コスプレ?プリンシペ



「…なあ、何でこんなことになったんだった?」
げんなりを通り越し、むしろぐったりとでも言った方がより正確に思えるような声で俺が問うと、一樹は俺とは正反対の声を出した。
つまりは、嬉しそうに弾み、喜びに満ち溢れた声を、だ。
「何かお気に召しませんか?」
気に食わないってことくらいは通じてるんだな。
そりゃあよかった。
お前はてっきり俺とは全然違う星からやってきた宇宙人だとばかり思っていたところだ。
通じて何よりだな。
「もうっ、何が仰りたいんですか?」
そんな風に可愛く頬を膨らませたところで俺の機嫌は直らんぞ。
「こんな馬鹿げたコスプレは勘弁してもらいたいってだけだ」
そう言って俺がそっぽを向いたというのに、一樹は強引に俺の顎を掴むと自分の方に向かせ、
「コスプレじゃないでしょう?」
「コスプレだろうが」
俺にこんなひらひらびらびらふりふりの女装をさせて何が楽しい。
「女装って……あなたは元々女性でしょう?」
苦笑混じりに言った一樹の方こそ、よっぽど可愛くて女らしいというのに、何でそういう服を着ないんだ。
「一度やってみたかったんですよ。僕が男物の服を着て、女性らしくて愛らしい格好をしたあなたと一緒に街を歩くことを」
「だからってわざわざ胸を潰すこともないだろう」
まじまじと見つめたところで、見事にそれを見出せないほどぺったんこに潰してある。
……勿体無い。
「勿体無い、って顔に書いてありますよ?」
そう笑った一樹が俺の頬を引っ張った。
「あにすんら」
「どうせなら、笑っていただけないかと思いまして。…せっかくのデート、なんですよ?」
笑って欲しいなら人の頬を引っ張るな。
ついでに言うならこんなコスプレもどきを要求するな。
「だから、コスプレじゃありませんってば。ほんの少しゴスロリっぽいってだけの服ですよ?」
ゴスロリは大方の人間にはコスプレと認識されると思うのは俺が庶民感覚のままだからとでも言うつもりだろうか。
どうすれば一樹にそのあたりのことを分かってもらえるだろうかと考えている間に、一樹は上機嫌で俺を引っ張って歩いていく。
全く、何が楽しいんだか。
そう思いながらも、気がつけば、俺の顔も緩んでいた。
それはやっぱり、一樹と二人きりでで………で、出かけるってことが、嬉しいから、なんだろうな。
「どうかしましたか?」
ふっと俺の方を振り向いた一樹が、きょとんとした顔で俺を見て言った。
「は?」
「顔、真っ赤ですよ」
「――ッ!」
一生の不覚だ。
デートだとか何とかそういうことを意識しただけで真っ赤になるとか、どれだけ俺も浮かれてるんだよ。
ああくそ、忌々しい。
「な、なんでもないっ」
そう吐き捨てて、大股に歩いて逃げ出そうとしたところで、軽く体が傾いだ。
「ぅわ…っ!?」
「だ、大丈夫ですか?」
慌てた声を上げながらも、一樹はしっかりと俺を抱きとめてくれた。
俺より華奢に見えるくせに、意外と力があるのは何でだろうな。
服作りに腕力を要するとも思えんのだが。
「…すまん、助かった……」
「ヒールが高すぎましたか? すみません。あなたがヒールの高い靴に慣れておられないことはちゃんと分かっていたつもりだったのですが…」
「いや、俺がいつもと違う靴だってことを忘れてたからだろ。お前が謝ることじゃない」
「でも…」
いかん、このままだと埒が明かないぞ。
こんなくだらないことで時間を取るためにわざわざ出歩いてるわけじゃないってのに。
「大丈夫だから、ほら、どこに行くんだ?」
強引に話を打ち切ると、一樹はまだ表情を曇らせがちではあったものの、大丈夫だということも、俺が気にしていないということも一応理解してくれたらしい。
「デートですからね。美術館に行きませんか?」
美術館ね。
俺にはそんな高尚な趣味はないのだが、一樹と一緒なら俺が何も知らなくても笑われたりせず、丁寧に説明してくれることだろう。
だから俺は素直に頷き、
「俺は芸術のことはよく分からんからな。精々呆れる準備をしておけよ」
と言ってやると、
「僕だってよく分かりませんよ?」
と笑顔で返された。
「なんだよそりゃ」
それなのに美術館なのか?
「よく分からなくても、綺麗だと思うものはいくらでもあるでしょう? それから、絵画なら、その中に描かれた服装を見るのも楽しいんです」
いかにもデザイナーらしいことを言う一樹に、俺は思わず笑って、
「それじゃ、俺も精々好きなように眺めさせてもらおう」
と言ってやった。
そうして実際にしてみると、一樹と一緒に絵を眺めるというのはなかなか面白いことだった。
絵に関する知識は薄くても、服飾関係の知識は仕事柄たっぷりと持っているらしい一樹が、時代的背景や社会的理由なども加えて服装について解説してくれたからな。
俺としてもそういう雑学めいたことは嫌いじゃないし、何より一樹が楽しそうに語っているのを見て、こっちまで楽しいような気持ちになった。
だから大人しく聞いていたのだが、俺の口数がいつになく少なかったからだろうか。
一樹は不意に心配そうな表情になって俺を見ると、
「あの……やっぱり退屈でしたか?」
「いや?」
なんでそんなこと思うんだ?
「いつもだったら、もう黙れとか仰るじゃないですか」
「………」
そんなことをしてたかな。
「してますよ。それとも、体調でも悪いんですか?」
そう言って額に手を当ててくる一樹に、俺は苦笑して、
「別にそういうんじゃない」
「じゃあ、どうしたんです?」
「お前な…」
人が素直に聞き惚れてたんだから、そうと分かったっていいと思うんだが、こういう変なところで不器用で、自分を過小評価する辺りがこいつらしいってところなんだろうかね?
俺は軽くため息を吐きながら、
「俺には絵のことも服のことも分からんが、お前がそうやって楽しそうに話してるのを見るのは楽しいからな。だから、邪魔しないように黙ってたんだが?」
余計なことだったか、と問えば、
「そんなことありません! …あの、本当に…?」
「ああ」
「…嬉しいです」
そう微笑んだ一樹が、俺を軽く抱きしめた。
言い忘れていたが、ここが美術館内であるということはつまり、さっきからの会話もその前の解説も全部小声で囁かれていた。
ゆえに、俺たちの距離はかなり近く、それを更にゼロにされるとどうしようもなく胸が騒ぐのは、こいつが普段我慢の欠片もない奴だからであって、俺に非はないと主張したい。
「一樹、ほら、いい加減にして離れろ。まだ見るんだろ?」
「絵よりもあなたを見ていたいです」
「…ばかだろ」
そういうこっ恥ずかしいことを言うなと、本当に俺に何度言わせるつもりなんだ。
「だって、本当にそう思うんですよ。…ねぇ、」
思わずぞくりと来るような声を耳元で響かせて、一樹は言った。
「もう出ましょうか。少しばかり勿体無いかもしれませんけれど、それ以上に僕はあなたを見ていたいですし、誰に気兼ねすることなく、あなたに触れたいんです」
「…っ、ほん、とうに、バカだな、お前…!」
そう唸りながら、俺は頷いてやり、嬉しそうに笑った一樹の吐息が俺の耳をくすぐった。
惚れた弱味ってのは本当にあるもんだなと俺は諦めと共にため息を吐き出した。

まさか俺が、手を繋ぐどころか、腕まで組んでべたべたしながら街を歩くなんてことになるとは、誰も思いはしなかっただろう。
もっとも、俺は腕を組まれている側で、男装している一樹の方が俺の腕に抱きついているので、身長のバランスから見ても、服装から見ても若干アンバランスになってはいるのだが、一樹は一向に気にしないらしい。
「どこに行くのが早いと思います?」
なんて浮かれた顔で聞いてくるのに脱力しながら、
「頼むからその辺の公園とかトイレに連れ込んだりはしてくれるなよ」
と釘を刺すと、
「じゃあ、僕の部屋まで我慢ですか?」
「……嫌なのか?」
「…ちょっと、遠いなと思いまして……」
だからお前はどれだけ堪え性がないんだ?
可愛い顔して、思春期真っ只中の男子中学生並に性欲まみれか。
「あなただから、ですよ。あなただって、本当は我慢出来ないんでしょ?」
悪戯っぽく笑った一樹が、さり気なく俺の脚をくすぐった。
ミニスカートの裾とブーツの間、ストッキングに覆われた部分を軽く撫でられるといつもと違う感覚が走る。
「おい…っ!」
公道で何しやがる!
「ちょっと触っただけじゃないですか。でも、それにも反応しちゃうくらい、あなたもしたいんでしょう?」
「…っ、だから俺にどうしろって言うんだ。お前をラブホテルにでも案内しろってのか?」
「……ラブホテル?」
と首を傾げたこいつに、俺は心底しまったと思ったね。
普段の言動からするととてもそうは思えないが、本当のところ、こいつは正真正銘のお嬢様なのだ。
だから、そういうことに関する知識は少なく、精々自分で調べたことしか知らない。
「聞いたことくらいはありますけど、そういうところって、女の子だけでも入れるんですか?」
「俺が知るか」
「この近くにも……あるんですかね?」
「知らん」
「ねえ、」
一樹が強請るように言った言葉なんて、わざわざ言うまでもないだろう。
かくして俺はラブホテルなんてものに連れ込まれ、幸か不幸か少々小奇麗なその部屋で一樹に襲われちまったというわけである。
「あなたの言う通り、もう少しボタンは減らしましょうか」
シャワーを浴びる暇すら与えず俺をベッドに押し倒し、俺の服に付けられた細かいボタンをプチプチと手際よく外しながら一樹は言った。
「は…ぁ?」
繰り返されるキスと布越しの焦らすような刺激にもはや思考能力も奪われた俺がなんとかそう聞き返すと、一樹は、
「いえ、確かにこれだけボタンがあると脱がせ辛いように思いまして。このもどかしさが逆に興奮を煽ってくれる気もするんですけど、でもやっぱり、早くあなたの素肌に触れたいのにこれでは困ると思うんですよね。…あなたはどっちがいいですか? 脱がしやすい服とこんな服とでは」
俺は元々シンプルな服のほうが好きなんだが、そう下心をあからさまに見せられると素直に言いかねるな。
俺はため息とも喘ぎともつかないものを吐き出しながら、
「は……、お前の好きにしろよ…。どっちにしろ、脱がすのはお前なんだろ」
と言ってやった。
どこまで一樹に甘いんだろうな、俺も。
そんな言葉を言えば余計にこいつが止まらなくなると分かってるくせにわざわざリップサービスめいたものを言ってやるんだから、本当に俺はおめでたい。
「それくらい好きでいてくれるってことですよね?」
嬉しそうに、かつ満足気に言った一樹を、俺は軽く殴ってやったがそうしたところでバチは当たらないはずだ。
こいつが調子に乗りすぎたんだからな。
実際一樹は、殴られても文句ひとつ言わずに、嬉しそうに笑っていたので、俺はまさかマゾヒストじゃあるまいなと要らん疑念を抱かされたのだった。