんじゃないかなって思うよ。これが、キョンがだめになるようなお付き合いなんだったら止めるところだけどね」
と小さく笑って言われて、俺はどう言葉を返せばいいんだろうかと黙り込む破目になった。

国木田との食欲を減退させられるような食事を終えた俺は、これはもう、付き合うようになる以前から変わらないのだが、何も考えることなく古泉の部屋に入り、主不在のベッドに寝転がった。
古泉は部屋にいるのはいるのだが、忙しく仕事を続けている。
「ちゃんと時間内に終わらせろよ」
拗ねた口調で呟けば、古泉は柔らかな微笑をこちらに向け、
「すみません、もうすぐですから」
「そうじゃなくて、勤務時間はとっくに終わってるんだろ。非常時でもないのに無給で働くなんて、労務関係に知られたら大目玉だぞ」
「それは分かってるんですけどね…」
というか、何の仕事をしてるんだ?
ベッドから起き上がり、古泉の背後に回り込むと、慌てて画面を隠された。
「おい」
「ええと…機密ですから」
「嘘つけ」
機密ならこんな風に勤務時間外、自前の端末からのぞけるわけがないからな。
「ガキがエロサイト見てるのを見つかったみたいなことしてないで、正直に見せろ」
「い、いえいえそんな……」
愛想笑いでごまかそうとするのを無理矢理覗き込むと、そこには嫌に見覚えのある書類が表示されていた。
「……おい……これ………」
「…ちょっとした手直しですよ」
と苦笑するのは勝手だが、
「それ、俺の仕事だろ」
どう見ても俺が提出した書類だ。
おそらく、何か不備でもあったのを古泉が気を利かせてくれたんだろう。
「…すまん」
「いえ、本当にちょっとしたことですから、あなたの手を煩わせるまでもないと僕が勝手に判断しただけですよ」
そう笑って古泉は手早くキーを叩き、
「ほら、これで終わりました」
と書類を保存してしまうと、あっという間に端末も閉じた。
「……今度から真面目にやるから」
「ふふっ、あなたが真面目にするより、僕が手直しする方が早いのでは?」
冗談めかして言われ、俺も笑いながら、
「言ったな」
と軽く返す。
ごく自然な動作で腕を取られ、そのまま抱き寄せられる。
俺は素直にその膝に収まり、甘えるように古泉の首へと腕を絡ませた。
そうすれば、当然、顔が近付き、そうすれば唇を触れ合わせない訳がない。
首筋からうなじをたどり、柔らかな髪を撫でるように手を滑らせ、緑色の帽子をそっと取り上げる。
それを抗議されない程度の力加減でデスクの上に投げると、抱きしめてくる腕にぐっと力が加えられた。
それにともない、キスも深くなる。
「ん……ぁ…」
口の中をくすぐられて気持ちいいってのはなんなんだろうな。
指でも歯医者の治療器具でも口の中につっこまれりゃ気持ち悪くなるもんだろうに、相手が古泉だとそうじゃない。
「……はっ…あ……、いっそお前が歯医者ならよかったな」
「なんですかそれ」
面白がって笑う古泉に俺はにやりと笑い、
「お前になら口の中にナニを突っ込まれようと気持ちいいからな。それならお前が歯医者にでもなってくれりゃ、嫌じゃないかも知れんと思ってな」
古泉は俺より遥かに悪辣な笑みを見せ、
「誘ってますね?」
「聞かなくても分かるだろ」
とは言ったものの、先に話さなきゃならんことがあったな。
「なんです?」
オアズケされて不満そうな顔をしつつも、話を聞いてくれるつもりはあるらしい。
「――国木田にお前と付き合ってることがばれてた」
「おや…」
驚いた様子で目を見開き眉を跳ね上げた古泉に、俺は軽く頭を下げ、
「すまん、俺のせいらしい」
「構いませんよ。彼なら悪戯に言い触らすこともないでしょうし」
でも、と古泉は苦笑して、
「他の人には知られないように気をつけましょうね。僕も勿論気をつけますから」
「だな」
同性愛がどうのっていうより、軍属で職場恋愛ってのがちょっとばかりまずい。
知られたら懲戒を受けてどうなるか、考えたくもない。
それ以上に、ハルヒを面白がらせたくないってのもあるしな。
「いっそのこと、自主的に退官してしまいましょうか」
と古泉が軽口を叩くので、俺も悪乗りして、
「それもいいな」
と同意してやる。
実現不可能だとは思っているし、そんな逃げ方をするつもりはないが、それが出来るのなら悪くないと半ば本気で思いながら。
「そうしたら、何をして食べていきましょうか?」
「なんだっていいが、よくある警備系の仕事だけは勘弁してもらいたいな。もっと平和で安全で大人しい仕事がしたい」
「お花屋さんとか、あなたなら似合いそうですよね」
どこがだ。
自慢じゃないが栽培キットなんかをもらってもたいてい三日で枯らす男だぞ、俺は。
「育てるのは花屋の仕事じゃないと思いますけどね」
と苦笑しておいて、
「でも、そんなに植物の世話が苦手とは、少々意外です」
「俺は動物専門なんだ。……特にハルヒとかうちの妹みたいな猛獣担当だな」
「はは、なるほど。……僕もすっかりあなたに手なずけられてますからね」
「お前のどこが猛獣なんだ?」
草食っぽい顔して。
「十分ケダモノだと思いますけどね」
そう言った古泉が俺の首筋に噛み付く。
「んっ…! なんだよ……」
「あなたと話すのも大いに楽しいことではあるのですが…膝の上にあなたを抱いたままでは、ついそちらに意識が向いてしまいまして」
悪びれもしないで、その手を滑らせ、俺の素肌をまさぐりにかかるあたりなんかは、なるほど本当に我慢しきれなかったんだなと納得できるような焦りを感じさせるのだが、
「…顔だけだと余裕にしか見えんな……」
「そうですか?」
「ああ、面白くない」
そう返して、俺は自分から古泉に口づける。
噛み付くよりも深く、その唇を、舌を貪る。
ぴちゃりと音を立てて唇を舐めた俺は、既に我慢の糸が切れている古泉に向かって、
「……知られないように慎重にしろよ」
と囁いて、後は古泉に任せることにしたのだった。