眠り月

ホスト?


「ホストクラブやろーぜ!」とえらくノリノリに言い放ったのは、言うまでもない、あほの谷口である。
一年の時と同様に、今一つ意気込みや協調性に欠ける二年五組が文化祭で何をするか、というテーマで嫌々ながらもHRを開始するやいなや挙手したかと思うと、当てられる前に立ち上がり、そう言っていた。
ここで、おうそれはいい、やろうじゃないかと同意する人間が現れるようなクラスではないのがうちのクラスである。
よって教室内は見事に静まり返り、谷口に集中した視線はどう見ても冷たく、何言ってんだお前、という色のものでしかなかった。
しかし、ここでくじけるくらいなら谷口はあほだのばかだの年中言われてはいないだろう。
「ホストだよホスト! メイド喫茶なんてのはいくらでもやるクラスがあるだろうが、ホストならちょっとないだろ」
そう力説するのはいいが、谷口、お前は要するに、女の子を堂々とナンパしたいってだけだろうが。
呆れる俺はそれでも黙っておいてやったが、
「要するに谷口は女の子にもてたいってだけだよね」
と国木田がざっくりととどめを刺した。
「ぐっ」
と詰まるのはお前の勝手だが、そんなもん、国木田がわざわざ指摘するまでもなくみんな分かってるからな。
「い……いーじゃねーかよ。じゃあ他にやりたいもんでもあんのか?」
しどろもどろになりながらもそう言われると、確かに他の案が出ないうちのクラスだ。
でも、とどこかから女子の声がした。
「それなら女子はどうすんのよ。裏方? かかわらなくていいって言うならそれでもいいけど」
そうよね、なんてざわつく教室で、一際はっきりとした声が響いた。
「だったら、女子も男装してホストをやったらいいんじゃないの?」
その発言者が誰か、なんてことは考えるまでもない。
俺の真後ろから発せられたそれは、もちろんハルヒの意見だった。
一体何を始めるつもりかとびくつく前に、少しばかりほほえましい気持ちになったのは、あれだ。
去年のハルヒなら確実に、こんな時ぶすったれた顔をして窓の外を睨むとか、それか心底馬鹿にした目で谷口を見るのが関の山だったからで、たとえそれが谷口の意見であろうとも肯定的な意見を出してやるなんてことは考えられなかったからである。
ハルヒも成長したもんだ。
そう感慨に耽りつつ、
「お前がホストをやるのか?」
と聞いてみると、ハルヒはちょっと考えて、それからあの非常に縁起でもない、楽しそうな笑みを見せた。
「やってやろうじゃないの」
その一言で、二年五組の文化祭の出し物は決まっちまった。
――と、まあ、そんな話を一樹にしたら、一樹は腹筋を震わせて笑った。
「それで、ホストクラブになったんですか」
「ああ」
「あなたもホストを?」
「男子は全員強制的にホストだそうだ。女子は希望者と推薦だったか?」
確かに似合いそうな女子もいたからな。
逆に俺なんかはホストっぽい恰好をしても笑いごとにしかならないんじゃないかと思うんだが。
「いえいえ、似合うと思いますよ」
そう言いながら一樹は手を伸ばし、俺の髪をかき上げ、後ろへと撫でつける。
「オールバックなんてするとそれっぽくなりますよね」
「そうか?」
「ええ。……でも、あなたの場合、おでこを出すと可愛らしいんですよね」
甘ったるいことを抜かして、一樹は俺の額に音を立ててキスをした。
「あほか」
「こう…前髪を分けてみる、というのはどうです? きっちりとではなく、前髪だけ少し……ね」
「そういうのはハルヒがいいようにしてくれるだろ」
そういうセンスに関してはいいからな。
「…僕には考えさせてくれないんですか?」
「考えたいのか?」
「ええ。……でも、他の人には見せたくなくなるかも知れませんね」
そう言って一樹は俺を引き寄せ、抱きしめる。
「だろ」
「……それにしても、ホストですか」
そろりと腰を撫でつけられて、ぞくりと体が震える。
「んっ……こら…」
鼻にかかった甘えた声で一応抗議はしてみるものの、本気で拒む気にはなれない。
「あなたのことですから、さぞかし人気が出ることでしょうね。…出来ることなら、最初から最後まで、あなたを指名したまま張り付いていたいくらいなんですけど」
「それはハルヒからダメ出しされた」
「でしょうねぇ」
残念そうに苦笑した一樹は、
「ダメなのは、僕があなたを指名することですか? それとも、指名したままでいることですか?」
「一人十分、一日一回限り…だったかな。だから、他の奴が張り付いてくることもないだろう」
「それなら安心ですね」
「で、お前のクラスは何をするんだ?」
「去年の舞台がなかなか好評だったものですから、またお芝居をすることになってますよ。……ですから、公演の時間以外は空くはずです。極力あなたの近くにいさせてくださいね」
「ついでにお前もホストをやれって言われそうだな」
「…してもいいですよ?」
どこか含みのある調子で言った一樹は、それこそ悪だくみをするハルヒと似たり寄ったりの笑みを浮かべ、
「ただし、あなたと一緒にしか接客なんてしませんけど」
「そうじゃなきゃ、俺が断るな」
小さく声を立てて笑って、俺は一樹の唇に自分のそれを重ね合わせた。

ところで、ハルヒは結構な凝り性である。
そして、協調性やら積極性やらにかけると思われていたうちのクラスの連中も、どうやら意外とノリはよかったらしい。
あるいは、この文化祭を楽しまなければ来年は受験を目前にして文化祭を楽しむ余裕などないと言うことに今更ながら気づいたのかも知れない。
そんな訳で、気合の入った衣装を用意する傍ら、演技指導まで受けさせられた。
もちろん指導するのはハルヒである。
「キョン! もっと丁寧に! あと笑顔忘れてる!」
と怒鳴られたところで、どうしろっつうんだ。
「笑顔笑顔って、俺は古泉じゃないんだが」
「古泉くんみたいな笑顔は期待してないわ。あんたはもっとナチュラルなのがいいんじゃない!」
それはつまりハルヒも一樹の作り笑いは作り笑いだと分かっていると言うことだろうか。
「あんたなら…そうね、古泉くんと一緒にいると思ったらちょうどいいわ」
「思えるか!」
というか、俺はそんなに顔に出てるのか!?
思わずそう口走ると、
「……あんたバカ?」
ハルヒに冷たく返された。
…………すまん。
「古泉くんがいるってだけで顔がとろけてるわよ。それこそ恥ずかしいくらい」
分かったからそうダメ押ししてくれるな。
恥ずかしくなってきた。
「だから、その時の感じで笑いなさいよ」
「無理だ!」
というやりとりをしていると、
「お呼びですか?」
ひょこりと件の男が顔を出した。
「呼んではないんだが」
「おや、残念です」
そんなことを言いながらにまにまして寄ってくる。
「それにしても…やっぱりお似合いですね。少し着崩したスーツ姿がセクシーです」
と言っている目が少し怖いくらい強い。
乱した襟の隙間から中まで入りこんでくるような視線にぞくりとする。
「いいでしょ」
とハルヒは得意満面で、余計なことまで言いやがった。
「古泉くん、あんまり見えそうなところに痕つけちゃだめよ」
ちょっと待てハルヒ、とツッコむより早く、一樹が人前では珍しく人の悪い顔をして、
「牽制してはいけませんか」
などと言いやがる。
「いっ…!」
思わず真っ赤になって叫ぶ俺に、一樹はしれっとして、
「あなたと僕が付き合っていることも、どこまでの関係かなんてこともどうせ知れ渡ってるんです。それくらい、今更でしょう?」
「そういう問題じゃない!」
恥ずかしさからそう怒鳴ると、
「…だめですか?」
と上目遣いに問われて詰まる。
つか、卑怯だろ!
「僕も不安なんです。…これでもし、あなたに好意を寄せる人間が増えたらと思うと………」
「んな心配いら…」
「必要ですよ」
俺のセリフすら遮って、きっぱりと言われた。
おまけに、
「…あなたがそうして無自覚だからこそ、余計に心配なんですよ。それに、文化祭となると僕たちのことを知らない人もあなたを目にするのでしょう? もし、たちの悪い人間に目をつけられたら……」
「……なんつうか………俺はいつかお前に監禁されそうだな」
「出来ることなら今すぐにでもしてますよ」
と言ったのは、周りにはちゃんと冗談らしく聞こえただろうか。
俺の耳には本気以外の何物にも聞こえなかったのだが。
「……心配しなくても、お前がくっついててくれるんだろ?」
「それは…そうですけど、でも、離れなくてはならない時もありますし………」
「それならそれで、ハルヒがなんとかしてくれるんじゃないか?」
にやにやしながら俺たちの話を聞いていたハルヒは、
「そうね。あたしでよかったらちゃんと見ておくわよ。それに、キョンの休憩の時間は一応、古泉くんを見に行けるように組んでおいたから、それでいいんじゃないの?」
「ありがとうございます」
と古泉は嬉しそうに頭を下げたが、
「彼のこと、くれぐれもお願いします」
と頼み込むのがまた妙な光景だった。
いや、ハルヒを信頼してるのはいいが、俺はそんなに信用ならんのだろうか。
「あんたがどうのっていうより、単純に心配なんでしょ」
「全くあいつは……」
「…そのにやにやした顔も悪くはないけど、それで接客はやめた方がいいわね」
とハルヒに呆れられたんだが、俺はどんな顔をしてたんだろうか。
しかし、そんな一樹の心配も、ついでに言うと谷口の目論見も完全に的外れだったと分かったのは、文化祭当日、オープンして少し経った教室内でのことだった。
俺にも結構な指名が来てはいるんだが、客を待たすというほどでもない。
翻ってハルヒを見ると………これが、ものすごい客だった。
それには多分、北高の名物女涼宮ハルヒを間近で見てみたいという物好きがいたせいもあるのだろうが、何よりハルヒの完璧主義がいいように作用したのもあったのだろう。
何しろハルヒの見事なホストっぷりと来たら、古泉も目を剥くほどだったからな。
いつものカチューシャも今日ばかりは外して、無造作に髪をかき上げたところは、男装していても少女にしか見えないのだが、それがために妙な色気がある。
たとえるなら、宝塚の男役というところだろうか。
少し大きめのスーツを着、シャツのボタンを結構きわどいところまで開けているのも変に似合っている。
おまけに、あのハルヒが、接客業などまるで向かないだろうハルヒが、ちゃんと愛想を振りまいているのだから、これはもう、事情をよく知らない他校生はもちろんのこと、在校生すら騙されるというものだろう。
「ご指名ありがとうございます」
という声は、意識して少し変えてあるのだろう。
少しだけ低く、かすれて響く。
愛想笑いは、確かにハルヒにしては愛想笑いなのだが、他から見ると少し唇を笑みの形にしているという程度のもの。
それがかえって、クールに見えるらしい。
「お飲み物をご用意しますね」
と言って、ジュースをグラスに注いだりする仕草も妙に様になっている。
「ありがとうございました。…またのご来店をお待ちしております」
と教室の外まで見送り、丁寧に頭を下げる姿は客引きを不要のものにしちまった。
ハルヒの見事なホストっぷりは、こうしてあっという間に校内に知れ渡り、教室の前には長蛇の列が出来上がった。
他のホストを指名する客がいてもそれは、遠目にでもハルヒの姿を見るためであり、間違っても谷口なんかに興味の欠片も示さない。
「こんなはずじゃ…」
と打ちひしがれる谷口に国木田が、
「まあ最初から谷口の計画には無理があったと思うけど、これは流石に予想外だったよね」
などと酷いことをさらりと言うのを横目に見つつ、俺はそっと安堵した。
「ほれ見ろ、お前の心配なんか余計だっただろうが」
客が帰り、休憩に入るからと着替えながらそう言うと、一樹は小さく笑って、
「そうですね。…あるいは、涼宮さんはあなたを守るために頑張ってくださっているのかも知れませんけど」
「ん?」
「いわば防波堤になってくださった、ということではないでしょうか」
にこやかに言うのは勝手だが、
「そんな理由であいつが本気を出すか?」
「出しますよ。彼女なら。…………あなたの…」
と何か言いかけておいて、一樹は黙り込んだ。
「…一樹?」
「……いえ」
「ハルヒが俺をどうだって?」
「………彼女はあなたのことを大事に思ってくださっている、ということですよ」
「だな。あいつが親友を自称したくらいだから」
そう笑って、俺は手早く制服に着替える。
一樹はというと、舞台衣装に着替えている。
それくらいぎりぎりまで、俺といてくれているということだ。
「お前の芝居、楽しみにしてるからな」
一番よく見える位置で見てやる、と言うと、一樹は困ったように笑って、
「あまり見つめないでくださいね。緊張してセリフを忘れてしまいそうですから」
「お前なら大丈夫だろ」
笑いながら一樹の手を取り、教室を出る。

今年の文化祭は時間を持て余すこともなく楽しめそうだ。
それは間違いなく、一樹のおかげに違いない。