終りと始まり



ハルヒが力を失った。
情報統合思念体は自立進化の可能性を見出し、長門はただの女の子になった。
朝比奈さんは俺と古泉と長門以外の全てから自分に関する記憶と記録とを消して未来へと帰っていった。
これで大団円、何の問題もなく、いささか退屈にすら感じられる、それでも平凡な楽しみに満ちた日々が続く――はずだったのだが、そうはいかなかった。
俺は、いや、俺たちは、これから一体どうすればいいんだろうか。

満足のまま眠りについた翌朝、目を覚ました俺は、自分に起きた変化に愕然としていた。
まず、俺を起こしにきた妹が俺のことを、
「キョンちゃん」
と呼んだ。
「誰がキョンちゃんだ」
と抗議した声も高くなっていて、とてもじゃないが自分の声とは思えなかった。
怖々と胸に手を当てると、ささやかながら弾力のある感触があった。
決定的な変化についてはもはや言うまでもない。

俺は、女になっていた。

なんで、と頭を悩ませるのは当然だろう。
ハルヒがあのとんでも能力を持っていた時ならともかく、それは確かに失われたはずだ。
それとも、それが間違っていたとでも言うのだろうか。
いや、たとえハルヒが一夜にして再び力を取り戻していたとしても、何故俺が女になることをどうして望むんだ。
かと言って、他の要素も思いつかない。
こんなことが出来そうなのは長門の仲間の宇宙人くらいのものだろうが、情報統合思念体が満足したなら、わざわざ俺に手出しをしてくるはずもない。
それに、長門以外の連中は引き上げたはずだ。
なら、何で。
しかも驚くべきことに、俺に対する認識まで変えられているのだ。
そこまで徹底される理由が分からん。
タンスを開ければ女子の制服や、ボーイッシュではあるものの明らかに女物の服ばかりが出てくる。
下着については言うまでもない。
全く、どうなってるんだ。
今日は平日だが、高校に行く気になれるはずがないが、そのあたりの検討はまだしなくていい。
今必要なことは別のことだ。
俺は頼みの綱であるところの長門に電話を掛けた。
「もしもし、長門か? 俺だ」
と言っても声が変わっている状態では分からないだろうが、と思った俺に、長門は心底不思議そうな声で言った。
『……どうかした?』
――まさか、長門の認識まで変えられているのか?
「長門、…お前、俺の声が変わってると思わないのか?」
『あなたはいつも通りに思える。でも、あなたがそう言うということは、その認識が間違っていると推測される。何が起こったの?』
「……目が覚めたら、女になってた」
『私の認識の中では、あなたは元々女性』
やっぱりか、畜生。
「俺としては違うんだ。俺は生まれてからずっと男だった。ハルヒとは教室の席順もいつも前後で並んでた」
『それは同じ。あなたのクラスの席順は、列ごとに男女別に並べられている』
そんなところまで変えて、いったいハルヒはどうするつもりなんだ。
『あなたの言葉を疑うわけではない。私はただ、私の認識していることについて話しているだけ』
ああ、それは分かる。
お前に悪気がないってことも。
だが、そこまで徹底されてるということに、俺が打ちのめされているだけだ。
「長門…なんとか、出来ない…よな」
以前の長門ならともかく、今の長門はただの女子高生だ。
『ごめんなさい。どうすればいいのか、また、どうにかすればその状況が変わるのかさえ、私には分からない。何も、出来ない。……ごめんなさい』
「お前が悪いんじゃない」
そう言いながらも、俺はそれ以上長門をフォローしてやることが出来なかった。
それくらい、ショックだった。
俺はもう、男には戻れないのかもしれない。
陰鬱な表情で起き出してきた上、朝食にもろくに手をつけない俺を、お袋は心配したらしい。
俺が言い出す前に、
「今日は休んだら?」
と言ってきた。
俺はありがたくその申し出を受けることにして、部屋に引きこもった。
本当に、どうすりゃいいんだ。
頭を抱えていると、携帯が鳴った。
誰だ、と見れば古泉からだった。
「もしもし?」
口を開いて言葉を発するのも嫌なくらいなのだが、電話では仕方がない。
そんなことを思いながら携帯に耳を引っ付けると、
『あ……僕です』
と聞き慣れない声がした。
「……えぇと、古泉、だよ…な?」
『そうです。…よかった。あなたまで僕が元から女性だと認識していたらどうしようかと思いましたよ』
口調も小さな含み笑いも、明らかに古泉のそれなのだが、声質が見事に違っていた。
俺なんかよりよっぽど女らしい声だ。
「お前まで、女になってんのか…!?」
『そうなんです。困りましたね』
困りましたという割に、余り困っているように聞こえない。
『そんなことはありませんよ。これでも、途方に暮れてます。機関どころか、長門さんまで僕のことを女性だと認識してくださってますからね』
「ちなみにお前は、俺が本当は男だって分かってんだろうな?」
『勿論です。あなたも僕と同じ状況に置かれていると長門さんにお聞きして、こうして電話させていただいたんですよ』
「そうか」
ほっとしたのは、一人でも、俺ではなく世界の方が変わっちまったんだと分かってくれる人間がいたからだろう。
「お前、今日登校するのか?」
『あなた次第というところでしょうか。あなたはどうなさるんです?』
「欠席だ。…悪いが、うちに来てくれるか?」
『分かりました。すぐに向かいます』
「ああ、なんとか善後策を協議しよう」
俺の言葉に、古泉は何故か答えず、
『それでは』
と言って電話を切った。
それから30分と経たないうちに、古泉がうちにやってきた。
妹は既に出て行き、お袋ももう仕事に行っている。
家に残っているのは俺ひとりだ。
姿を見せた古泉は、髪も長く伸び、朝比奈さん(大)を思わせるような大人っぽさを漂わせていた。
「…古泉、だよな?」
「そうですよ」
と苦笑した古泉は、
「あなたは随分可愛らしくなりましたね」
「お前はえらく美人だな」
「ありがとうございます」
笑ってそう答えるのはマニュアルでもあるからなのか?
それとも、開き直っているんだろうか。
古泉を自分の部屋に連れて行き、向かい合うようにして床に腰を下ろした俺は、今日何度目とも分からない深いため息を吐いた。
「なんで、こんなことになったんだと思う?」
俺が問うと、古泉は簡潔に答えた。
「涼宮さんがそう望んだのでしょう。おそらく、力を失う、その最後の時に」
最後の最後になんでこんなけったいなことを望んだりするんだあいつは。
あきれ返って物も言えん。
「おそらく、涼宮さんは思ったのでしょうね」
苦笑しながら、古泉は言った。
「どうやらあなたと付き合うことは出来ない。しかしながら、あなたを誰かに独占されたくないと」
それでなんで女にされなきゃならんのだ。
「そうしたら、大抵の女性はあなたを恋愛対象として見たりはしないでしょう?」
男ならいいとでも言うのか。
「男なんて、精神的に男性であるあなたが近づけるはずもないじゃありませんか。つまり、あなたはこうして女性になったことで、法的に誰かのものになることはなくなったわけです」
法だの何だの、そんなものに、ハルヒがこだわるとでも言うのか?
「彼女はああ見えて、女性らしい人ですよ。可愛らしいものではありませんか」
それに、お前の推測には穴がある。
その理屈で行けば、お前まで女性化する必要はないだろうが。
「そうですか? 必要だったと思いますよ」
「は?」
声を上げた俺を、古泉が床に押し倒した。
「おい!?」
「あなただけが女性になり、僕が男のままだったなら、まず間違いなく、僕はあなたを押し倒して、既成事実を作ってましたよ」
「女になってても押し倒してるだろうが。というかお前、本気で何考えてんだ!?」
「あなたのことだけを」
そう笑った古泉は、女になっているだけにたちが悪かった。
綺麗な笑みに、胸がざわつく。
「僕はずっと、あなたのことが好きでしたよ。全てが終ったので、振られる覚悟であなたに告白しようと思っていた矢先に、これですからね。肩透かしを食らわされたような気分にもなりはしましたが、あなたと同じ立場に置かれたということはむしろ光栄かもしれません」
俺のほぼ平坦な胸に、古泉の豊満な胸が重なる。
柔らかい、ってそうじゃない!
「退けって」
「退きません」
そう言った唇が俺の耳に触れ、体がびくりと震えた。
「ねえ、考えてみてくださいよ。あなたが本来男性であるということを知っているのも、いきなり男性から女性に変わってしまったあなたの気持ちを、同じ立場で理解できるのも、僕だけなんです」
その言葉に、さっき感じた安堵を思い出す。
「あなたと同じ不安を、僕も感じているんですよ。もう、戻れないのかもしれない。誰も彼もが自分のことをもともと女性だったと認識していて、もしかすると自分の認識の方が間違っているんじゃないか。そんなことを、あなたも思っているんでしょう?」
「…お前も、思ってんのか?」
「ええ。何しろ、もう情報統合思念体に働きかけることも、涼宮さんの力によって元に戻すことも出来ませんからね。涼宮さんの力が本当に失われたということは、彼女によって力を得ていた僕には、はっきりと感じられますし」
そう言った古泉の手が、かすかに震えていることに気がついた。
「…すみません、しばらくこのまま、抱きしめさせてください。……僕も、怖いんです。どうなってしまうのか、分からなくて…」
「……俺もだ」
言いながら、俺は怖々と古泉の背中に腕を回した。
細くて頼りない体。
長い髪が腕に絡みつく。
俺も古泉も、本当に女になってしまったんだと、改めて感じた。
視界が歪み、目の端から水滴が零れだす。
こんなに簡単に泣いてしまうとは、精神まで女になっちまっているんだろうか。
それとも、この恐怖は自分で思っている以上にでかいものなんだろうか。
涙が俺の目から伝い落ちるのを見た古泉は、
「…泣いて、いいですよ」
と言いながらその一粒をぺろりと舐め取った。
くすぐったいのに優しいそれに、余計に涙が零れていく。
それはただ、俺を慰めるだけの行為のはずなのに、それ以上に古泉が落ち着きを取り戻していくのが分かった。
同じ立場に置かれた者同士、傷を舐めあい、隙間を埋め合うだけでも、朝の恐慌状態よりはずっとマシになったように思えた。
「友人としてでも、いいんです。せめて…あなたの側に、いさせてください」
震える声でそう言った古泉に、俺は静かに頷いた。