まだ夏休み真っ只中のはずなのだが、俺はどうしても登校しなくてはならなかった。 世の進学校が、補習だなんだと言って、実質的な夏休みがほとんどないような状況を見れば、うちなど随分と恵まれたものだと思うのだが、それでもこの暑い盛りに登校するのは面倒なことこの上ない。 げんなりしながらチャリを漕ぎ、高校へ向かった。 父親は車を手配すると言うのだが、俺は未だに耳を貸さない。 車で送り迎えなんてしてもらうのは性に合わないし、そんな金があるならもっと有用なことに使ってもらいたい。 それに、いくらお嬢様学校とは言っても、かなり充実した奨学金制度につられた一般人も少ないとはいえいるわけだし、そうであれば自転車通学をするのも俺ひとりではないわけだ。 それでも、かなりがら空きの自転車置き場にチャリを止め、久し振りに見るやけに壮麗な校舎を見上げた。 歴史があるんだかなんだか知らないが、地震でも来たら即崩れ落ちそうだな。 大体、石造りというのは地震の多い日本には向かない造りじゃないのか? そんなことをぶつぶつ呟いていると、 「問題ない。耐震設備は整っている」 と長門の声が背後からした。 振り向くと、長門がいつものあの表情に乏しい顔で突っ立っていた。 汗ひとつかいてないのを見ると、長門にまつわるアンドロイド疑惑に耳を傾けてしまいそうになる。 「おはよう、長門」 「…おはよう」 長門は俺よりひとつ年上で、つまりは上級生なのだが、入学してすぐに顔を合わせるなり、 「敬語は使わなくていい。名前も、呼び捨てで構わない」 と言われた。 俺としても、そう言ってもらえるのはありがたいし、長門を見ていると上級生として尊敬する以上に、そのあまりの生活能力の乏しさから色々と世話を焼きたくなってしまうので、気がつくとそれを受容していたというわけだ。 「登校日ってのも面倒だよな」 俺が言うと、長門はかすかに首を振り、 「平気」 「そうか?」 「…会えるから」 「ああ、そうか」 毎日顔を合わせてたのに一ヶ月会ってない状態なんだから、友達と会いたくもなる頃だよな。 「あなたは違う?」 問われて、俺は少し考え込んだ。 どうなんだろうな。 会いたいような気もするし、会わなくても大丈夫だとも思う。 何しろ、俺が普段付き合っているような連中といえば、たとえ地球が滅亡しても生き残りそうなくらいイイ性格をした奴ばかり――長門と朝比奈さんは除く――だからな。 「…そうだな、お前と朝比奈さんには会っておきたいと思ってたかもしれん」 「……そう」 「長門は休み中、何して過ごしてるんだ?」 「…読書」 そんな風に話しながら教室へ向かい、途中で長門と分かれた。 休み中に登校して何をするかというと、休み中に何か起こってないかのチェックを教師がしたいだけらしく、特にすることもない。 ただちょっと顔を出して、二学期の予定を確認するとかその程度のことだ。 やれやれ、こういうところが面倒なんだよな、お嬢様学校は。 用が終ったのならさっさと帰ろうか、と思ったはずなのに、俺は気がつくと寮に足を向けていた。 古泉が休み中も寮にいると聞いていたせいもあるし、その古泉の様子が少しおかしいとハルヒに聞かされたからでもある。 「なんていうか、思い詰めたような顔しちゃってるのよ。王子様があれじゃ、ちゃんと役目を果たせないでしょ? だから、あんたが様子を見に行って上げて、場合によっては慰めてあげて」 「何で俺なんだ?」 「だって、古泉さんはあんたのことが好きなんでしょ。それならあんたが行った方が喜ぶに決まってるじゃない」 「好きって……」 ハルヒは分かってて言ってるのか? それとも、ただの憧れという認識なんだろうか。 ハルヒはニッと笑って、 「古泉さんみたいな純情な子、泣かすんじゃないわよ」 既に泣かせたとは口が裂けても言えなかった。 そんなわけで俺は寮に向かう。 学生証があるから、入るだけは入れるのだが、さて、古泉が部屋にいてくれるだろうか。 いたところで、俺を入れてくれるか分からんな。 何しろ、この前は――と思い出すだけで、顔が赤くなる。 古泉の部屋に行くまでに、落ち着いてくれるといいんだが。 ドアの前に立ち、インターフォンのボタンを押す。 部屋の中で小さく物音がしたから、いるのはいるんだろう。 が、返事がない。 「……古泉? いるんだろ?」 インターフォンのカメラを睨みながら、ドアを軽く叩く。 「こーいーずーみー」 「か」 か? 「帰って、ください」 「は?」 なんでだよ。 俺はまだ用件も何も言ってないんだが。 「あなたに会いたくないんです」 ズキンとどこかが痛んだ。 どこかで妙なものでも食べたか? 首を傾げつつ、 「会いたくないってなんでだよ」 「会いたくないから会いたくないんです!」 泣きそうな声で叫ばれた。 「……よし、古泉。そこを動くなよ」 「…はっ?」 「今から寮母さんに頼んで開けてもらう」 「…無駄ですよ。警備会社の方にも連絡しなきゃなりませんから、そんなこと軽々しくしてくれません」 「そうかい。まあ何時間かかっても構わん。ハルヒや鶴屋さんに頼ってでも、開けさせてやるからそこで待ってろ」 じゃあちょっと行ってくる、と俺が背を向けたところで、ドアが開いた。 笑いながら振り向くと、古泉がため息を吐きながら、 「あなたには勝てませんね…」 と呟いた。 「ならさっさと中に入れろよ」 空調がかかっているとはいえ、流石に廊下は暑いんだ。 「…どうぞ」 苦笑混じりに古泉が道を譲り、俺は室内に足を踏み入れたのだが、 「…寒っ!」 思わず声を上げたのも当然だろう。 冷房を効かせ過ぎた古泉の部屋は、鳥肌が立つほど寒くなってたんだからな。 「え、そんなに寒いですか?」 「人に聞くんじゃねえ! 明らかに寒すぎるだろ」 女の子が体冷やしてどうすんだよ! 「リモコンは?」 「えっと、その隅に…」 古泉が指差したテーブルの端からリモコンを取り上げ、電源を切った。 ついでに窓際に走り、窓を開けてやる。 入り込んできた熱風がいっそ心地いいくらいだ。 「暑いですよ」 「やかましい。不健康にもほどがある」 そう言いながら俺は座る場所を探そうとして気がついた。 前に来た時より片付いている。 というか、 「物が減ってないか?」 「……仕事が手につかないものですから」 そう古泉は嘆息した。 「服を作る気力どころか、アイディアさえ湧かないんです」 それって大変じゃないのか? あんなに楽しそうに服を作ってたのに、それが出来なくなるなんて、何があったんだ? 「…あなたのせいですよ」 「……俺のせい?」 恨みがましい顔でそんなことを言われても、心当たりがないんだが…。 もしかして、あのどさくさ紛れの告白に何の返事も寄越さなかったのがまずかったんだろうか。 だが、古泉の口から出たのは、意外すぎる言葉だった。 「あなた…彼氏がいたんですね」 「………ちょっと待て。…何だって?」 自慢じゃないが俺は生まれてこの方、彼氏なんつうもんが出来たことは一度たりともないぞ。 何しろ、女として認識されないことの方が多くてな。 よっぽどの物好きでも俺には声を掛けないだろうと専らの評判だ。 それなのになんでそんなことを言い出すんだ。 「隠さなくてもいいんですよ。…あなたは魅力的な人だから、それくらい、当然だと、思いますし…」 古泉の目に涙が滲む。 「泣くなって。まず誤解を解こう」 「何が誤解ですか…っ!」 「俺に彼氏なんかいない」 無論、彼女もな。 「嘘吐かないでください! 僕、見たんですよ…」 見たって何を。 「男の方と手を繋いで歩いてたでしょう?」 「……男と手を繋いで…?」 そんな覚えはないんだが、それは間違いなく俺なのか? 「僕があなたを見間違えるはずなんてありません」 凄い自信だな、おい。 「…あなたのことですから」 そう古泉は切なげに目を伏せた。 その目の端から、涙が流れ落ちていく。 ……この古泉を可愛いと判断するか、それともキモイと判断するかで、この後の対応も自ずから決まるような気がするんだが、俺としてはどちらも選びかねる。 可愛いというには余りにも哀れっぽく、キモイと一刀両断するには儚過ぎた。 それにしたって、男と手を繋いでだと? 「……あ」 思い出した。 「思い出したって……」 呆れるような顔をした古泉に、俺は説明する。 古泉が見たのは多分谷口だ。 「そいつは俺の中学の頃からの友人でな。俺のことを女として認識していないどころか俺を連れて女の子をナンパしたりするような奴だぞ」 よって彼氏ではない。 手を繋いでいたとお前が思ったのも、実際には俺があいつを引っ張って行っていただけだ。 「本当ですか?」 「本当だ。嘘吐いてどうすんだよ」 言いながら、俺は自分で自分に首を傾げた。 何で俺はこんな必死になって弁解してるんだ。 古泉に誤解されたところで、古泉は言触らしたりしないだろう。 ただひとり落ち込むだけで。 だが、古泉に落ち込んで欲しくない、泣いて欲しくないとも思う。 いつもみたいに笑ってろよ。 泣きそうな顔なんかしてるとこっちが落ち着かないんだよ。 頼むから。 「でも、相手の方もそう思ってるとは限らないじゃないですか。あなたのことを自分の彼女だと思ってるかも…」 「有り得んな」 そう切り捨てても、古泉は納得出来ないのかぼろぼろと涙を零し続ける。 だから、いい加減泣き止めって。 「…っ」 古泉が悲鳴染みた小さな声を上げたのは、俺が古泉を抱きしめたからだ。 「な…」 驚いているらしい古泉には悪いが、理由を聞かれても俺には答えられんぞ。 自分でも、自分の行動に驚いているからな。 ただ、古泉に泣き止んで欲しかっただけなんだ。 ――どうして俺は、そんなことを思うんだろうな。 必死になって誤解を解こうとしたり、古泉を心配したり、抱きしめたり……。 これじゃあまるで、俺も古泉が好きみたいじゃないか。 それとも俺は、本当に古泉が好きなのか? 至近距離にある古泉の顔を見つめる。 それだけで赤くなるのが可愛いと思う。 生活能力のあまりのなさに、面倒をみてやりたいとも思う。 キモイとか何とか言いながら、それでも思いっきり突き放すことは出来ないでいる。 それってつまり、そういうことじゃないのか? ……ぐあ、最悪だろ。 どれだけ鈍いんだ。 せめて告白された段階で気がつけよ! いや、それ以前に気付いてたっていいくらいだ。 服を作ってきてくれた時だって、口で言うほど嫌がってなかったどころか、本当は結構喜んでたくせに、照れくさくてありがとうの一言も言えず終いだった。 貰いすぎて余ったプレゼントを片付けるのを嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれたのも、嬉しかった。 俺が貰ったプレゼントを一緒に食ったりするなんて、古泉にしてみれば嫌な作業と言っていいだろうに、古泉は本当に楽しそうにしていた。 それが俺と一緒だからなのかと思うだけでこんなにも嬉しくてたまらなくなるくせに、何で今まで気づかなかったんだよ。 ……告白されたのを断った時、どうしようもなく自己嫌悪に陥っていた俺を叱ってくれた古泉を、頼もしいとさえ思った。 ――本当に馬鹿だ、大馬鹿だ。 思わず小さく笑うと、腕の中の古泉が不安そうに俺を見つめた。 「あの…?」 「古泉、いいか、よく聞けよ」 言いながら俺は古泉を見上げた。 「俺が好きなのは――お前だ」 俺の言った言葉が理解出来ないとでも言うのか、ぽかんとしている古泉を強く抱きしめる。 手を伸ばして頭を引き寄せ、キスをすると、古泉が真っ赤になった。 「…なっ、あっ、…い、今の…っ」 うろたえる古泉に、俺は笑顔で聞いてやった。 「返事は?」 |