眠り月

ひとかごの幸せ


結婚して、家族が四人になって、俺はなんだか洗濯が好きになった。朝、食事を終えるとまず取り掛かるのが洗濯だ。
着替えを終えた家族から洗い物を集めて、色柄物や汚れの具合によってきちんと仕分けする。
一樹の服は汚れが少ない割に色落ちしやすいものが多いので気を付けなければいけないし、逆に和希の服は丈夫で洗いやすい服ばかりだが、食べこぼしなんかで汚れているばかりか、あちこち動き回る年頃なので意外なところにほこりや泥を付けてることも多いので注意が必要だ。
有希は不思議なくらい汚さないのである意味楽だが、もう少し洗うのに手間がかかる服でもいいのにと少し残念に思わなくもない。
俺はというと少々汚れても荒っぽく洗ってもいいような服ばかりだから気が楽だ。
そうして仕分けていると、最近あまりふらつかずにしっかり歩けるようになってきている和希が近寄ってきて、
「かーしゃん」
と言いながら俺の横にぺたりと座った。
「んー?」
作業しながら、しかし、和希が汚れ物を口に入れたりしないようにと目は光らせながら返事をすると、
「おれもー」
と言って洗濯物に手を伸ばす。
「ああ、お手伝いしてくれるのか。ありがとな」
わしゃわしゃと頭を撫でてやると、和希は嬉しそうに笑う。
笑った時の顔なんか、父親そっくりで本当に可愛い。
「じゃあ、洗濯機まで一緒に運ぼうか」
「ん!」
ちゃんと分かっているのかなんなのか、元気よく返事をして和希が立ち上がるが、一樹のシャツを持って歩くのは危なっかしい。
「その前に、和希、」
と呼び止め、
「こーかん」
と言って和希のあまり汚れてないパジャマを差し出した。
和希はにこぉと笑って、
「こーかんっ」
「ん、ありがとう」
「どーいたしまって!」
快く応じてくれてよかった。
時と場合によってはどんなに頼んでも、
「や!」
と言って振り切ろうとするからな。
俺は手早く残りの仕分けを終えると、和希と一緒に洗濯物を抱えて洗濯機まで歩く。
「和希、洗濯機に入れて」
「あいっ」
元気よく返事をして、和希は自分が持っていた服を洗濯機に放り込んだ。
俺はそれと一緒に洗えそうな和希の服や色落ちしないと分かってる柄物なんかを洗濯機に入れて、液体石鹸を適量放り込む。
この場合の適量というのは、適切な量というよりもむしろ適当な量の方が近い。
スイッチを入れ、ふたをする頃には、和希はもう飽きたようで、足元からいなくなっていた。
多分、有希のところに行ったか、一樹の教科書を荒らすかしてるんだろう。
洗濯物が仕上がるまでに少しかかるから、その間に掃除をすることにした。
まだ小さな子供がいる家だと、掃除というのは清潔を保つため以上に、安全のためという意味が色濃くなると思う。
何しろ、和希は今、気になるととりあえず口に入れてみる年頃だからな。
危ないものは手の届かないところに置かない、何かの拍子に落下させそうなところにも置かないと決めて、目につくものから手早く片付ける。
それから掃除機をかけたりモップをかけたりしているうちに、洗濯機が小さく音を立て、洗い上がりを知らせてくれた。
洗いあがった洗濯物を洗濯かごに移し、残してあった白い洗濯物を放り込み、同じように洗う。
掃除が大体終わる頃には洗濯物も仕上がり、俺はこんもりと山になった洗濯かごを抱えてベランダに上がった。
大きなひさしのついたベランダは、台風でもない限り、雨が降っても洗濯物を干すのに支障がないように出来ている。
それでも、今日のように天気のいい日の方が洗濯物を干すのには気持ちがいいと決まっている。
快く乾いた風を吸い込み、大きく伸びをしてから、俺は洗濯物を干しにかかった。
ひとつひとつ丁寧にしわを伸ばし、間隔を開けて干していく。
だんだんと重くなっていく物干し竿を見るのもなんとなく楽しいものだと気付いた。
陰干しするべきものはちゃんと陰干しするし、ハンガーに干せない物はきちんと平干しする。
大事な家族の服だから、大事にしてやりたいと思うと、忠実に洗濯方法を守ることになった。
それさえ苦じゃないんだよな、と思うとなんだかくすぐったくもなるが、やっぱりこれは幸せというものなんだろう。
気味悪くにやにや笑いながら干し終えて一階に下りると、和希が勝手に二階に上がって、階段から落ちたりしないようにと設置してある柵の前で、和希が待っていた。
「かーしゃん!」
「どうした?」
「おれもするって、いったのにー」
不満そうにしているのも可愛い、とつい目を細めながら、
「ああ、ごめんな。後でしまう時には手伝ってくれるか?」
「あい!」
「ん、頼んだぞ」
そう約束をして、和希の頭をぽんぽんと撫でてやると、和希は嬉しそうに笑っている。
そういうところは一樹とよく似ている。
「和希、洗濯物が乾くまで、何してようか」
と聞いてみると、和希は嬉しそうに困った顔をして、
「えっと……えっと…、えほんよみたーい!」
「有希とじゃなくていいのか?」
「かーしゃんとよみたいー」
「了解。それじゃ、お前の部屋に行くか」
「あーいっ」
弾むような足取りで歩く和希についていき、昼までのんびりと子供部屋で過ごした。
それからゆっくり昼飯を作って食べ、今日の好天のおかげで早くも乾いた洗濯物を取り込みにかかる。
もちろん、今度は和希も一緒だが、
「眠いんだったら寝ててもいいんだぞ?」
昼食の後はいつも昼寝をする和希に、苦笑しながらそう言うと、和希はぷるぷるっと頭を振って、
「おてつだいするの!」
と主張されては、無下に断れもしない。
「じゃあ、早く終わらせて、お母さんと一緒にお昼寝しようか」
「ふあい」
俺が取り込んだ洗濯物を和希がちまちま仕分けするという役割分担を決め、ベランダから部屋の中へどんどん放り込んでいくと、和希はそれに埋もれそうになりながらも楽しそうな顔で、
「とーしゃんの、かーしゃんの、おれの、ねーしゃんのっ」
と口に出して確認しながら服を分けていく。
急いで取り込むだけ取り込んだ後は、俺も一緒になって仕分けてやる。
和希はそういうところでは寛容であり、自分の仕事を取られたといってへそを曲げることもない。
むしろ、一緒にやれて楽しそうにしてくれるあたり、本当に気立てのいい子だと思う。
仕分けが終わったもので、アイロンがけが必要なものを片っ端からかけていく。
和希が触らないように気を付けつつ、しかしながら、熱くて危ないということを覚えさせることも必要だという教育方針から、あえて遠ざけることはしないでおく。
和希は興味津々で、アイロンをかけるたびにしわがなくなっていくのを見つめている。
「熱いから気をつけろよ」
と声を掛けると、
「あつい?」
「そうだ。…熱いから、しわが伸びるんだ。でも、熱すぎて触るとやけどしちまうからな。…痛いのは嫌だろ?」
「やー」
そう言いはするものの、今にも触りたそうにうずうずしているのが分かる。
「ほら」
と俺はアイロンをかけ終えたばかりのワイシャツを和希の前に差し出した。
「触ってみな」
「うー……あっつ!」
びっくりして目を大きく見開いた和希に、俺は小さく笑って、
「な? 熱いだろ。シャツでもそれだけ熱いんだから、アイロンはもっと熱いって分かるよな」
「うん…」
不思議そうな目で、まじまじとアイロンを見つめ、
「かーしゃんはあつくない?」
と聞いた。
「…どういう意味だ?」
「だって、かーしゃんはそれ持っててあつくないのかなって」
「ああ」
なるほど、そういう風に考えたのか。
「持ってて平気なところを持ってるからな。熱いところを触ると、お母さんだって火傷するよ」
「ふあー…」
感心したのかと思ったら、そうじゃなかった。
和希は眠そうにあくびをして、うつらうつら舟まで漕いでいる。
このままだと洗濯物の山の上に転がって寝ちまいそうなくらいだ。
俺はそっと笑って、
「お昼寝しようか」
「うー……おせんたく……ぅ…」
「大丈夫だから」
そう言い聞かせてようやく和希を立たせ、子供部屋に連れて行き、布団に入らせると、和希は寝かしつけるまでもなく、穏やかな寝息を立て始めた。
それだけ眠いのに、手伝いをしようとしてくれたというのがいじらしい。
俺はそっと和希の前髪を撫でつけ、
「ありがとな」
と囁いた。
それから一人で作業を済ませ、かごに満載した洗濯物を各人の部屋へと運びながら、俺はふと思った。
今は家族が四人もいるから、洗濯物はこれだけたくさんある。
けれど、いつかこの洗濯物は減るに違いない。
子供たちが巣立ちする日が来るのは当たり前のことだからな。
そしてそれを歓迎しないような親になるつもりはない。
寂しく感じることは確かだろうが、それ以上に喜ぶことだろうとも思う。
だから、この洗濯物が少なくなってしまうその時までに、このたくさんの洗濯物がある幸せをよくかみしめておきたい。
そっと顔をうずめた洗濯物は柔らかくて暖かく、いい匂いがした。
幸せというのは多分、こんな形をしているんだろう。