変わったものと変わらないもの



ハルヒはパソコンを弄り、長門は読書をしている。
いなくなってしまった朝比奈さんに代わって俺がお茶を淹れ、チェスの用意をしながら待っている古泉も含めた全員に、湯飲みを渡す。
確実に変化はあったが、相変わらず居心地の良い空間。
しかし、それを安閑として楽しもうとすることさえ出来ない俺がいることを責められる奴がいるなら出て来い。
今すぐこの立場を変わってやる。
いきなり女になった挙句、元に戻れる見込みも皆無というとんでもない状況に置かれて、そんなことが出来るならな。

「本当に、困りましたね」
と言った古泉は女になって以前よりも破壊力を増した爽やかな笑みを浮かべていた。
相手は古泉だ、と自分に言い聞かせながら、
「本気で困ってるのか?」
「困ってますよ」
それにしては冷静に見える。
「それは、取り乱す余地さえありませんからね。あなただって、落ち着いて見えますよ。少なくとも、昨日よりは」
昨日、と言われ俺は思わず真っ赤になった。
目が覚めるなり女になってしまっていた俺はそれに付け加えて、女になっている古泉に押し倒されたり告白されたりよりにもよってその状態で泣き出したりしてしまったのだ。
思い出すだけで憤死しそうだ。
それに加えて、心細さから泊まることを強要した上、今朝は今朝で女子の制服を着るためにあれやこれやと手を借りてしまった。
俺の場合、胸がろくにないせいでスポーツブラで済んだのはある意味幸いだった。
古泉はげっそりとでも言えばいいような表情でブラジャーを着けていたからな。
今朝のことを思えば、古泉に泊まってもらってよかったのかも知れん。
夜中に手出しされることもなかったしな。
「ところで、返事はいただけないんですか?」
「返事?」
「昨日、僕の気持ちはお伝えしたつもりなのですが、あなたにお返事をいただけなかったことが心残りだったんです」
そう笑った古泉はずいっと顔を近づけてきた。
いつものこと、と言えばその通りなのだが、まだ見慣れていないその顔に、びくっと体が竦む。
「ねぇ、聞かせてくださいよ」
「こ、こんなところでする話じゃないだろ…」
「そうですか?」
お前、ハルヒの力がなくなったからと思って調子に乗るなよ…!
俺が唇を噛みながら古泉を睨みつけると、古泉はにっこりと微笑み、俺の手を握り締めた。
「頷いて下さったらそれでいいんですよ?」
「待て、俺に拒否権はないのか?」
「どうでしょう?」
と古泉が笑った時、ハルヒが、
「あんたたち何やってんのよ」
と呆れたような声で言った。
何と言われても答えようがない。
が、古泉は平然と、
「ちょっとした確認です。昨日、彼女に告白したものですから」
などとのたまった。
「なっ…!?」
それ以上言葉が出ず、絶句した俺と古泉をハルヒは、
「ふーん」
といたって落ち着いた様子で見比べた後、
「やっぱり、古泉さんってキョンのことが好きだったの?」
待て、やっぱりって何だ。
「前からそうじゃないかと思ってたのよね。だって、あたしも有希もいるのに、キョンとばっかり一緒にいるでしょ? 何かあるとしたらそれしかないんじゃないの?」
俺と古泉が男のままだったら、それは男同士でつるむ方が気がラクだからだと言えただろうに、今の状況ではそれも言えない。
うまい反論も思いつけずに黙り込んだ俺を他所に、古泉はニコニコと上機嫌で、
「ええ、そうだったんです。涼宮さん、SOS団内での恋愛はやはり禁止でしょうか?」
「別にいいわよ、それくらい。あたしは別にそこまで団員のプライベートに踏み込むつもりなんてないから。好きにしちゃいなさい」
「さすがは涼宮さんですね。寛容なお言葉、ありがとうございます」
ハルヒの力がなくなっている以上、そんな見え透いたお追従を言う必要などないと思うのだが、長年の習慣か、古泉はつらつらとそう述べた後、俺の手を握りなおした。
「ここで話すのがご不満でしたら、二人きりになれる場所に行くとしましょうか。ねぇ?」
ねぇ、じゃねえ!
俺は行かんぞ。
「いいじゃないの、キョン。それとも何? あたしたちに見せ付けたいの?」
「んなわけあるか」
「じゃ、いってらっしゃい。あたしはちょっと考え事したいから」
つまり、邪魔だから出てけ、と、そういうことか。
俺はため息を吐きながら、古泉に連れられて部室を出た。
古泉が向かった先は中館の屋上で、ここなら昨日のように不埒な行動に出られることもないだろうと俺も妥協を示した。
「やはりだめでしたね」
と古泉は口にしたが、俺には何のことだか分からなかった。
古泉の話が分かり辛い理由のひとつには、そんな風にして相手に通じていないというのに、主語や目的語を思い切り省いたり、曖昧な状態にしたりするというものがあると思うのだが、本人は理解してないんだろうな。
「何の話だ」
「涼宮さんを刺激したら、もしかして元に戻れるかもしれないと思ったのですが、だめだったようです。刺激として弱かったということも考えられますが、それ以上に彼女の感情の揺らぎも何も感じられませんでした。彼女の能力が失われたままであることに、間違いはないようです」
そういう話か。
「お前、そういうことを考えてあんなことをわざと言ったのか?」
「半分はその通りです。僕としても、戻れるものであれば元に戻りたいですからね。女性の体であるということもさることながら、周囲から女性扱いされるということがどうにも歯がゆくてならないんですよ」
「俺は別に女扱いなんてされないがな」
「それは、あなただからでしょう」
どういう意味だ。
俺の胸が真平らだからだという意味なら一発殴るぞ。
「違いますよ」
と古泉は笑いながら、
「あなたが元々男性でも女性でも分け隔てなく接する人で、かつ、たとえ女性になろうともあなたの振舞いようが変わらない以上、周囲も変わらないということでしょう」
「それならお前も前と同じようにしてればいいんじゃないのか?」
「同じようにしているつもりですよ。しかしながら、僕のこのような態度と言うものは、どうやら女性として行うと女性らしく見えてしまうようでして。…クラスの性質上、男性が多い中でそのような立場になっている現状には、登校一日目にして既にいささか辟易させられているんです」
そう言われ、想像して見たのだが、それは確かにおぞましい。
自分としては男だというのに周りの男に女として見られ、そのように扱われるというのは多分に気色悪いものだろう。
考えるだけでもぞっとする。
思わず同情する気持ちになりかけたところで、
「まあ、それはそれで便利だからいいんですけどね」
さらっと言われ、後悔した。
本当にふてぶてしいなこいつは。
「で、さっき半分はって言ったよな? もう半分の理由はなんだ?」
睨みあげながらそう聞くと、古泉は楽しげに、
「そんな目で見ないでくださいよ。照れちゃいますから」
「…殴っていいか?」
「すいません。真面目に言います」
早くしろ。
「残り半分の理由は単純なものですよ。……あなたの返事が聞きたかった、それだけのことです」
「それだけって…お前……」
「あなたは、誰かに告白したことはありますか?」
「俺にそんな経験があるわけないだろ」
「なら、分からないかもしれませんね。……自分の気持ちを人に告げることは酷く勇気の要ることで、返事を待つ身は辛いものなんですよ。たとえるなら、そうですね。…あなたに、心臓を握られているようなものです。あなたの返事次第で、僕はどうとでもなってしまうんですよ」
「それは脅しか何かか?」
「そういうつもりではありませんよ。正直に申し上げたまでです」
それで、と言いながら古泉は俺に顔を近づけてくると、
「返事を聞かせてくださいませんか?」
「なんで、そんな無駄に顔を近づけてくるんだ」
「逃げないでください。……ねぇ、お願いします。断るなら断るで、それでいいんですから。……お願い、します」
そんな風に泣きそうな顔をするのは、ずるいだろう。
以前の状態ならどうってことない、というかむしろ気色悪いとしか言いようがないのだが、今の状態でそれは卑怯と言ってもいいくらいだろう。
涙は女の武器と言うが、それで攻撃される側としては反撃のしようもなくて参る。
参るからと言って頷くのもどうかと思うのだが、断ったら断ったで泣かれそうで困る。
本当にハルヒは、俺にどうしろって言うんだ。
「…ねぇ」
古泉が俺を逃がさないようにか、強く抱きしめてくる。
女の子特有のと言っていいだろう甘い匂いが、初めて嗅ぐものでないことが無性に恥ずかしく感じられる。
触れる胸の柔らかさに、思考能力まで奪われそうだ。
…まさか、そういう作戦か!?
「あなたが、好きなんです。あなたは……僕のことが、お嫌いですか?」
「……嫌いじゃ、ない、が…」
「じゃあ、好きですか?」
「…そこで頷いたらどうなるんだ?」
「それはもちろん、」
「やっぱいい、言うな」
なんとなく予想はつく。
俺はため息を吐くと、
「……お前は、その…本当に、俺が好きなのか?」
「そうですよ」
「俺が女になってるからとかじゃないんだよな…」
「ええ、あなたが男性のままだったとしても、今頃同じことを告げていたと思いますよ。涼宮さんが力を失った以上、遠慮は必要ないでしょうからね」
それなら俺は古泉が女になっていてよかったとでも思うべきなんだろうか。
男に迫られるなんぞ考えるだけでぞっとする。
それに、男の古泉には腕力でも負けるだろうから、下手すりゃ押し倒されてそのまま、という恐ろしい展開が待っていたかも知れん。
ハルヒに感謝しよう。
「あなたは…やっぱり僕なんかでは、嫌ですか?」
「いや、お前だからどうとかいう問題じゃなくてだな…」
「僕じゃ、あなたに相応しくないってことは、分かってるんです。それでも、……好き、なんです…。あなたの、ことが、ずっと…っく、ずっと、好きなんです……」
とうとう泣き出してしまった古泉に、俺はため息を吐いた。
俺にどうしろって言うんだ。
腹をくくって付き合えとでも言うのか?
しかし、古泉と付き合うとか、考えるだけでぞっとするんだが。
……それとも、あれか。
いっそのことこれは古泉じゃないと思えばいいのか?
俺は泣きじゃくっている古泉を見つめなおしてみた。
顔は可愛いし、胸はでかくて好みといえば好みなんだが、だからいいかと言われるとそうとは言えんだろう。
それは相手が古泉だからというわけじゃなく、付き合うとか付き合わないとかいうのは、そんなもので決めるものじゃないと思うからだ。
人柄とか、相性とか、そういうものだろ、重要なのは。
青臭いと笑いたければ笑え。
俺はそう思うというだけの話だ。
で、そうなると古泉はどうなんだ。
泣いている古泉の背中を撫でてやりながら、俺は考え込んだ。
古泉には何度も世話になっている。
だから、悪い奴じゃないと思っていたんだが、いきなり押し倒された身としてはなんとも言いがたい。
それでも、俺はこいつを嫌いになれなかったんだよな。
そこまで俺はこいつに愛着が湧いてたんだろうか。
確かに付き合いもそこそこ長いし、SOS団内で二人だけの男同士としてゲームをしたりして過ごすことも多かったが、それにしたって、あんな目に遭わされたんだから、もっと嫌ったっていいだろう。
……なんか、おかしくないか。
そもそも、どうして俺は自分を襲ってきたようなケダモノみたいな奴に対してここまで真剣に考え、かつなだめようと背中を撫でてやったりしてるんだ。
首を傾げながら古泉の顔をのぞきこむと、涙に濡れた古泉の目が見えた。
それを綺麗と思ったのはまだ許せる。
古泉の顔が綺麗だってのは、古泉が男だった時から認めていたことだからな。
だが、それにどきっとしたなんてことは口が裂けても言えやしねぇ。
「あ、の……?」
震える涙声で言った古泉から、俺はばっと体を離し、慌ててまくし立てた。
「と、とりあえず今は、恋人になるとかそういうことは全く以って考えられんが、……その、…いきなり押し倒してきたりとか、しないんだったら……考えて、やらんでも、……ない…」
段々小さくなったそれを、古泉はきちんと聞き取ってくれたらしい。
涙を拭わないまま、嬉しそうに微笑み、
「はい、ありがとうございます」
満足そうに言った。
「…お前、それでいいのか?」
拍子抜けしながらそう問うと、満面の笑みで、
「ええ。あなたがそんなことをおっしゃるということは、多少は望みがあるということでしょうから。ね?」
と返された。
「…知るか」
俺はくるりと古泉に背を向けて階段へ向かった。
とりあえずトイレに行きたい。
早急に頭を冷やす必要があるからな。
俺は階段を駆け下りながら、真っ赤になった顔を誰にも見られないようにと祈った。