眠り月

父親の企み




月に一度くらいのペースで、一樹とデートをすることになったのは、そもそもは有希が俺たちに気を遣ってくれたことが発端だった。
それがすっかり習慣と化し、もうすっかり和希も大きくなったってのに、俺は一樹とデートに出かける。
だが、ここにきてそれを一時休止するべきなんじゃないかと思うような事態になっていた。
理由は簡単なもので、和希がどうやらまだ自覚もないまま誰だかに片思いをしている状態であるというのに、それをいたずらに刺激するのも悪いんじゃないかというものだ。
しかし、一樹は本気でデートを楽しみにしている。
それをどう宥めたらいいんだろうか。
ためらいつつ、しかしながら変に策を弄したところで一樹を戸惑わせ、不安いさせ、挙句の果てに暴走させるようなことになっては元も子もない。
それに、俺が考えていることが正しいとも限らない以上、独断専行は避けた方がいいというものだろう。
という訳で、有給休暇を確保するべく、遅くまで残業して帰った一樹に夜食と冷酒を勧めつつ、俺はこう切り出した。
「和希の様子をどう思う」
「これはまた、随分と曖昧な質問ですね」
と苦笑して見せた一樹は、俺の方へ盃を回しながら、少し考え込んで答えた。
「なんの進展もないようですね。少なくとも、見える範囲では、ですが」
「だよな……」
「せめて自覚してしまえばいいんでしょうが……そこはまあ、あなたによく似てますからねぇ…」
うるさい。
むくれながら盃をあおり、一樹に突っ返す。
「だったら、自覚したら早いって気もせんか?」
「そうですね……。自覚して、覚悟を決めてしまえばきっと、僕らが気をもむことなんてなくなるんでしょうけど……」
それがいつになるやら、と困ったような顔をした一樹だったが、
「それで、和希のことを持ち出したのはどういう訳です?」
「別に、何もおかしくはないだろ。親として、子供の様子を見守るのは大事なことじゃないか?」
「ええ、その通りです。しかし、今の問いかけにあったのは、僕とあなたの認識を確認し、すり合わせるという意味であったように思うのですが?」
わざわざ小難しく言うな。
つまりは、俺の発言に明確な意図があったことは分かってるからさっさと白状しろってんだろ。
俺は深くため息を吐き、
「……和希があんななのに、俺たちがいちゃついてていいんだろうかと思ってな」
「いちゃついてなんてないじゃないですか。……ずっと我慢させているのはどなたです? 無理矢理手出しして来たら離婚してやる、とまで言い出して……」
大げさなまでに恨めしい顔をする一樹に、俺はふいと顔を背ける。
「お前の意外なまでの忍耐強さには感心してるし、ある種感動もしてるから、そのうち遠慮がいらなくなったら報いてやるさ」
「忘れないでくださいよ」
「ああ、その時には……そうだな、なんでもお前の言うとおりにしてやるから」
「約束ですからね」
と念を押すのは勝手だが、
「お前こそ、ちゃんと我慢しろよ?」
「…はい」
しょんぼりとして捨てられそうな子犬のごとき風情の一樹に、こんな追い打ちをかけるのはどうかとも思いつつ、
「で……いちゃついてて、って話に戻すんだが、その……和希があんななのに、デートなんかしてていいんだろうかって思ってな」
「そんなもの、毎月の恒例行事なんですから、行かない方がよっぽどおかしいと思われますし、そう疑問を投げかけられた時、どう返事をするんです?」
「……お前と喧嘩した、とか?」
「嘘でもやめてください」
情けない顔をするな。
お前に被害が及ぶわけでもないっつうのに。
「嘘でも嫌ですよ。……あなたと喧嘩なんてしたくありません」
そう言って盃をあける。
その顔がかすかに赤くて、酔いが回るのが早いなと思った。
疲れてるのかね。
明日辺り、しじみ汁でも作ってやるべきか。
「じゃあ…やっぱりデート、するのか?」
「……嫌ですか?」
と軽く睨まれて、俺は正直に首を振った。
「そりゃ……俺だって、お前と二人きりで過ごしたいと思ってはいるけど……けど、なぁ…」
どうにも気まずいというか、
渋る俺に、一樹は土下座せんばかりに頭を下げて、
「お願いですから、月に一度のデートくらい、させてください。そうでないと……寂しくて、死んでしまいそうです」
「大げさなことを言うな」
とは言ったものの、我慢出来なくなった一樹に暴走されても困る。
「……じゃあ、ちょっとだけ、な? 昼飯食って、散歩かドライブでもして、夕方には帰るってのでどうだ?」
「……仕方ありませんね」
不承不承という様子を隠しもせずに、それでも古泉が頷いてくれたので、俺もほっとしたのだが………どうやら、甘かったらしい。
週末、ぼんやりした和希を残して、といういささか不安な状況ながらも、俺と古泉は一緒に家を出た。
しばらくドライブでもしようと言うのか、郊外に向けて車を走らせる古泉に、
「どこへ行くつもりだ?」
「楽しいところですよ」
とさわやかに笑って言うから、俺も油断した。
「いい天気だな」
とのんきに呟きながら、窓の外を眺め、そのうちまたどこかに旅行でも行こうかなんて話をしていたところで、いきなり一樹が強引にハンドルを切ったから、俺は遠心力によって窓際に押し付けられた。
「なんだ!?」
と思わず声を上げて一樹を見ると、悪びれもせず――ああいや、一応悪さをしている自覚はあるんだろう、柔らかな微笑を浮かべて、
「すみませんが、時間も惜しいので強硬措置を取らせていただきました」
などと胡散臭いことをのたまった。
「は…?」
戸惑っている間に車は駐車場らしい場所に滑り込み、俺はそこがどこなのか、そして、一樹の意図も理解した。
「……お前なぁ……」
呆れて文句も出てこない。
「お叱りは後で受けますから、今は保留にしてください」
と笑って、一樹は車を降り、助手席のドアをわざわざ開けてもくれる。
そうして、腕組みして睨み上げる俺に向かって手を差し伸べ、
「…お願いします」
と低く囁いた。
「……お前、そうやったら俺がなんでも許すと思ってるだろ」
「そうは思ってませんよ。…ただ、」
一樹はにや、と唇を歪めて、
「なんだかんだ言っても、最終的には許してくださる程度のわがままだろうなとは思っています」
「……くそ、ふてぶてしい」
引っ叩くような強さで一樹の手に自分の手を置く。
引き寄せられるままに車を降りると、すぐ近くに入口らしいドアがあった。
どうやら、車から直接チェックインできるタイプのホテルらしい。
「予約でもしてたのか?」
「ええ、そんなところです」
平然と言ってのけた一樹につれられて、小さなドアをくぐり、狭い階段を上る。
そうして現れたのは、ピンクやら赤やら色とりどりのハートで彩られた、えらくポップな部屋だった。
「…………お前…」
どういう趣味してんだ、と唸る俺に、一樹は苦笑して、
「どんな部屋なのかは知らなかったんですよ。でも……これはなかなか……」
「萎えるな」
「萎えませんけど」
即答かよ。
「どんな状況であれ、あなたがいて萎えるなんてことはないと思いますけどね」
「そうかい…」
俺が言い知れぬ脱力感にため息を吐いたところで、一樹は平然と、
「それに、可愛らしい部屋に恥ずかしがるあなたも可愛らしくてたまりませんし」
「お前、もうなんでもいいんだろう」
呆れる俺を背後から抱きしめ、それこそ耳を食むように、
「…ええ、あなたにオアズケされたものですから」
と囁かれてぞくっとした。
「…いっ……つき……」
「あなただって、我慢してるのはつらかったでしょう?」
「そ……りゃ……まあ……」
全然平気だったとは言わないが、それにしたって、
「いきなりすぎるだろ……」
俺がムードなんか気にしたって仕方ないかも知れないが、それにしてもと渋る俺をきつく抱きしめた一樹は、
「僕が我慢出来ないんです。……だめですか?」
「……だめだったら、もっと抵抗してやるさ」
そう言って俺は軽く一樹の腕をほどき、今度は自分から一樹を抱きしめた。
「夕方までには帰るからな?」
「それまではここにいていい、ってことですよね?」
皆まで言わせるな。
くすりと緩めた唇を、一樹のそれと重ね合わせる。
「口ばっかり動いてるみたいだが……やる気があるのか? ないのか? はっきりしろ」
「それはもちろん、やる気に満ち溢れてますとも」
胡散臭い笑顔でよく言うぜ。
「だったら、早くしろ」
そう悪辣な笑みを見せてやった途端、抱き上げられた。
お姫様だっこなんて柄でもなければ歳でもないんだが、そんなことは言うだけ無駄だろう。
久しぶりだから、少々のことは許してやろうなんて寛大さを装い、俺は一樹のしたいようにさせてやるふりをして、つまりは自分にとっていいようにさせてもらった。
それにしても、だ。
「……お前な……なんのために外に出たと思ってるんだ? これじゃ意味がないだろうが」
文句を言いながら俺が指示したのは、首元にくっきりとつけられたキスマークだ。
そりゃあ俺は基本的に家の中で仕事をするから、外出といえば買い物くらいしか必要じゃないが、それにしたって、服で隠れない位置にキスマークなんかつけて帰ってみろ。
和希に呆れかえられることは間違いない。
「だったらもう、家で我慢することもないじゃないですか。なんのために、防音の寝室にしたと思ってるんです?」
したり顔で言ってのけるこいつに、俺が出来ることはひとつしかない。
「……当分オアズケ」
果てしなく情けない、一樹の悲鳴は聞かなかったことにした。