悩めるプリンシペ



「キョンちゃん起きて! 今日お出かけするんでしょ?」
夏休みだというのに妹に叩き起こされた俺は鈍い頭で携帯を開いた。
スケジュールを覗くと、確かに予定が入っている。
相手が相手だから多少遅れたところで構わんと思うのだが、それでも久し振りに会うんだから、一応ちゃんとしてやるべきか。
俺はあくびをしながら起き上がり、着替えを物色する。
めかしこむ必要などミジンコの体重分ほどもないので、いつも通り、シャツにズボンというラフなスタイルだ。
適当に朝食をとると、寝癖さえろくに直しもせず、家を出た。
待ち合わせ場所まではチャリで向かう。
駅前近くの駐輪場に止め、待ち合わせ場所の駅前の広場に行くと、
「おっせぇぞ、キョン」
と言われた。
「谷口、お前に人のことが言えるのか?」
大体、いつもならお前の方が遅いだろうが。
「俺だって変わるんだよ。それに、呼び出しておいて待たせたら、お前、さっさと帰るだろ」
まあな。
というか、正直に言えよ。
どうせ何か下心があるからわざわざお前のおごりでって呼び出したんだろ。
「お見通しかよ」
と笑った谷口は、
「女子校ってどんななんだ? 話くらい聞かせろよ」
「ついでに可愛い子でも紹介しろって言うんだろ」
「まあな」
「先に言っておくが、それは無理だぞ」
「なんでだよ?」
「あんな良家のお嬢様方にお前みたいな一般市民を紹介出来ると思うか?」
それに多分、お前の方も大変だと思うぞ。
「なんだよ、会わなきゃ分からないだろ」
「会わなくても分かる。お嬢様ってのは本当に異星人だった」
「なんだそりゃ」
「まあ、ちゃんと聞かせてやるから、どこか入ろうぜ。お前のおごりだから、まともな喫茶店にでも」
「げ、ファーストフードで済ませろよ」
「いやなこった」
笑いながら歩きだした俺は、谷口を振り返ると、
「何にせよ、久し振りだな、谷口」
「ああ。誰かさんが薄情なせいでな」
「薄情とは何だ、薄情とは」
「だって薄情だろうが。同じ高校に行くとばかり思ってたら土壇場で進路変更しやがるし、休みの日くらい会えるかと思ってたら全然出てこねえし」
「進路変更は俺のせいじゃなくて親父のせいだ。それから、休日については、それくらい寝て過ごさんと身が持たん」
「なんでだよ。お嬢様学校なんだろ。そんな厳しいことがあるとも思えねえぞ」
「それについても聞かせてやるから、コーヒーくらい飲ませろ」
「ちっ、しゃあねえなあ」
ぶつぶつ言う谷口を引っ張って、近くの喫茶店に入った俺は、バッグの中から保冷バッグに入れたプリンを引っ張り出すと、谷口に押し付けた。
「なんだ?」
「プリンだ」
「キョンが作ったのか?」
と谷口は顔を輝かせたが、首を振ってやる。
「もらい物だ。傷みやすいからと思ってな。まあ、聞け」
と俺はこの春以来俺の周辺に巻き起こされてきた椿事の数々について語ってやった。
王子様とかいう妙な役割のことや、それをやっている妙な奴等のこと。
それからプレゼントを貢がれている状況について話してやると、
「お前、昔っから女にはもてたからなぁ」
と妙に感慨深く呟かれた。
「なんだと?」
「だってそうだろ。中学の時も、女の子と二ケツして塾に行ってたじゃねえか」
「単純に、同じ塾だったからだぞ」
「それにしちゃ、不自然に体を密着させてただろ。あいつ、絶対お前に気があったって」
「プリン、返してもらうぞ」
俺が脅すと谷口は慌ててカバンの中へそれを仕舞った。
俺はため息を吐きつつ、
「で、俺と佐々木のことをそうやって邪推していた谷口としてはどう思うんだ? 同性愛って」
「あん? どうしたんだ? まさか告白されたのか?」
「そのまさかだ」
「ぶはっ」
谷口が勢いよく噴出した。
唾が顔にかかったぞ、てめぇ。
「すまん。しかし、……マジか?」
「大マジだ」
それもふたりに、と言うと谷口がなんとも言いがたく羨ましがるような顔をした。
お前、本当に俺のこと女だって認識してないな。
「キョンはキョンだからな」
認めやがった。
「で、どうしたんだ? 断ったのか?」
「片方はな。もう片方は……保留だ」
「保留? キョンらしくねえな。よっぽど美人なのか?」
「美人は美人だな。成績もいいし、運動神経もいい。才能もあるらしくって、デザイナーをやってるとか言ってたが」
「そんな出来た人間がキョンに惚れるのか」
呆れたように呟いた谷口に、俺も頷き、
「俺もそこが分からん」
「いや、惚れること自体は分かるな」
「はぁ?」
「お前、一緒にいるのが嫌になるってことが絶対ないタイプの人間なんだよ。今流行りの癒し系というかなんというかだな」
「癒し系の流行はもう終っただろ」
と突っ込んだ俺に構わず谷口は、
「それだけ活躍してる人間なら、ストレスだって人より多いだろ。その分、癒しを求めてるんじゃないか? で、お前に惹かれるとか」
「それならまだ、純粋培養されてるお嬢さん方が俺みたいな毛色の違うのに興味を持ったって方がありそうだがな」
「まあ、それもあるかもな」
と谷口は笑い、
「で、何で保留なんだ?」
「……返事を聞かれなかったんだ」
「お嬢様ってのはそんなもんなのか? 奥ゆかしい感じは似合うが」
「あいつは奥ゆかしいなんて言葉が似合うタイプじゃないけどな」
俺が言うと、谷口は驚いたように軽く目を見開き、
「お前、なんだかんだ言ってその子のこと気に入ってんじゃないのか?」
「は?」
「お前は気に入ってもないような相手をあいつ呼ばわりしないだろ。少し親しいくらいなら彼女とかあの子とか言うだろうし、嫌いならソイツ呼ばわりだ。それに、そうやってきつめの言葉を言ったりもしねえはずだ」
言われてみればその通りかもしれない。
「それで、返事を聞かれなかったのをいいことに黙ってんだろ。今の関係を壊すのが惜しくて」
「……」
そうなんだろうか。
谷口の言うことだから信用はならんと思うのだが、それでも一理あるような気がした。
「まあ、彼女が出来たら紹介しろよ。出来ればフリーの女の子を紹介してくれた方が嬉しいが」
「お前なぁ……」
完全に面白がっていやがるな。
「で、谷口」
「なんだよ、改まって」
「お前、そっち系のエロ本とかビデオとか持ってただろ。実際どんなことするんだ? 女同士って」
「残念だが、百合物は守備範囲外だ。俺は健全な男女交際の方がいいからな」
それより、と谷口はにやっと笑い、
「ナンパしようぜっ」
「そういう時だけ輝くなお前…」
呆れるしかない俺に谷口は、
「二人連れ三人連れにひとりで声を掛けるよりは、二人で声を掛けた方が成功率はいいんだよ。でもって、お前ならライバルにもならねえし」
いつもなら一蹴してやるのだが、一応相談に乗ってもらったんだ。
少しくらい付き合ってやるか。

それから谷口とふたりで辺りをほろほろと歩き回った。
ナンパが失敗し、空手に終ったことは言うまでもない。
ただ、そのことが後々になって問題になると、その時の俺は全く気がついていなかった。