落ち込みプリンシペ



夏休みの始まりを告げる一学期の終了式の後となれば、いつもは大勢で賑わう中庭にも人気が少なくなるらしい。
校内にはまだ人が残ってるが、それもこれから始まる部活動の準備や昼食の支度で慌ただしく、他人の動向に構っている暇などないようだ。
俺も、さっさと帰りたい。
それなのにどうしてこんな所に突っ立っているのかというと、中庭の木の下に呼び出されたからだ。
そこは告白スポットとして、校内では有名な場所だそうだが、ここは女子校じゃなかったのか?
そりゃあ、文化祭の日は流石に一般にも開放されるらしいから、その時に告白したりされたりなんてことがあるのかもしれないが。
なんてことを考えているのはあれだ、現実逃避だ。
何しろ今現在俺の前には愛らしい外見をしたクラスメイトが突っ立っており、先ほど意を決した様子で、
「あなたが好きなんです」
と俺に向かって言い放ったところなもんでな。
現代社会において性別による違いよりもジェンダーと呼ばれる社会的文化的な性のありようの方が大きな問題となっているのは確かなことではあるし、そうであればそれは是正されるべきだとリベラリストだかフェミニストだかよく分からんものの主張するようなことを思わないでもないのだが、それでも男女の性差と言うものは重要だと思う。
こと、恋愛においては特に。
もちろん、同性愛が悪いと言うつもりはないし、異性愛が善いと言うつもりもない。
ただ、男女関係なく、俺は恋愛なんて自分からは程遠いものだと思っており、突然告白されて戸惑うばかりなのだと言うことを分かってもらいたい。
「あの……キョンくん…?」
返事を待つ彼女に、
「ちょっと待ってくれ」
とストップをかけて考え込む。
そもそもなんで俺なんだ。
男の代用品的役割を俺が任されているからか?
それにしても、俺がやっていることといえば人から物をもらうくらいのことであり、好きになられる要因なんざない。
これが公立校のノリだったなら何かの罰ゲームとかドッキリの可能性もあるのだが、この学校でそんなことをしそうなのはハルヒや鶴屋さんくらいのものであり、彼女はそのふたりと特に係わり合いはないはずだ。
それなら、本気なんだろうか。
俺は彼女に聞いてみることにした。
「えぇと、本当に? 冗談とかじゃなく?」
「うん」
恥ずかしそうに顔を赤らめながら、彼女は言った。
「私、ずっとキョンくんのことが好きだったの。ずっとって言っても、入学してからだから、まだ三ヶ月くらいにしかならないんだけどね。でもずっと……入学してからずっと、キョンくんを見てました」
「……俺なんかのどこがいいんだ?」
「優しいくせに、それを隠してるところかな」
と彼女は小さく笑った。
「最初、どうしてか分からないけどキョンくんから目が離せなくって、自分でも不思議だったんだけど……多分、キョンくんが好きなんだって分かったら、凄くほっとして、そうしたらその勢いのまま、こんなこと言っちゃった。……ごめんね。気持ち悪い…よね…」
笑っていたはずの彼女の目じりに、涙が滲む。
「気持ち悪いとは思わないんだが……」
その言葉は嘘じゃない。
実際、嫌悪感はないからな。
ただ、俺は分からなかった。
どうしてそんな思いを俺に対して抱くのか。
そのことがとにかく理解出来なかったのだ。
それは、気持ち悪いとか言うよりもよっぽど酷いことに思えた。
自己嫌悪で胸の中がムカムカする。
ポケットから引っ張り出したハンカチで彼女の涙を拭うと、余計に涙がこぼれて来た。
どうすりゃいいんだ。
「ごめ、んね…」
「いや、俺の方こそすまん」
「……謝ってくれて、ありがとう…」
そう涙を流す彼女は愛らしく、俺には勿体無いと思った。
俺は彼女が驚くのにも構わずその体を抱きしめると、
「絶対、俺より相応しい男がいると思うから、そうやって泣かないでくれ、頼む」
「…そう、かな……」
「俺が保証する」
「……ありがとう」
そう笑った彼女の体を離すと、
「最後に、」
と彼女が俺を見つめて言った。
「…ひとつだけ、お願いしてもいいですか」
「俺に出来ることなら」
彼女は深呼吸を数度繰り返した後、
「キスしてください」
……なんだって?
唖然とする俺に、
「ファーストキスは好きな人がいいから。…だから、キョンくんも、はじめてだったら、いいです。無理は言いません」
「いや、初めてってことはないけど……」
というか、ファーストキスなんて物心つかないうちに身内に奪われるものだと思うんだが。
「じゃあ、お願いします」
そう目を閉じた彼女は、自分からそんなことを言い出したというのに、かすかに震えていた。
仕方ない、と俺は腹を決め、彼女の肩に手を掛けた。
そうしてその唇に、そっと自分のそれを重ねる。
柔らかい、という感想を抱いた俺は何かが間違っている気がする。

そんなことがあった後、俺はふらふらと校内をさ迷っていた。
家に戻ってもいいのだが、今の状態で校外に出たら、よっぽど運がよくない限り車に跳ねられる気がした。
とりあえず、ひとりになりたかった。
それでも俺が歩いているだけでどこかしらから女の子特有の甲高い声が響き、ひとりになんてなれそうになかった。
交通事故覚悟で帰ろうか、と思っていたところで、
「どうかなさったんですか?」
と声を掛けられた。
「古泉か…」
「随分、落ち込んでらっしゃるようですけど…」
大丈夫ですか、と聞いてきた古泉が、いつにもまして心強く思えた。
王子様役を任されるだけあって、古泉は顔立ちも中性的だし、体つきもしっかりしている。
俺も女にしては背が高い方だが、古泉はその俺よりもまだ高いくらいだからな。
いつも浮かべている笑顔は嫌味すぎて好きじゃないのだが、こうやって眉を寄せ、心配そうにしている顔ならそう嫌いでもない。
へらへらしているだけじゃないってことか。
しかも、俺がふらついているだけで、体調を崩しているのではなく、落ち込んでいるのだと見抜いたくらい、しっかりしてもいるらしい。
それなら……弱音を吐いてもいいかもしれない。
俺はため息を吐き、
「…大丈夫じゃない」
「何があったのか、お聞きしてもよろしいですか?」
「聞いてくれ」
ただし、場所は変えるぞ。
お前とふたりでいるだけで視線が集中してくるからな。
「では、寮へ行きましょう」
「ああ、そっか。お前、寮生だったな」
「ええ」
と答えた古泉の表情にはどこか暗いものがあったような気がしたのだが、今の俺はそれを気にするだけの余裕もなく、古泉もそれをさっさと笑顔の下に隠してしまった。
「手をお貸ししましょうか?」
差し出された手を、
「そこまで弱ってはないぞ」
と振り払うと、体が傾いだ。
「随分参ってるように見えますよ?」
くすくすと笑いながら古泉は俺を抱きとめ、俺を支えたまま歩きだす。
「離せ」
「聞けませんね」
意外にも強い調子で言われ、俺は目を見開いた。
古泉といえば、俺にちょっと何か言われたりハルヒにちょっかいを掛けられるだけでおたおた言うイメージがあったのだが、そうじゃないということなんだろうか。
まあ、最近は、特に王子様として仕事をこなしている時なんかは、宝塚の男役くらいのかっこよさと強さを滲ませてはいたんだが。
「僕だって、引いてはいけない時くらい弁えてますよ」
「おたおた言ってる方が可愛いのに」
何気なく呟くと、古泉がかぁっと赤くなった。
「か、可愛いとか言わないでくださいよ。ビックリするじゃないですか」
うん、やっぱりこっちの方が可愛い。
俺はそう笑ったのに、古泉は余計に心配そうな顔をして、
「本当に、どうしたんです? 何かあったんでしょう?」
「……俺、そんなに酷い顔してるか?」
「世を儚んで身投げしそうなくらいには」
お前は何時代の人間だ、と突っ込む気力も湧かない。
俺はため息を吐いてそのまま黙り込み、古泉に連れられて寮に入った。
寮、と言っても汚い学生寮を想像してはならない。
学校の敷地内にあるくせに、やたらと豪華でセキュリティもしっかりした、最新鋭のマンションだからな。
寮費もかなりなものらしいが、そんなものを負担に思うような人間はこの学校にはそういないのだろう。
入り口こそ、学生証で開くから、学校関係者は自由に出入りできるものの、各部屋の出入りには網膜パターンでの認証が必要だというから恐れ入る。
「ついでだから、あなたも登録しておきましょうか」
部屋に入りながら、古泉が言った。
「なんでだよ」
「今日みたいなことがあった時や、なんらかの理由で校内に泊り込む必要が出た際に、寮の部屋が使えた方が楽でしょう?」
「そこまで世話になるのも悪いだろ」
「気にしないでください。どうせ、僕の部屋なんて訪れる人はありませんから」
「そうなのか?」
ファンの女の子たちはどうした。
「特別贔屓するわけにもいかないでしょう? 不特定多数にばらまくのもどうかと思いますし」
それもそうか。
「とりあえず、中へどうぞ」
「ああ、邪魔する」
言われるまま部屋に上がりこむ。
元々の内装なのか、壁紙は淡いピンクで、室内の装飾も割に愛らしいのだが、部屋の隅に据えられたデスクの周辺には何枚もの紙や布が散らばり、ミシンまでもが乱雑に放り出してあった。
あまりの有様にぽかんとする俺に、古泉は苦笑して、
「すみません、汚くて。作業をしているとついついそのままにしちゃって」
そう言えば古泉はデザイナーをやってるんだったな。
それならあの紙は型紙で、布は試作用だろうか。
「そんなところです。――コーヒーでよろしいですか?」
「ああ、すまんな」
「いいえ」
と答えながら古泉はキッチンへ向かった。
興味本位でついて行くと、そこもなかなかの惨状だった。
どういうわけか、作業台の上には紙や布が散らかしてある。
「……もう少し片付けろよ」
「片付けは苦手でして…。食事も、ここでは作らないものですから」
下に食堂があるからな。
せっかくいいオーブンまで据え付けてあるのに、勿体無いことだ。
「あなたは料理とかするんですか?」
「ああ」
何しろ、少し前までは普通に一般庶民だったからな。
年の離れた妹もいるから、ある程度料理やお菓子作りは出来る。
最近は、もらうばかりだが。
「凄いですね」
と古泉はお世辞でなく本気で言ったようだった。
くすぐったいな。
「お前が食べるんなら、」
俺は頭を掻きながら言った。
「作ってやってもいいぞ、菓子くらい」
「本当ですか!?」
ぱぁっと顔を輝かせる古泉は可愛い。
「ああ」
「嬉しいです」
その笑顔が眩しくて、耐えかねた。
「というか古泉、」
「はい? ――ひゃあっ!?」
古泉が素っ頓狂な声を上げたのには理由がある。
俺が背後から抱きしめたからだ。
すりっとその肩に頭を押し付けながら、
「ちょっと、癒してくれ」
「い、癒してって…あの、本当にどうしたんですか?」
「……」
どう言うべきだろうか、と考え込む俺の頭を、古泉が優しく撫でる。
「ゆっくりでいいから、聞かせていただけませんか? 決して他言はしませんから」
その辺りは分かってる。
お前は十分信用が置ける奴だってこともな。
「光栄ですね」
そう笑った古泉は、
「コーヒーもそろそろ飲めますし、ソファへ移動しませんか?」
と俺を促した。
俺は頷いて、古泉の体を離した。
そうしてやっと見えた古泉の顔は、恥ずかしがるように赤く染まっていた。
古泉の部屋には三人掛けの、ベッドを兼ねるようなソファがひとつあった。
俺たちはそれに並んで腰を下ろし、無言のままコーヒーを飲んだ。
どう言えばいいか、とコーヒーを飲みながら考えていた俺は、それを飲み干すと、古泉に尋ねた。
「お前、ファンの女の子に告白されたこと、あるか?」
「え」
と絶句した古泉は一拍遅れで赤くなると、俺の肩をいきなり掴んだ。
「こ、告白されたんですか!?」
「された」
が、何でお前がそこまで慌てるのかが分からん。
「それで、なんて返事を……」
「断った」
俺が簡単に答えると、古泉はふぅっと息を吐きながら肩の力を抜いた。
何なんだ。
「それで、落ち込んでたんですか?」
「なんというか……彼女の気持ちを全く理解出来ない自分に嫌悪感が募ってな」
「…理解出来ない?」
「まだ、生理的嫌悪で断る方がマシだと思う。だが、俺の場合は、なんで俺なんかを好きになるのか分からないからってんで断っちまったからな。もっとなんとか出来たんじゃないかとか、色々考えちまうわけだ」
「……そうなんですか」
「その上、」
と俺は深いため息を吐き、
「最後にって頼まれたからってキスしちまったのがまた……」
「き、キス!?」
古泉がらしくもなく声を上げた。
「したんですか!?」
「……ああ」
軽蔑するんならしろよ。
自分でも、最悪な奴だと思うからな。
そう吐き捨てた俺を、古泉は妙に真剣な顔で見つめた。
「あなたは……」
掴まれたままの肩に、再び力が込められて痛かった。
だがそれを訴えるのも憚られるくらい、古泉の表情は硬かった。
「…告白されて、断るだけなのに、キスなんてことが出来るんですか」
「断るからこそじゃないのか? 謝罪というか、お詫びとしてだな」
「――そんな風に、自分を安売りしないでください」
じわりと古泉の目に涙が浮かぶ。
なんでだ。
お前が悲しむことじゃないだろ。
「悲しいですよ。どうして、どうしてあなたはそうなんです? もっと自分に自信を持ったっていいでしょうに、そんな風に軽んじて」
ぼろ、と涙が零れ落ちる。
その涙がやけに綺麗に思えた。
――って待て待て待て、何かおかしいだろ。
相手は古泉だぞ。
同じ女で、時々キモイくらいの変な奴だぞ。
変な奴だけど……こんな風に人のために泣いたりするくらいにはお人好しで、笑って穏便にことを収められるような奴で。
……だから、褒めてどうする。
「それに、」
俺がぐるぐると考え込んでいることに気付いているのかいないのか、古泉はキッと俺を睨みつけた。
「悲しんでるだけじゃありません。怒ってもいます」
「怒るって…」
「もっと自分を大事にしてください。俺なんか、なんてこと、言わないでください」
「……すまん」
素直に謝ったのは、そうでもしなければ古泉が落ち着かないと思ったからだった。
それを見透かしたのか、古泉は余計に顔を苦しげに歪めると、
「本当に、分かってます?」
「分かってるから、離してくれ」
この近距離はなんとなくヤバい気がする。
早く離れたい。
そう思うのに、
「もうひとつだけ」
と言った古泉はずいっと俺に顔を近づけてくると、
「あなたが好きです」
――何を言われたのか、一瞬本気で理解出来なかった。
アナタガスキデス。
たったの八音が、まるで聞いたこともない外国語のように聞こえた。
呆然としている俺に、古泉は言った。
「初めは、あなたの容姿に惹かれました。ボーイッシュな立ち居振る舞い。すらりとした綺麗な肢体。滅多に見せてくださらない魅力的な笑顔に。あなたと会って、直接言葉を交わせるようになって、その度に、僕がどれだけ歓喜していたか、あなたには分からないでしょうね」
そう自嘲するように笑い、
「手酷い言葉を投げつけられても、あなたが本当には悪意を持っていないと分かるから、嬉しかったんです。優しくされたなら、なおさらです。あなたの持つ柔らかな気配が、場を和ませてくれる力が、どんなにか僕を救ってくれていたか。…言葉では言い表せないほどです」
それなのにあなたは、と古泉は一瞬唇を噛んだ。
ただでさえ赤味を帯びた唇の色が更に濃くなる。
「自分の価値を全然分かってくださらない。これから先、告白されるたびにキスをしてあげるんですか? それでいいんですか?」
「…そう、言われたって……」
声が涙に揺れる。
泣きたくなんかないのに、本気の古泉が、どうしようもなく怖かった。
「…どうすればよかったって言うんだよ…」
「……言葉を尽くせばいいんです。行動ではなく」
それでも、あれ以上言葉を口にするのが嫌だったのだ。
言葉を重ねれば重ねるだけ、彼女を傷つけ、自分が嫌な人間になるようで。
キスに、そんなに価値があると思わなかったんだ。
「あなたって、そういう人だったんですね」
古泉の、どこか冷たい言葉に、とうとう俺の目から涙がこぼれた。
「…っ、ごめん……」
泣きながら謝ると、古泉の手が俺の頬に触れた。
「……もう、しませんね?」
「…しない。もう、絶対しないから…」
許してくれ。
「…なら、いいです」
と古泉が笑った。
柔らかな笑みに惹かれるように抱きしめると、頭を撫でられる。
涙が止まるまでそのままの状態で過ごし、その後は大人しく帰った。

つまり俺は、古泉のあのどさくさ紛れの告白に返事をしていないのだが、どうするべきだろうか。