眠り月

スマイル? 4


生まれて初めて恋人が出来たと思ったら、相手は男で、それも随分と年下だった。それを改めて自覚するたびにのたうちまわりたい衝動にかられるのだが、それに関してはもう諦めるしかないのだろう。
しかしながら、今日はそれを嫌と言うほど味わうことになる。
そうと覚悟してても気が重い。
うんざりしながら自室でぼんやりしていると、携帯が鳴った。
耳になじんだメールの着信音は、古泉からのものだとすぐ分かる。
確かめなくても内容は分かる気がしたが、一応開けば予想通りの文面があった。
『今から伺います』
簡素な、それこそ素っ気ないほどの内容だが、あいつからのメールなんてそんなもんだ。
電話だと長くしゃべるし、顔を合わせれば言うまでもないのだが、メールとなると短いってのはどういうことなんだろうかね。
考えながらも腰を上げたのは、今からやってくる客のために茶の支度くらいしておくべきかと思ったからだ。
電気ポットに水を入れ、一分少々待てば湯が沸く。
…沸いたのはいいが、茶葉はどこにやったかな。
全くと言っていいほど使わんからしまった場所すら思い出せない。
思いつく限りの場所を探すべく、あれこれ引出しを開け閉めしていると、ドアが短くノックされた。
「どーぞ」
反射的に返しておいて、このごちゃごちゃした部屋を見られるのはまずいかとも思ったのだが、幸い、顔をのぞかせたのは待ち人だった。
「よう」
「こんにちは、お邪魔します」
そう言って部屋に入ってきた古泉は、まじまじと俺を見つめ、それから部屋の中を見回しておいて、
「……本当に、学生じゃなかったんですね」
と呟いた。
「……ちゃんと職員パスだって見せてやっただろうが」
ほれ、と胸からぶら下げてあるそれを目の前に突き付けると、古泉は苦笑して、
「ええ、見せていただいたんですけどね……なんだか、信じられないような気がします。…あなたがうちの大学の准教授で、僕より10も年上だなんて」
「どうせ俺は改まった格好をしてても学生と間違えられるよ」
不貞腐れて言えば、古泉は柔らかな笑みをこちらに向け、
「拗ねないでくださいよ。…若々しくていいじゃありませんか」
「うるさい」
「困ったな……」
そう頭をかいている古泉はと言うと、なんとまだ2年生なんだそうだ。
まだ二十歳になってそこそこ。
三十路に突入した俺からすると、なんでその年ですでにそんなに落ち着いているのかと聞きたいくらいだ。
「ああそうだ、これ、お土産です」
と言って差し出されたものは、古泉のバイト先の袋だった。
「……お前な」
「すみません、簡単に手に入るものですから」
「まあ…下手に改まったものを持ってこられるとそれはそれで反応に困るんだが」
ぶつくさ言いながら袋を開けると、中にはホットコーヒーとアップルパイが入っていた。
「……嫌いじゃないけど、なんかおかしいだろ。茶ぐらい淹れてやろうと思ってたってのに」
「そんなこと言ってますけど、茶葉が見つからなくて苦労してた…なんてところじゃないんですか?」
見透かされてぎくりと引きつれば、
「本当にそうだったんですか?」
と笑われた。
「…うるさい」
「もてなそうとしてくださっただけでも嬉しいですよ。…いえ、こうして招待してもらえただけでも」
そう言いながら古泉は距離を詰め、俺を抱きしめる。
「おい…」
「二人きりなんですから、いいでしょう?」
「大学の中でなんて…」
口先で文句を言ってはみるものの、拒む腕に力はない。
「寂しがり屋のあなたですから、こんな部屋で一人で過ごしてたら心細いでしょう? だから、寂しくならなくていいようにしてあげますよ」
なんだそりゃ。
「ここでシたら、後になっても思い出して恥ずかしくなるでしょうね。そうしたら、寂しがってる暇なんてありませんよ」
「あほか」
「嫌なら拒んでくださいね」
何度も聞いた気がする言葉を繰り返しながら、古泉は俺に顔を近づけてくる。
触れ合うぎりぎりのところで一度止まるのはなんなんだ。
それで気を遣っているつもりか。
ここで拒めるくらいなら、最初からお前を部屋に上げたりしねえよ。
俺はぎゅっと目を閉じ、柔らかな唇が降りてくるのを待つしかない。
意地の悪い笑い声が、かすかに聞こえた。
しかし、抗議しようとする前に唇が重ねられる。
「ん………ふぅ………っ…」
甘えた声を上げて、その腕にしがみつくと、
「可愛いです」
と囁かれる。
「…趣味が悪いな……」
「あなたが好みである、ということが悪趣味だというなら、それで構いませんよ。しかし、自分としてはいい趣味だと思うんですけどね」
軽口を叩いた唇が、俺の頬に触れる。
触れるだけでなく、ちろりと舐めていく。
くすぐったいのに、それだけじゃないのが恨めしい。
「ぅ……ん、古泉………」
「もっと? それとも、唇にしてほしい?」
意地悪く囁いて、古泉は俺の唇を指先で撫でる。
羽が触れるような軽さはむずむずと体の中の熱を煽り、俺は恨みがましく古泉を睨むしかない。
「睨んでも可愛いだけですよ」
そう笑って、古泉はもう一度口づけを落とした。
さりげなさを装って、ぎこちなくも唇を開けば、待ってましたとばかりに滑らかな舌が入り込んでくる。
自分の体の中に異物が入り込んでくるんだから、気持ち悪くてもいいだろうに、その異物感や違和感もひっくるめて気持ちよくて、ああ、本当にもうどうかしてる。
「や……っ…古泉……」
「嫌ですか? 何が…?」
「こ、こで、んな、こと、するな……。止まらなくなるだろ…!」
もう既に熱は高ぶり始めていて、今が止められるギリギリだと分かる。
分かったからこそそう言ったってのに、古泉は卑しく唇を歪めて、
「止めてほしいですか?」
「だ、だから、ここじゃまずいって……」
「じゃあ、どこならいいんでしょうか? あなたの部屋ですか? それとも、僕の部屋に来ます?」
「お前の…?」
「ええ」
にっこりと笑った顔を見ているとどうもその誘いをするのが狙いだったんじゃないだろうかと思えた。
どうしたものかと迷っている間にも、古泉は俺の頬にキスをし、耳をくすぐる。
「あっ…ちょ、だから待てって…ぇ……」
「早く決めてください。やっぱりこのままここでします?」
「それはいやだって言ってんだから……」
しかしどうしたものか。
そんなもん、自ら野獣の口に飛び込むようなもんじゃないか。
いや、まあ、その、なんだ?
俺だって、そういうことをしたくない訳じゃないんだぞ。
だがしかし、そういうことをすることになるのが分かってて部屋に行くというのも恥ずかしいものがあってだな。
…と、考えていると、ドアがノックされた。
そればかりか、ドアのノブが動き、音が鳴る。
「いっ…!?」
反射的に古泉を突き飛ばそうとしたまではまだいい。
……目測が狂って、古泉を引っ叩く形になっちまったのは、悪かったと自分でも思う。
「キョンせんせー……って、あれ? お客さん?」
ひょこりと顔を出したのは、俺の講義を取っている学生の一人だった。
「お、おお、おう。というかお前、ノックしたらちゃんと返事があるまで待て。勝手に開けるな」
心臓がバクバクいうのを感じながら、出来るだけなんでもない顔でそう言ったが、もしかしたら顔は真っ赤になっていたかもしれん。
「すんませーん」
ちっとも悪いと思っていない調子でへらりと笑ったそいつは、
「レポート提出に来たんすけど」
と言って薄っぺらな紙をひらつかせる。
「……レポートの締切は二日前だったと思うんだが?」
ついでに言うと、提出しなかったものは問答無用で評価しないと宣言もしておいたはずだ。
「そこをなんとか!」
と拝み込むな。
「………八掛けな」
ひょいとレポートを摘み取ると、俺はそのままデスクの上に置いた。
「八掛け?」
分かってないらしいそいつにため息を吐き、
「八割の点でつけるってことだ。……結果、不可になっても苦情は受け付けんぞ」
「ふえーい」
情けない声を上げたそいつだったが、提出したとなったらもうそれでいいのか、
「そんじゃ、お邪魔しましたー」
と言っていなくなった。
しかし、
「…自分が本当にどんなにお邪魔だったかなんて、分からないんでしょうね」
俺に引っ叩かれた頬を抑えながら、恨めしく呟いた古泉に、俺は憤然と、
「こんなところで鍵も掛けずにああいうことをしたお前が悪い」
「それにしても、叩くことはないじゃないですか」
拗ねたように言われると、少しばかり罪悪感もある俺としては、いたわらない訳にもいかん。
「……そんなに痛むか?」
「少しひりひりします」
「…すまん」
「………悪いと思うなら、」
と古泉はさっきよりさらに悪辣な笑みを見せた。
「僕の部屋で仕切り直しということでどうです?」
「……お前なぁ…」
「仕方ないじゃないですか。初めて自分から好きになって、お付き合いが出来て、そのくせあなたはつれなくて、あれ以来キスくらいまでしか許してくれない――なんて状況じゃ、ちょっとのチャンスも逃せませんよ」
珍しくも年相応にわがままを言ったと思ったら内容がそれか。
「だめですか? 思いきり優しくしますよ」
「お前の優しくってのがどんなにあてにならないかってことくらいは、酔っぱらった頭にもしっかり刻み込まれたんだがな……」
はは、と声を立てて笑った古泉だったが、
「今度こそ優しくしますから」
と食い下がる。
「……具体的には?」
「気持ちのいいことだけしますから」
「…それ、結局はお前のいいようにされるってことじゃないか」
「じゃあ、どうしたらいいんです?」
「どう……って……」
んなもん、言えるか!
真っ赤になった俺に、古泉はくすくすと愉快そうに笑う。
「教えてください。…ここではだめなら、僕の部屋で。……ね?」
だからそういうのが狡いって言ってんだろうが!