鳥籠の中のプリンシペ



平日、つまり授業があって登校していると、一樹は暇さえあれば俺に擦り寄ってくる。
クラスも違うし、一応立て前としては王子様役として他の子たちに愛想を振り撒き、ついでに夢(失笑)なんかも振り撒いてやらなきゃならないはずだってのに、そんなのお構いなしだ。
休み時間のたびにやってきては、やれ授業中はどうでしただの、一緒にお手洗いに行きましょうだの、鬱陶しいことこの上ない。
……そりゃ、俺だっていちゃいちゃしたくないわけじゃない。
だが、TPOというものがあるだろう。
だから、
「頼むから、校内ではべたべたしてくるんじゃない」
と言ったのだが、一樹はまるで別れを告げられたかのように驚き、硬直した。
「…え」
「え、ってお前…聞こえてなかったのか?」
「聞こえましたけど…でも、あの、どうしてですか!?」
そう言ってひしっと俺の肩を痛いくらい強く掴む。
「なっ、い、一樹!?」
「僕のこと、嫌いになったんですか?」
「違うって、なんでそうなるんだ?」
「だって、そういうことじゃないんですか…?」
涙目で言う一樹に俺はため息を吐き、
「そうじゃなくて、ただ単に校内ではもう少し自重しろって言ってるだけだろうが」
「ですから、僕と一緒にいるのが嫌ってことなんじゃ…」
「そうじゃないって何度言わせるつもりだお前は!」
そう怒鳴ると、一樹はびくんと身を竦ませた。
……怯えさせたかったわけじゃないんだが…。
「だから、学校は勉強するための場所だろ? 王子様役としての役目もあるんだし、あんまりベタベタするのもどうかと思うんだが…」
「…どうしてですか?」
きょとんとした顔で一樹が問い返し、今度は俺が唖然とさせられた。
「学校は勿論、勉強するための場所です。でも、それだけではないでしょう? それなら、好きな人と一緒にいたっていいと思います」
「いや、でもな? 教師なんかも見てるだろ? そこから親に話が伝わったらどうするんだ?」
「どうするって……」
「…お前、俺もお前も女だって分かってるか?」
「そんなこと、勿論よく分かってますよ。あなたの肌に何度触れたと…」
「そ、そういうことまで言わなくていい!」
真っ赤になって制止した俺に、一樹は不思議そうな顔で聞いた。
「誰に知られたって、いいじゃありませんか」
と。
……だめだこいつ。
完全に別の宇宙の生き物だとしか思えん。
俺はこれ以上相互の理解を求めることは諦め、
「…とにかく、あんまりべたべたしてくるな」
と言って話を打ち切った。
ついでに、ついてくるなと言い捨てて、だらだらと教室に戻る。
昼休みが長い学校でよかった。
そうでもなけりゃ、授業までに気分が浮上するとは思えんからな。
我ながら重く鬱陶しい空気をまとわりつかせつつ廊下を歩いていると、流石に声を掛けてくる子もいなかった。
……と、思ったのだが、
「キョンくんどうしたんだいっ? なんだか元気ないねー」
と底抜けに思えるような明るさを持った声と共に背中をばしんと叩かれた。
「っ、鶴屋さん…っ」
「あれ? 痛くし過ぎたかな。ごめんねっ」
からからと笑った鶴屋さんに俺は苦情の言いようもない。
諦めかけた俺に、鶴屋さんは悪戯っぽくウィンクすると、
「何かあったのかいっ? あたしでよかったらいくらでも聞くよ?」
その言葉に、ついふらふらと生徒会室までついていってしまったのは、俺もやっぱり愚痴りたかったということなんだろうか。
たむろしていた他の役員を追い出して、鶴屋さんは手ずからお茶を入れてくださった。
温かいお茶を飲みながら、俺はぼそぼそとさっきのことを話す。
「…なんか、一樹が分からないです」
「なんでだい?」
「…だって、普通は違うでしょう。同性愛者ってだけで、後ろ指をさされるかもしれないのに、人前であんな堂々と…」
「あはは、キョンくんは意外と頭が硬いなぁ。それとも、慎重なのかなっ?」
そう笑った鶴屋さんは、案外鋭い目を俺に向けると、
「正直に言いなよ。本当は、そうやって後ろ指さされるなんてことより、そのせいで古泉くんと別れさせられるかもってことの方が怖いんじゃないかい?」
「それ…は……」
確かにその通りだ。
俺は、これでも一樹のことが好きだから、出来るなら一樹といつまでだって一緒にいたいと思ってる。
だが、もし、二人のことを教師に知られたり、そこから両親に知られたらどうなるだろうか。
俺の方はまだいい。
うちの両親はそう頭が硬いってわけでもないし、いざとなったら俺は家を出たっていいと思ってる。
それくらい、一樹のことが好きだ。
だが、一樹はどうなる?
あいつの言葉を信じるなら、あいつの両親は世間体や外聞を気にする。
イメージ命の会社なんだから仕方ないのかもしれないが、そうであるならば余計に、一樹が同性愛者なんて言われるのを嫌がるだろう。
それに、一樹にはデザイナーとしての才能がある。
両親はきっとあいつを手放さないだろう。
そうなったら、俺とあいつはきっと別れさせられる。
そうなるのが、何より怖いんだ。
「キョンくんの心配は分からないでもないよ。もっともだとも思う。でもね、キョンくん、」
鶴屋さんはどこか苦いものを含んだ笑いを見せた。
「古泉くんの方が正しいんじゃないかな」
「どうしてですか?」
「好きな人と一緒にいたいって気持ちは止め難いものだよ。それに、万が一のことを考えたなら余計に、一緒にいる時間を減らしたくはないと思う」
「……」
黙り込んだ俺に、鶴屋さんは明るく笑い、
「それにね、この学校の中でのことなら、誰にも何にも言わせないよっ!」
「え…?」
「あたしたちがいるこの学校は、結構自由が認められてるだろ? それだけ、あたしたちを認めてくれてるってことでもあるし、皆学生時代くらいしか自由に出来ないんだから多めに見てくれてる面だってある。そんな、カゴの中にいるようなものだけどさ、それでも好きにさせてもらえてるなら、取り敢えずはそれでいいと思わないかい? 戦うのは、カゴから出た後でも遅くはないってあたしなんかは思うっさ」
「…そう、でしょうか」
「うんっ。それでいいんだよ。明日はどうなるか分かんないけど、だからってうじうじ考えたって仕方ない。それなら今を楽しんで、楽しい時間を明日に繋げてった方がいいってもんだよ」
本当に、好きにしてしまっていいんだろうか。
いいのなら……、と俺は鶴屋さんに、今まで考えただけで決して実行しなかったことを告げてみた。
鶴屋さんはニコッと笑って、
「やっちゃったらいいさっ! きっと古泉くんも喜ぶよ」
と太鼓判を押してくれた。

その日の放課後のことだ。
一樹がなかなか来ないので、俺の方から迎えに行ってやると、一樹は教室でクラスの女の子達に囲まれていた。
こういう時、いつもなら俺はその囲みが解けるのを待つのだが、今日は違った。
俺は教室の中に入ると、
「一樹っ!」
と呼びつけた。
「え、あ、はいっ、なんですか?」
驚く一樹を見つめながら、強引に囲みの中に割って入る。
「で、デレデレしてるんじゃない…っ」
そう言いながら、顔が真っ赤になってくるのが分かる。
それでも、俺は強引に一樹の手を掴むと、そのまま教室から連れ出し、一目散に寮にある一樹の部屋を目指した。
誰も追いかけてこなかったのは、驚いたからだろうか。
「そうでしょうね。僕も驚きましたし、今も驚いてます。一体どうしたんですか?」
心底不思議そうに聞いてくる一樹に、
「別に。お前がデレデレした顔してるからむかついただけだ」
と吐き捨てるように言ったのだが、一樹は嬉しそうに笑った。
「ねえ、もしかして、ということなので気を悪くしないで欲しいんですけど、聞いていいですか」
「…なんだよ」
「…もしかして、妬いてくれたんですか?」
「っ、お、面白くないだけだ」
と言えば、一樹は更に嬉しそうに微笑み、
「嬉しいです」
と俺を抱きしめた。
「…なんでだよ」
こっちは、鶴屋さんがいいと言ったからとはいえ、みっともないことしたと猛省してるってのに。
「それは勿論、妬いているのが僕ばかりでないと思えるから嬉しいんですよ」
「俺だって……や、妬いたり…するに決まってんだろ。お前、無駄に可愛かったり、かっこよかったりするんだから……」
再び赤くなりながら言えば、更に強く抱きしめられた。
「あなたの方こそ、本当に可愛くて、心配になります」
そう言いながら一樹は俺の頬に口付け、
「堂々と主張していいんですよ? 僕はあなたのものなんですから」
「それなら…俺だってお前のものだろ。だから……その、」
「なんですか?」
俺は聞き取れないんじゃないかと思うほど小さな声で告げた。
「…お前の、好きにしていいから」
「…本当ですか?」
「ん…」
「抱きしめたり、キスしたりしても、いいってことですよね」
「恥かしいから、人前ではあんまりしないで欲しいけどな」
「休み時間のたびに会いにいっても?」
「う…それくらいなら、いい」
「ありがとうございます」
本当に嬉しそうに言った一樹は、俺をそのまま床に押し倒しやがった。

それから、一樹は前以上にべたべたくっついてくるようになった。
それこそ、傍迷惑なくらいに。
ハルヒには注意されたし、朝倉にも露骨なイヤミを頂戴したのだが、そんなもので一樹がへこたれるはずもなく、今日もわざわざやってくる。
だが俺も、それを困りながら、どうしようもなく嬉しく思ってるんだから、共犯だよな。
そう小さく笑ったところで、一樹の早足の足音が聞こえてきた。
もう少しでドアが開く。
そんな風に心待ちにしちまうくらい、俺はやっぱりこいつが好きなんだ。