困惑プリンシペ



それは、文化祭のその日のことだった。
文化祭だからと張り切ったうちのクラスは朝倉の、いつもながらに見事な采配によって、それこそどこの喫茶店だと思うような状態に整えられている。
出すものも、本格的なアフタヌーンティーセットだというから恐れ入るね。
俺としては裏方でクッキーだかケーキだかを作っていた方が気が楽だったのだが、王子様として顔が売れているんだからとギャルソン姿で給仕をする破目になった。
朝倉に説得された結果であることは言うまでもない。
まあ、びらびらしたエプロンドレスを着るよりはずっと楽だからいいのだが、
「何でお前は自分のところの出し物も放り出してうちに入り浸ってるんだ」
銀のトレイで軽く頭を小突いてやると、一樹はへらりと笑い、
「いいじゃないですか。あなたと一緒にいたいんですよ」
恥ずかしいやつめ。
「それに、これでもちゃんと役目は果たしてるんですよ? こんな格好で出歩いていれば、宣伝効果は十分でしょう?」
と言う一樹は、妙な服装をしていた。
皮のブーツに地味な茶色のズボン、それから短いマントを羽織り、頭にはバンダナらしいものを巻いている。
「お前のクラスは何をするんだったっけ?」
「演劇ですよ」
そう言った一樹がちらっと時計を見た。
「…そろそろ講堂に行かなくてはなりませんね。こうしてあなたと離れなければならないのは残念ですが、一時完全に行動を制限される分、自由時間が多いのはありがたいですね」
「今から出番なのか?」
「ええ。……見に来てくださいますか?」
俺は一樹には答えず、
「朝倉」
とエプロンドレス姿で忙しく動き回っていた朝倉に声を掛けた。
「どうかしたの?」
「少し、抜けてもいいか? 30分は掛からないと思うんだが」
朝倉は意味ありげに一樹を見た後、小さく笑って頷いた。
「いいわよ。でも、着替えていかないでね? お店の宣伝のためにも」
宣伝など不要なくらい人が来ているような気もするんだが、朝倉の言葉に逆らう必要はないだろう。
「分かった」
と頷いて、一樹と共に教室を出た。
問題が発生したのは、講堂に入る寸前だった。
「キョン」
といきなり呼び止められたのだ。
振り返った俺は、
「なんだ、佐々木か」
「なんだとはご挨拶だね」
そう笑った佐々木は、
「キョンも劇に出たりするのかい?」
「いや、俺は見物だ。出るのはこいつ…」
と言いながら一樹を見ると、一樹の表情がありえないほど強張っていた。
……もしかして、キレてんのか、これは。
「…一樹?」
「はい?」
応じる顔は笑顔だ。
笑顔なんだが……正直、怖い。
「キョンが友達を名前で呼ぶなんて珍しいじゃないか」
そう言った佐々木に、
「あー…まあ、な」
と言葉を濁す。
流石に、友達ではなく恋人だとは言いかねたのだ。
一樹には後でフォローをしておこうと思っていると、
「古泉さん!」
と一樹のクラスメイトが駆け寄ってきた。
「何してたんですか。もうすぐ出番ですよ。ほら、急いでください」
「あ、はい。すみません」
そう謝った一樹は、ちらっと俺に目をやり、
「…後で、また」
とだけ言った。
後でまた、どんな目に遭わされるんだろうな、俺は。
思わずため息を吐くと、佐々木が面白がるように目を細めた。
「面白そうな人だね」
俺は全然面白くない。
というか、
「佐々木、お前なんでここにいるんだ?」
お前は確か市外の進学校に行ったんだったと思ったが。
「そうだよ。たまたま、こちらの学校と交流のあるところでね。ちょっとした伝手があって、招待券をいただいたんだ。キョンがここに通ってることは覚えてたから、こうしてお邪魔させていただいたんだよ」
それより、と佐々木はどこか一樹と似たような印象を与える如才のない笑みを浮かべて講堂の入り口を示した。
「そろそろ入らないと、さっきの彼女のクラスの出し物が始まってしまうんじゃないのかな」
「あ、ああ、そうだな」
俺は成り行き上仕方ないかと諦観しながら、佐々木と共に講堂に入った。
このまま佐々木と一緒にいると言うのは厄介な事態を招く、と思いはした。
一樹があんな反応をしていたこともあるし、俺は今のこのギャルソンの格好のせいだけでなく目立ってしまうからな。
今だって、俺の隣りに見慣れない他校生がいるせいで視線が痛い。
ざわめきに混ざって聞こえてくる囁き声は、俺の隣りに一樹や他の王子様連中以外の誰かがいることにたいする疑問を示すようなものばかりだ。
それに何より、一樹のあの反応が問題を如実に示していた。
かと言って、久々に再会した友人をないがしろにも出来ず、俺は二つ並んで席が空いているということがなければいいと祈りすらしたのだが、一樹が出ると言う理由でだろう、かなりの人が入っているというのに、ばっちりと席が空いていた。
いや、空いていたというのは正確じゃない。
並べられた椅子の列半ばにひとつと端の方にひとつ、と言った具合に席が空いているのを見つけた佐々木が、
「すいませんが、詰めていただけませんか?」
とわざわざ頼み込んだのだ。
うちの学校は集まる人間が人間なだけに、基本的に、人が下手に出て頼みごとをしてきた場合、それがよっぽど意に沿わないことでない限り、笑顔で応じる人間が多い。
この場合も当然のようにそうであり、頼まれた2年生は、どうして俺が他校生と一緒にいるのかと訝しむような顔をしながらも、
「ええ、構いませんよ。どうぞ」
と席を詰めてくれた。
俺は腹をくくって佐々木の隣りに腰を下ろした。
「それにしても、久し振りだね、キョン」
「そうだな」
「キョンがこんなお嬢様学校に行くって聞いた時は随分驚きもしたし、心配もしたけど、ちゃんと馴染めてるようで安心したよ。さっきの彼女とは随分仲がいいみたいだね」
「あ、ああ…まあ、そうだな」
「今一番仲がいいのかな」
「ああ」
「ふぅん…」
……なんだよ。
意味ありげに呟くな。
「ああ、別に特に深い意味はないんだよ? ただ、キョンが特定の誰か一人と親しくするっていうのが意外に思えただけで」
どういう意味だ。
それだとまるで俺が友人を作れない寂しい人間みたいじゃないか。
「そうじゃないよ」
と佐々木は笑い、
「むしろ、その反対だね。友人を作るのが上手で、いろんな人と仲良くなるから、友情は広く浅く分け与えられて、ひとりに集中的に向けられるなんてことはないと思ってたんだ」
その指摘はある意味正しかった。
何しろ、一樹に向けているのは友情じゃなくて愛情だからな。
だが、俺はそんなことはおくびにも出さず、
「お前の方こそ、どうせ高校でもうまいこと立ち回ってるんだろ。取り巻きくらいいるんじゃないのか?」
「取り巻きっていうのは言いすぎだけどね。何人か親しくさせてもらってるよ。今日も、ついて来るってうるさかったんだけどね、招待券が一枚しかないからって置いてきたんだ」
相変わらずか。
俺が苦笑したところで、上演開始を告げるアナウンスが始まり、俺は舞台へと視線を向けた。
その俺を佐々木が妙に熱心に見つめていることに気がつきもしないくらい、俺が舞台を見つめ続けたのは、そのいささか小難しい劇が気に入ったからではない。
単純に、一樹が男前――女である一樹にこんな言葉を使うのが相応しくないことはわかっているがそれが一番しっくり来る表現だと思うし、一応褒め言葉のつもりなので勘弁してもらいたい――だったせいだ。
さして長くもない劇が終り、俺は席を立った。
「悪いが、佐々木、俺はこれでな」
「次の演目はいいのかい?」
「ああ、俺にも割り当てられた仕事があるからな」
それに、何よりも一樹に会って話をしたい。
きっと、ばかな心配をして無駄に思い悩んでいるだろうから、それが杞憂だと分からせてやりたい。
俺は楽屋の方へ走っていくと、
「一樹はいるか?」
と聞いた。
楽屋の中にはまだ一樹のクラスの人間が大勢残っており、
「古泉さんでしたら、さっき慌てて出て行きましたよ」
と教えてくれた。
「どこに行ったかは分からないか?」
「お役に立てなくてごめんなさい」
「いや、いいんだ。ありがとう」
そう返しながらも俺は既に踵を返していた。
早く一樹を見つけ出さなきゃならん、と足早に講堂を出る。
こんな時、一樹はどこにいるだろう。
いつだったかのように、寮に戻って自分の部屋で泣いているんだろうか。
そう思うだけでずきりと胸が痛むくらいには、俺は一樹が好きだってのに、あいつには通じてないんだろうか。
ずくずくと痛む胸を押さえながら、俺は古泉の姿を捜し求めた。
寮の部屋に俺が自由に入れるようになっている以上、一樹は多分そこに戻ってはいないだろう。
むしろ、見つかっても逃げ出せそうな、それでいてひとりになれる人気のない場所にいる可能性が高い。
だとしたら、
「……裏庭か?」
学校の外と中を隔てる高い塀沿いに、更に高い木々が植えられている少しばかり薄暗い界隈が裏庭と呼ばれている場所だ。
針葉樹のちょっとした林はそれなりに落ち着ける場所であり、一樹と行ったこともある。
人が通わないような場所でもないが、文化祭の日にわざわざ行く人間もいないだろうと言うくらい、大したもののない場所だ。
俺は一樹がそっちの方へ歩いていったという話を聞き、俺は更に足を速め、裏庭に向かった。
その一番外に近い塀のすぐ傍でうずくまっている一樹を見つけて、俺はほっとした。
逃げられたくなくて、出来るだけ静かに近づいて、
「一樹」
と声を掛けると、一樹が身をびくりと竦ませながら振り返った。
「ぇ…ど、どうして……」
その目元が涙でぐしゃぐしゃになっているのを見て、俺は眉を寄せながら一樹に近づいた。
「後でまたって言ったのはお前の方だろ。置いてくなよ」
そうして膝をつき、そっと頭を撫でてやると、驚きで止まっていたらしい一樹の涙がまたもやぼろぼろと零れ始めた。
「ほら、泣くなって…。お前に泣かれるのは苦手なんだ」
「す、いませ…っ、でも、とまら、なくて…」
しゃくり上げながら泣く一樹を抱きしめ、その背中を撫でさすってやる。
「お前のことだから、また妙な勘違いしたんだろ」
返事はなかったが、それはつまり肯定の証だろう。
俺は小さくため息を吐き、
「佐々木はただの友人、それも中学を卒業して以来連絡を取った覚えも皆無なんだが、それでも俺はお前に泣かれなきゃならんのか?」
「…っごめ、ん、なさい……」
いいから泣くなって。
それより、二度も言わんから、ちゃんと聞けよ。
「はい…?」
「俺はな、泣かれるのが嫌だとこんなに強く思うのも生まれて初めてだし、疑われたり不安にさせたりしちまう自分を不甲斐無いと思うのも初めてなんだ。だから、どうすりゃいいのか分からなくて、さっきはああして責めるようなことを言っちまったが、お前を責めたいんじゃない」
むしろ、自分を殴ってやりたいくらいだ。
こんなことを言えば一樹を調子づかせるだけだと分かっていながら、止められないくらいには俺は本当に一樹のことが好きで、誤解されたくない、失いたくないと思っちまっているらしい。
本当に、どうかしている。
しかし、自分がおかしいと知れたところで対処のしようもなければ、そもそも対処するつもりすらないのだから仕方ないだろう。
俺は一樹を抱きしめる腕に力を込めながら、
「どうしたら、お前は不安じゃなくなるんだ? 俺のことを、信じてくれるようになってくれる?」
口から出た声は、一樹に負けないくらい泣きそうに震えていた。
俺の場合不安なんじゃない。
ただ、怖かった。
こんな風に誰かに執着したことなどこれまでになく、しかもその誰かとの関係は血縁とのそれとは違って酷く不安定で儚く、いつなくなるとも知れないのだ。
誰かに断ち切られる可能性だって高い。
そうと分かっていながら溺れる。
溺れながら、感じる一樹の体温や優しさに気分だけは浮上していくのだが、それはきっと錯覚で、実際には更に溺れさせていくだけなのだ。
「ごめんなさい…。僕が、いけないんです。あなたのことを疑う必要なんてないと、分かってるのに、嫉妬してしまう、僕が……」
違うと言っても無駄なんだろう。
だから俺は、黙ったまま一樹にキスをした。
そうすることで、俺がどう思っているか、ちゃんと伝わればいいと。

……つまり、そのまま一樹に押し倒されることなんてのは全く以って予想外のことであり、落ち葉やちぎれた草のせいでぐしゃぐしゃに汚れた衣装を朝倉に咎められた時にはどう言い訳したものかと困り果てることとなった。
幸い、見計らっていたかのようないいタイミングで長門が顔を見せ、朝倉が長門にかかりきりになってくれたおかげでそれ以上追及されることはなかったが、そうじゃなかったら今度こそ一樹との付き合い方に関して考え直させられるところだったろう。
盛大にため息を吐いた俺に、一樹は満足げな顔をして、
「愛してますよ」
と囁いてきやがったが、そんなもので誤魔化されるとは思うなよ。