眠り月

かくったーで出たお題より
『学者古泉と女装キョンで、夜明け前のベランダで一緒に眠る話』





肩を寄せて


自分の性別は毎日嫌ってほど思い知らされるし、それはそれでもう仕方ないかと諦めているものの、それでも俺は女の子の格好をして、お菓子や化粧品やアクセサリーの話で盛り上がって、それからたまには男から女の子扱いされて、ってのが楽しくて仕方ない。だから、と仕事までそういう道にしちまったのは、大学を出て就職までしておいて少しばかり勿体無かったかも知れん。
でも、本当にこの仕事は性に合うし、楽しくてたまらないから、給料なんてもらっちまっていいんだろうかなんて思えてくる。
おしゃれして、くどくない程度にしなを作って、男女色々なお客さんと楽しく話しながら酒を飲んで。
毎日面白おかしく生きていた俺の所に、その話を持ち込んだのは眼鏡のよく似合うイケメンの定連さんだった。
「キョン」
と柔らかく、しかしながらどこか皮肉っぽく響く美声で俺のあだ名を呼んだお客は、会長というあだ名で呼ばれているものの、非常に若く、クールなかっこよさがある人だ。
そのあだ名も、正確には「生徒会長」というものであり、俺の同僚の一人がその顔を見るなり、
「あたしの高校の時の生徒会長にそっくり〜!」
とはしゃぎまわったせいでついたものだったりするのだが、会長は嫌そうな顔もせずに、それで呼ばれることを許容しているあたり、寛容さもあるのだが、それ以上に悪戯好きなところがあるのがこまりものだ。
この時も、それを思い出させるような愉快そうな声に、俺は少しばかり警戒しながら、
「なんですか?」
と会長の隣りに座った。
途端に肩を抱かれ、頭を引き寄せられるが、イケメン相手だと少しくらい構わないなんて思っちまうのは少々でなくまずいだろうか。
俺にはカノジョがいたことはあっても、カレシがいたことはない程度にはノーマルな性癖のはずなんだが。
至近距離で見つめられ、少なからずどぎまぎしている俺を愉快そうに見遣りながら、会長は内緒話をする調子で低く囁いた。
「お前、きっちりメイクしてるとそんじょそこいらの女より美人だよな」
「…ええと……そう言っていただけるのは光栄ですけど…」
いきなり褒められると何を企んでいるのかと余計に警戒しそうになる。
それを見透かしたのだろう。
会長はにやにや笑いながら、
「そう警戒するな。…取って食いたくなるだろ」
ぼそりと低い声を耳に吹き込まれ、ぞくんと体が震えた。
これはまずい。
「かっ、会長…!」
「冗談だ」
クックッと喉を鳴らした会長は、
「実は、ちょっとした企みがあってな」
と言いながらいつの間にか滑り降りていた手で俺の腰を抱き寄せ、体を引っ付けてくる。
それが見えてるはずだってのに、同僚連中は面白そうに、あるいは羨ましそうに見てるばかりだ。
なんとかしてくれ、と思う俺に、会長はその企みとやらを吹き込んだ。
「……誕生日祝いの、サプライズプレゼント…?」
「ああ」
と頷いた会長は、
「俺の古い友人の一人に、天文学者がいてな。いい年して今まで浮いた話ひとつないんで、いい加減そっちにも興味を持てるようにしてやろうってことになったっつうわけだ」
「はあ…」
「だが、あいつも顔だけはいいからな。それなのにこれまでろくにそういう話を聞かないってことは、ちょっとやそっとの美人やなんかじゃ揺らがせようもないってことだろ? だから、とびきりの美人が必要なんだ」
「……ちょっと待ってください。まさか、それをわたしにやれってんじゃ……」
「その通りだ」
悪びれもせず笑った会長は、
「俺の知る限りで一番の美人で、かつ、あいつみたいな天文オタクの話でも大人しく聞いてやれそうなのはお前だからな」
「そんなこと言われても……。相手は…ええと、男…ですよね?」
「ああ、当然だ」
それじゃあまずいだろう。
「……わたし…一応、ヘテロなんですけど……」
「別に、何も本当に好きになれとまでは言わねえよ」
楽しげに喉を鳴らして会長は言った。
「ただちょっと、地面の上にもいいものはあるんだってことをあいつに思い出させてくれりゃいいんだ」
「会長…」
案外と言うと失礼だが、冷たそうに見えて優しい人だったんだなと思ったってのに、会長は一際どす黒い笑みを見せ、
「まあ、あいつがお前に惚れて、お前の性別も何も構わず襲い掛かるようなことになるのが一番面白いとは思ってるがな」
と言い切りやがった。
その場合俺の尊厳や貞操そのほかはどうなる、と食って掛かった甲斐があると言うのか言えないのか、最終的に提示された「派遣料金」は相当なものだった。
それこそ体でも売らされるんじゃないかと思うような大金に怯みもしたが、会長の友人でかつ美形なのに浮いた話もない専門馬鹿ということに興味を引かれ、ついつい受けちまった。
そんな訳で、半月ほど経った、初夏のとある日に、俺はとびきり気合の入った化粧と服装で見知らぬ男の部屋のインターフォンのボタンを押した。
応えがあるまでの間どころか、ここに来るまですら心臓がおかしくなりそうなほどドキドキしていて、それこそ中学生か何かみたいだ。
格好だけなら、妖艶な美女に見えなくもないように気合を入れたつもりだってのに、この調子だとすぐにボロを出しちまいそうだな。
会長は成功報酬も、正体がばれて失敗した場合のペナルティも提示しなかったのだが、早々にばれて追い返されでもしたら、流石に申し訳ないから金は返そう。
そんなことを考えながら待っていても、返事が来ない。
どうしたものか、とためらいはしたものの、会長の告げた注意事項を思い出し、もう一度ボタンを押す。
少し待って、最終的には行儀が悪いと思いつつも連打してやると、ようやくドアが鳴った。
というか、インターフォンなんだから、そっちで応えればいいだけだろうに、わざわざドアを開けるほど無頓着な主らしい。
鍵の開く音がしたと思うと、ひょこりと顔をのぞかせた男は、なんとなく、会長よりも少し若く見えた。
俺と同じか…下手をすると俺より年下に見えるが、会長の話だと会長と同い年のはずだ。
見た目より若く見えるが幼くもない顔には、不審の色はなく、ただ不思議そうに小首を傾げて、
「どちら様でしょうか?」
「…古泉一樹さん…ですよね?」
念のため確かめると、彼はこくりと頷いた。
「ええ、古泉一樹です。あなたは……」
「……お誕生日のプレゼントです」
そう言って唇を笑みの形に歪めた俺は、少々強引にドアを開き、部屋の中に入った。
古泉は戸惑いながらも咎めるつもりはないらしく、
「プレゼントって……あなたは人間でしょう?」
「人形か何かに見えましたか?」
「人間にしか見えませんけど、人形か何かという可能性も捨てられませんね」
冗談めかして古泉は小さく笑い、
「僕も自分の世間知らずぶりは自覚していますから、知らない間にそういう技術革新が起こっていても不思議ではありませんから」
「心配しなくても、そんな技術はまだまだだと思いますよ」
案外とっつき易そうな相手だと思いながら、俺は少しばかり寛いだ笑みを返す。
ハイヒールを脱ぎ、傍らにおいてあったスリッパを無断借用し、さくさくと部屋の中へと歩んでいくと、聞いていた通りの殺風景な部屋についた。
ソファとテーブル、それから大きなテレビがあるだけの殺風景な部屋はまるきりモデルルームかショールームをそのまま使っているような印象しかない。
「…寂しい部屋」
思わず呟いたが、それに関して古泉が何か言うより早く、俺は古泉に向かって微笑みかけ、
「今日、お誕生日ですよね?」
「え?」
驚いたように声を上げた古泉は、しかし今日が何月何日かということは分かっていたらしく、
「……ああ…本当ですね」
とぼんやりと呟いた。
聞いた話では随分立派な研究室にいてあれこれ発見もしているような新進気鋭の天文学者らしいのだが、それにしてはどこかぼうっとした印象が強い。
研究以外のこととなるとからっきしというのはこういうことかと思いつつ、
「お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます…」
「…誕生日プレゼントとして、わたしを受け取ってもらえませんか?」
少しばかり際どい台詞を吐いた自覚はあるのだが、それも会長の注文なんだから仕方がない。
それに、こいつならそんなことを言ったって大丈夫だろうと思わせるものがあった。
案の定、古泉はわけが分かってない顔をして首を傾げている。
「…一晩だけでいいんです……。わたしと一緒に過ごしてくれませんか…?」
そう小さく囁きながら距離を詰め、そっと古泉の手を握り、その目を見つめると、古泉はちんぷんかんぷんという顔で、
「…それくらいなら……?」
と言った。
ああ、本当にこいつは難敵だ。
際どい台詞を言っても絶対に大丈夫だと、会長があのにやにや笑いと共に太鼓判を押したのも理解出来る。
綺麗な顔がもったいないほどのとんでもない朴念仁だ。
俺は呆れ、しかし同時になんだかこいつが可愛くも思えて笑っていた。
「…えっと……」
どうしたらいいんだろうと考えているのが分かる顔で古泉はしばらく視線を彷徨わせていたが、ややあって、
「…外に出ましょうか?」
と言うからてっきり外出するのかと思ったら、誘導された先は広々とした二階のベランダだった。
えらく広いそこは、それこそ二階の面積の半分以上を占めているんじゃないかとさえ思えてくる。
周りに家すらろくにない山中の一軒家なだけあって、見上げた空には星の光が溢れている。
声も出せず、息すら飲んで星を見ていると、
「望遠鏡もありますよ」
と柔らかな声で囁かれ、肩を引かれた。
導かれるまま、コンクリートの上にそのまま座り、古泉に寄り添う。
ぴたりとくっついてみても、なんとも思ってはくれないらしい。
子供みたいな楽しそうな顔でせっせと望遠鏡をいじくりまわしている。
代わる代わる望遠鏡を覗き込みながら、あの星はどうのこの星はどうのと耳慣れないカタカナを次々並べ立てられて、覚えられるはずもないのだが、無邪気に語る古泉を見ているとなんだかこっちまで楽しくなってくる。
しかしながら、肩も腕も背中も出したシルクのドレスでは、初夏とはいえ日の暮れた山の中では寒くて堪らん。
自然、自分の肩を抱いて身震いしていると、
「これをどうぞ」
とさりげない仕草で上着を着せかけられた。
「あ……ありがとう…」
「いえ」
短く言って、古泉は柔らかく笑う。
その笑みがいかにも優しげで、どきりとさせられる。
困った、と思ったところでじわじわと顔が熱く赤くなってくるのも分かるし、それ以上に心臓が落ち着いてくれない。
相手は男で、着てるものもよくみると安っぽくてくしゃくしゃで、綺麗なドレスや化粧なんて見てくれず、ずっと星ばっかり見てるような専門馬鹿だ。
でも俺は女の子扱いされたくて、さっきみたいに優しくされるのが堪らなく嬉しくて、古泉は性別なんて気にしなくていいんじゃないかなんて思っちまいそうなほど顔がよくて優しげで、夢中になって星を見て話しているのも可愛く思える。
どうしよう、なんて思っているってことは既に手遅れなんだろう。
今だって、まずいと思ったら逃げてもいいのに、そうせずに古泉にくっついている。
寒いからだと言い訳を考えながら、古泉の体温を求めて寄り添う。
「…寒いですか?」
「……少しだけ」
「部屋に入りますか?」
「……ううん」
と俺は小さく首を振る。
「…このままでいたい…から……」
恥かしい台詞を、しかし今日の役柄からすれば構わないだろうと居直るような気持ちで呟くと、古泉は呆れた様子もなく優しく笑って、
「星が好きですか?」
とトンチンカンなことを言いやがるので、俺はくっと小さく声を立てて笑い、
「ばか」
と返してやる。
「え?」
「……分かってよ」
ぐいと頭をすり寄せると、自分のつけてる香水や化粧品とは違うものの、甘くて優しい匂いがした。
古泉は驚いたように硬直した。
それでも突き放されないだけマシだと思ったのだが、驚いたことに古泉は俺の肩におずおずと手をやり、俺を抱き締めた。
「え…?」
「……さ…寒いんですよね…?」
分かってないのか、と呆れかけた俺だったが、古泉の顔が見る間に真っ赤になっていくのをみて理解した。
小さく声を立てて笑い、
「…そういうことにしておいてあげる」
と囁き、古泉を抱き締めた。
そうしてくっつきあったままいつの間にか眠り込んでいた俺は、目を覚まし、古泉もまた眠ってしまっていたことに気付き、微笑した。
その寝顔すらなぜだか酷く愛しくて可愛くて、どうにも堪らない気持ちになる。
これは本当にやばいしまずい。
好きになっちまったかも知れない、と思っていること自体馬鹿げていると分かるほどだ。
とりあえず、こいつに自分の性別を明かしてみるところからはじめてみようか、なんて思いながら、俺はそっと古泉の柔らかな髪を撫でた。