眠り月
ベストライズ?
何度か奇妙な夢を見た。その夢には俺の他には古泉しか出て来ないし、俺たちの姿もいつもとは違っている。
いつもよりとても近しい姿で、だからこそ、種族の差なんてものともせずにツガえる。
勝手の悪い姿はともかく、そうしていられることが夢の中では嬉しかったんだろうとも思う。
しかし、現実には俺はただの毛むくじゃらの犬であり、古泉は俺より体格がいい人間ではなく、俺より小さな猫に過ぎない。
あの夢が現実に古泉の夢とつながっているのかということも分からないまま、まるで確認もしていなかった。
それなのに、気が付くと俺と古泉の距離は縮まっていて、以前よりも更に一緒にいることが増えたように思う。
あいつに対する態度も甘くなったんじゃないかと危機感を抱きつつ、それでも一緒に犬小屋で寝たり、顔を寄せ合って同じ皿の餌を食ったり、毛づくろいを古泉にしてもらうだけでなく俺からもやってやったりなんてことをしていたのが悪かったんだろうか。
ある日、古泉が庭の隅でまどろんでいるところへ俺が寄っていき、その小さな体を枕にするような形で寝転がった時のことだった。
そうするのはもうすっかりいつものことで、古泉は重いなんて文句も言わず、むしろ嬉しそうにしっぽを俺にすり寄せるくらいなのだが、それを不審そうに見ていた目があった。
「……最近、あなたと一樹の様子が変化したように思う」
ぽつりと投下された爆弾発言に、俺は眠気が吹き飛ぶほど驚いた。
これだけ昼寝向きの日だってのに、どうやら寝てはいられんらしい。
俺はがばりと体を起こし、ちょうど舞い降りてきたところだった長門を見つめた。
「…なんだって?」
「…違う?」
「いや……そりゃ……まあ、多少は変わるだろ。変わっても不思議でないくらいのことがあったとは思わんか?」
「……それは、一樹があなたの家で飼われるようになったから、ということ?」
「そうだ」
「……それにしては何か違うようにも思う…」
長門にしてはあいまいな言葉だった。
俺は軽く眉を寄せ、そっとため息を吐く。
「不快にさせたのなら謝罪する」
「いや、不快って訳でもないんだがな……」
ただ、どうしたものかと思っただけだ。
「……なあ、長門、俺はそんなに変わったか?」
「………」
長門は答えない。
つまりは肯定ということなんだろう。
……参ったな。
現実と夢の区別はつけなければならんと思うのだが、現実でも夢でも変わらずあいつは俺を好きでいてくれるらしいし、素直に向けられる愛情を突っぱねられるほど俺は冷淡でもないのだ。
それに引きずられてつい、ということも大いに考えられる。
しかし、本当にそれでいいんだろうか。
おかしな夢のせいで現実の自分まで変わってきているとしたら、それはそれでゆゆしき問題なのではないか。
「長門、教えてくれてありがとな」
どうにかせねばならん、と俺は決めたのだが、しかしながらどの面下げて、
「お前、俺と人間の姿で交尾する夢を見たことはあるか?」
なんていかれたことを聞けるってんだ。
そんなわけで、どうにもならんままいたずらに時間だけが過ぎたのだが、数日後の夜、またあの夢を見た。
場所はいつだったかにも見たような草原で、周りには邪魔になるものなどない。
どうせあいつが来るんだろうと思っていると案の定、ゆっくりと歩いてきた。
「たまにはあなたの方から探してくださってもいいと思うんですが」
そう苦笑しながらも嬉しそうなそいつに、
「お互いに探すよりは片方じっとしてる方がいいだろ。お前のことならどうせすぐに見つけてくれるんだろうし」
と甘えたことを言う程度にはこのおかしな夢に慣れきっている俺ではあるのだが、
「なんだか悩んでるみたいですね」
そう言って俺の隣に腰を下ろした古泉は、柔らかなまなざしをこちらに向けつつ、
「ん……ちょっと…な」
俺は小さくため息を吐き出しておいて、ちらりと古泉を見た。
いつもと変わらないのは揺れる耳としっぽくらいのもので、あとはまるきり人間であり、それも妙に美男子だ。
それでも古泉だと間違いなく判断できるのはいいとして、思えばこいつが連続して同じ古泉であるという確認もしてなかったのは迂闊だったかも知れない。
「なあ…」
「なんでしょうか?」
「いや…今更聞くことでもないとは思ったんだが、疑問に思ったから質問させてくれ。………お前は…いつもこういう姿になって見る夢のお前、だよな…?」
古泉は驚いたのか少しばかり珍妙な顔をして、
「………それはもちろんそのつもりですけれど、僕とあなたが別個の存在である以上、僕がどう答えてもあなたを納得させることは難しいのではないかと思いますよ…?」
「……そうか」
じゃあ、これからする質問なんて、更にするだけ無駄なものなんだろうな。
「なんです?」
「無駄なら聞いてもしょうがないだろ」
「意味ならありますよ。僕があなたの悩みの理由を知りたいんです。……この夢でもそうですけど、現実でも、このところ何か考え込んでいらしたでしょう?」
「…気づいてたのか?」
「気づきますよ。……何より大切なあなたのことですから」
そう言われて嬉しいのに、もしもこれが俺が一人で見ている夢だとしたら、これほど恥ずかしい自己満足な夢もないだろうなと思うと素直に喜べない。
相当複雑な顔になっていたんだろう。
古泉は苦みの勝る笑みを見せて、
「とりあえずは、僕があなたのよく知る現実の僕と同一の存在と言う前提で話しませんか?」
「……そうだな」
もしこれが本当はただの夢だったとしても、俺一人が黙っていれば恥をかかずに済むという話だしな。
「ええ、そういうことです」
それで、と古泉は内緒話をする調子で顔を近づけ、
「一体何を悩んでおられるんです?」
「……この夢のことだ」
「この夢の……? ……まさか今更、どうしてこんな夢を見てしまうのか悩んでる、とは仰いませんよね?」
「んなこと言うかよ」
この夢を見るようになった初めの頃ならともかく、
「…今は……その、なんだ、俺だって………ちゃんとお前のことが…好きな訳だし……」
口ごもりながらもそう言える程度には自覚しちまってるんだ、と真っ赤になりつつ言えば、古泉は嬉しそうに笑って、
「ええ、そうですよね」
と答えたくせして、すぐに難しい顔になり、
「では、何を悩んでいるんです?」
「……さっき言ったことと関係してるんだが、」
と俺はため息まじりに吐き出し、
「…現実のお前と夢のお前が本当に同じなのか、気になってるんだ」
「……今更…ですね………」
「うるさい。お前だって、何も言ってこなかったじゃねえか」
「それは……夢の中ではあなたと交尾することで頭がいっぱいですし、現実は現実であなたといられれば満足ですから。それに……やっぱり僕も、独りよがりな夢を見ているだけなんだと否定されるのが怖かったんですよ」
そう言って古泉は俺の肩にぽすんと頭を預けてきた。
「古泉……」
「…あなたも同じように思ってくださってたんですね」
「……そう…だな」
「あなたを悩ませてしまったことは申し訳なく思いますし、心苦しくもあります。でも、そんな風に思うほど、僕のことを想ってくださっているということが、嬉しいです」
「………お前の方がよっぽど、俺のことを好きなくせに」
そう呟くと、古泉は小さく声を上げて笑った。
「そうですね、その通りかもしれません。でも、あなたが僕を想ってくださるそれだって、決して弱くはないでしょう?」
「……まあ…な」
照れくさいが事実その通りだからと認めると、古泉は本当に幸せそうに笑った。
「愛してます」
そう言って、きれいな弧を描いた唇が俺のそれに重ねられる。
「ん……」
これくらいならいいかと受け入れると、優しく、しかし逃れられない程度には強く抱きしめられ、草の上へと押し倒される。
「…っ、こら………、今日は話し合うつもりで……」
「そうなんですか?」
残念そうにしながらも一応離れてくれた古泉は、ねだるようにじっと俺を見つめてきたが、今日はそれで折れるつもりはない。
「しかし、何を話し合うんです?」
「それは……だから、本当に現実のお前と夢を共有してるのかってことについて確かめたくて……」
「それはいくら話しても確信は出来ないでしょう? ですから……そうですね、こうしましょう」
名案を思い付いたとばかりに、殊更にっこりと微笑んだ古泉は、
「目が覚めたら真っ先に、あなたにキスをしますから、それで証拠になるでしょう?」
と言って行為を進めようとするが、
「って、お前、現実ではこの姿じゃないんだぞ? 分かってるか?」
「分かってますよ?」
「なら、キスなんて出来んだろうが。どうやったって口は合わせられん」
「少し角度を工夫すればなんとかなると思うんですけどね。……まあ、口を合わせるのが無理なら、鼻を合わせるか、口を舐めるくらいにしておきましょうか。…こんな風に……」
そう言って古泉は俺の唇をぺろりと舐めた。
くすぐったさにびくりと体が震え、同時に興奮を煽られる。
「あなたはそのお返しに、僕のことを好きだと言ってくださいね? 考えてみると、夢の中では言っていただけても、現実にはまだ言ってもらえてない訳ですし、合図としてはぴったりだと思いません?」
「……さあな」
いいから、そうと決めたんなら、
「…絶対忘れんなよ……」
「ええ、気を付けます。…あなたに夢中になってしまっても忘れないように」
「ばか」
毒づくように甘えて、俺はそっと古泉を抱き寄せた。
それはもう幸せだとか恥ずかしいなんてものを飛び越えたような夢から目覚めたのはやっぱり俺の方が早かった。
古泉はというと俺に体を寄せてすやすや気持ちよさそうに眠っている。
なんというか……仮にあの夢を共有しているとしての話にはなるのだが、こいつの方が夢の中に未練を持っていて、もっと長くいたいなんて思うから、そうなるんじゃないだろうか。
そんなことを考えつつ、約束したからと古泉が起きるまで側にいようと決め、ごろりと寝直す。
目に入る古泉はやっぱり小さくて毛艶のいい猫にすぎない。
それでもやっぱり俺はこいつのことが好きで、愛しくて、眠っている顔を見ているとなんだか堪らないような気持ちになってくる。
「……なかなか起きないお前が悪いんだ…」
そう低く呟いて、俺は古泉の鼻先に自分の鼻を寄せる。
やっぱりこの形状だとキスをするってのは難しい。
俺は諦めて舌を出すと、小さな口をぺろりと舐めた。
すると古泉は薄く目を開き、柔らかく笑った。
「…僕からする約束ですよ?」
……てことは、やっぱり同じ夢を見たってことか。
「ええ、そうなりますね。確認出来て何よりです。これであなたの憂いも晴れるでしょうか」
「さあな」
「そう照れないでくださいよ」
くすくす笑いながら俺の鼻先に自分のそれをくっつけた古泉は、
「現実でもやっぱりあなたが好きですよ」
と甘い声で囁いたが、
「お前は前からそればっかり言ってるだろ」
「ふふ…そうでしたね」
そう言っておいてじっと俺を見つめるのは、やっぱり、現実でもちゃんと言ってくれってことなんだろうな。
俺は思い切り顔を背けつつ、それでも古泉にねだられると弱いもので、
「……俺も…ちゃんと好きだから」
と小さな声で返してやった。
そんな風にしてまあ、確認できたまではよかったのだが、前にもましてべたべたしてくるようになったのだけは、なんとかならんものだろうか、と相変わらずため息を吐かない日のない俺である。