「王子様って、辞められないのか?」 朝、廊下で顔を合わせるなり、そんなことを呟いた俺に、ハルヒは引き攣った顔を見せた。 「あんた、まさかとは思うけど……」 「……正直、辞めたい。と、言うより、続けられる気がせん」 深くため息を吐いた俺の首根っこを掴んで、ハルヒは駆け出した。 逃げるように、一目散にめざすのは、生徒会室だ。 そこに入ったハルヒは、おっかない顔で俺を睨んだ。 「あんたと古泉くんのことはとっくに分かってたから、いつかそういうことを言い出すんじゃないかとは思ってたけど、あんな場所で、しかも今のこの時期に言い出すことないでしょ!? 受験で大変な子もいるのに、動揺させて台なしにでもする気!?」 「すまん」 それについては謝る。 「だが、本当にもう限界なんだ…」 そう小声で言った、その声さえ震えた。 「キョン……」 「あいつ以外の誰かを抱き締めるのも嫌だし、あいつがそうするのも嫌だ。こんなんじゃ、王子様なんてやってられんだろ…」 呟いた拍子に、目から涙がこぼれ落ちた。 「う……」 「ちょ、ちょっとキョン…!」 慌てるハルヒを見つめ返し、俺は言う。 「もう嫌なんだ。だから、許してくれ」 そう言って俺は生徒会室を飛び出した。 一目散に向かう先は、一樹のいる教室だ。 駆け込んだ先で、一樹が女の子たちに囲まれているのにも関わらず、思い切り抱きついてやった。 「ど、どうしたんですか?」 と驚く一樹にしがみついて、小さく答える。 「ハルヒに、タンカ切ってきた」 「ああ……なるほど」 納得したらしく、柔らかく微笑した一樹が俺の頭を優しく撫でてくれる。 「お疲れ様です」 「ん……疲れた…」 殊更に力を込めて抱き締め、一樹の肩に顔を埋めるのは、周りの子たちがどんな顔をしているのか見たくないからだ。 嫉視なら耐えられても、戸惑うような顔を見たら、決心がぐらつきそうだった。 ごめんなさい、と胸の中で手を合わせる。 俺のしていることは、彼女らから一度に二人もの王子様を奪うことでしかない。 非難されてもしょうがないとは思う。 それでも、止められないほどに俺はこいつのことが好きなんだと自覚しちまった。 だからもう、なんでもないような顔も出来ない。 俺は一樹の膝に乗っかって、その首に腕を絡める。 教室のざわめきも耳に入れない。 一樹の耳に唇を寄せて、 「…キス……は、だめか…?」 と囁くと、一樹がぎょっとしたように体を竦ませた。 「…衆人環視のただ中ですよ?」 「分かってる…けど、したいんだ……」 ハルヒのところで使った分くらいのエネルギーを取り戻したい。 それに、そうしたら嫌でも噂が広がって、王子様なんてやってられなくなるだろ。 「困った人ですね」 「俺も、初めて知った」 苦笑した体を少し引き離されたってことは、キスしていいってことだよな? ちゅ、と触れるだけのキスでも、ひしゃげた気持ちが温かく膨らむように思えた。 途端に響いた予鈴に、俺はぱっと体を離し、 「それじゃ、一樹、また後でな!」 と大慌てで教室を飛び出した。 たったあれだけのことでこれだけ浮上出来るなんて安上がりなもんだが、恋愛と称される一種の精神病に冒されていれば誰しも大なり小なりこんなもんだろうと開き直る。 そうして自分の教室に戻り、自分の席に座る。 「なんだかご機嫌だね」 と国木田には言われたが、 「見て分かるか?」 「うん、何かいいことでもあった?」 「いいこと…ってほどでもないが、まあ、軽い宣戦布告ってところかな」 「宣戦布告とはまた穏やかじゃないね」 と非常に穏やかな表情で言った国木田だったが、ちょっと目を見開いたかと思うと、小さな声で、 「古泉くんとのことかな?」 と俺に聞いてきた。 「…ああ」 「そう、なるほどね…」 どうやらそれだけのやりとりで察したらしい国木田は、次の休み時間になって古泉が今朝のうわさ話を引きつれてやってきた時にも動じた様子を見せなかった。 ある意味見事である。 それを横目で眺めている間にも、 「何を見てるんです?」 と嫉妬深いのさえ可愛い俺の一樹が俺の頭を背後から抱え込むようにして抱き締めている。 俺はその柔らかな胸に頭を沈めて、実にいい気分である。 「国木田」 「…妬きますよ?」 「観察してるだけだから気にするな。それに、意識はほとんど頭の下の柔らかい物体に行ってる」 「もう…」 苦笑するように呟いておきながら、ぎゅむっとその柔らかいものを寄せて、 「本当に、おっぱい好きですよね」 「…頼むからお前のその口とその可愛い声でおっぱいとか言ってくれるな」 自分が恐ろしい変態になったみたいな気がしてくるだろう。 「変態じゃなかったんですか?」 「やかましい」 どうせ俺は女のくせに、女の子に欲情する変態ですよ。 自棄になって体を反転させ、一樹の胸に真正面から顔を埋めてやる。 制服とブラジャー越しですらこの感触ってどうなんだ。 羨ましい。 しかしこれが自分のものだと思うと気分もいいわけである。 「はふ……気持ちいい…」 「もう…そんなにそこばっかりしないでくださいよ……」 「なんだ? 他のところにも触れって要求か?」 「違いますっ! もう…」 さっきからそればっかりだがいつの間に牛に転職したんだ? それはそれで可愛い牛だろうが。 「ほら、そろそろ教室に戻りますから離してください」 「んー……」 名残惜しいが仕方がない。 「同じクラスだったらよかったのにな?」 「クラス替えに期待しましょうね」 と柔らかく笑って俺の頭を一撫ですると、一樹は軽やかに駆けて行った。 ぎりぎりまでいたから慌ててるんだろう。 スカートの翻り方が目に眩しい、などとにやにやしていると、呆れ顔の国木田に、 「キョンって意外にも堂々といちゃつけるタイプだったんだね」 「…苦労の末に開き直ったんだ」 あまりそう指摘してくれるな。 恥かしくなる。 「でも、本当にあんなことしていいの?」 「……まずいと思うか?」 「ううん……難しいところだよね。元々古泉くんの方はキョンのことが大好きってことを公言して憚らなかったわけだし、キョンは元々素っ気無い王子様だったから……」 「今のままでも続けさせられる可能性があるってことか?」 冗談じゃない。 「ああ、やっぱりそういうつもりだったんだね」 くすくすと笑った国木田は、 「やめたいならやめたいって言っちゃえば?」 「ハルヒにはもう言ってある」 「そうじゃなくて、みんなに、だよ。キョンが切々と訴えたら、みんな許しちゃうと思うけどなぁ……」 「切々とってのはなんだ。俺にそんな芸当が出来ると思うか?」 「出来ないかな?」 「無理を言うな」 「出来そうだけど」 と国木田が呟いたところでチャイムの音が鳴り響いた。 そんな調子で休み時間を過ごし、昼休みには弁当を抱えて二人で中庭の目立つところに陣取った。 その弁当は、本当は朝飯のつもりで作ってきたものだ。 …つまり俺たちは朝飯を食う時間もなくなるほど、朝っぱらからいちゃついてたというわけだが、そこには目を瞑ってもらいたい。 しょうがないだろう、若いんだから。 結果、弁当は昼のものとなり、朝は空きっ腹を抱えて、遅刻すれすれになりながら、校舎に駆け込む破目になったわけだが、おかげで昼はのんびりと弁当を食えるというわけだ。 「寒い季節でよかったな」 「そうですね」 なんて普通に会話しながらも、俺の肩は一樹の肩とぴったりくっついているし、一樹は何も考えてないような顔で、 「はい、あーん」 とか言いながら俺の口に玉子焼きを突っ込んできたりしてる。 「…俺が作ったんだが」 「ええ、だから、食べさせるのは僕がしたっていいでしょう?」 「……」 妙な理屈だなと思いはしても、そんな風にされて嫌なはずもないので、大人しく弁当を食べる。 誰も近づくなとばかりに二人の世界をこしらえることが出来たということか、遠巻きにちらちらと眺められはしても、近寄ってくることはない。 前なら弁当が俺に届けられたり、お菓子が届けられたりしたのだが、それも今日はないくらいだ。 「この調子で、放っておいてもらいたいな」 「ええ、全くです」 そう言いながら空になった弁当箱を片付け、俺は一樹の膝に横になる。 「あー…いい天気だな。早起きしたからこのまま眠れそうなくらいだ」 「いいですよ、寝ても。ちゃんと午後の授業に間に合うように起こしますから」 「やだね」 「どうしてです? 眠いんでしょう?」 「眠いが、せっかくお前といるのに寝てどうするんだ」 「…あなたって人は」 嬉しそうに笑った一樹は俺の頬をつんとつつき、 「今度から、もうちょっと人目のないところで食べることにしますか?」 と言う。 「なんでだ?」 「そうしたら、我慢しなくていいでしょう?」 そう言った唇は艶やかな薄桃色に輝いていて。 ぞくんとした。 「…校内だぞ?」 「昼休みがせっかく長いんですから、一度寮に戻るという手もありますよ?」 「ばか。そうしたらまた飯抜きになるんだろ」 「そうかもしれません」 くすくすと笑いあうのも楽しくて、幸せで。 「一樹、」 「はい」 「…好きだぞ」 「僕も、あなたが好きです」 そう囁き合って、唇を重ねるかわりに互いの指先を触れ合わせた。 くすぐったいと思う程度の理性は残っているようなのだが、それでも止められない。 のらりくらりといちゃつく俺たちに、 「キョン、古泉くん、ちょっと来なさい」 と異端審問官の如き厳しい声が掛けられた。 |