落ちこぼれプリンシペ



五月に、校内行事としてなんらかのイベントが開催されるのは、新しいクラスに馴染めということであるらしい。
うちの学校も例に漏れず、そんな意図で企画された小規模な体育祭があるのだが、実質は王子様の顔見せイベントだということを、当日になって初めて知った。
というのも、イベントのプログラムとして何かが用意されているわけではなく、結果として王子様が目立つようになっちまっているからなのだ。
俺がいつだったかにハルヒに聞かされた話によると、王子様とは眉目秀麗、成績優秀、運動神経抜群な奴が選ばれるのが常だそうで、そうであれば体育祭はそいつらのためのイベントになるということなのだが、あいにく俺は頭も運動神経も平均的だ。
ここらで一発選びなおしたらどうだ、ハルヒ。
「そんなこと出来るわけないでしょ! 逃げようったってそうはいかないわよ」
ちっ。
「それに、あんたの分も古泉さんが頑張ってくれるって言ってるんだから、応援してあげようとか思わないの?」
応援も何も、この体育祭は学年ごとのクラス対抗であり、俺とあいつはクラスが違うんだが。
というかハルヒ、お前はどうしてうちのクラスのスペースにいるんだ。
お前は二年だろ。
「あんたがそうやってやる気を出さないから見にきてやったんでしょ。あんたがちゃんとしてくれないと、あんたを推薦したあたしがバッシングされるんだからね」
「だから俺は王子様役なんて出来やしねえと何度言えば分かるんだよ」
「出来てるって言ってるでしょ! それに、あんたと古泉さんならキャラが真逆だから一緒にやっていくのが丁度いいのよ」
いーい!? とハルヒは怒鳴り、
「古泉さんは正統派王子様を演じてくれる逸材だけど、あんたのその、自然体で女の子を落とせるって特異体質も見逃せないのよ!」
人を勝手に異常人間に仕立て上げるな。
「とにかく、手ぇ抜いたりしたら、私刑だから!」
とハルヒが怒鳴ったところだった。
「ごめんなさい、ちょっといいかしら?」
と声が掛けられた。
振り返ると、学級委員の朝倉が立っていた。
「俺に用か?」
「そう。せっかく王子様が同じクラスなんだから、クラスのみんなに激励の言葉でも掛けてもらいたくって」
その言葉通り、俺が何か言うのを待っているらしいクラスメイトたちの視線に一瞬たじろぎつつも、背後からのハルヒの視線に耐えかねた俺は、一応その責務を果たすことにした。
「えぇと、じゃあ――」
しかし何というべきだろうな。
頑張れと気楽に言っちまっていいもんなんだろうか。
校内でこそ普通の――しかし生地や縫製は公立校のそれとは比べ物にならないくらい上等な――制服を着、今だってハーフパンツタイプの体操着を着ているものの、彼女らはみんなワーキングプアや労働問題なんて異次元の話のように感じるくらいには富裕層の人間だ。
そんな彼女らに対して、無責任に頑張れと言っちまっていいんだろうか。
怪我をしたら目も当てられないぞ。
などと考えた俺は、
「……怪我しない程度に、頑張ろう」
「なぁに、それ。あたしは激励してって言ったんだけどな」
と困ったように言う朝倉に、
「頑張りすぎて怪我でもしたら大変だろ。学校行事なんだから、そこまでむきになることもない。行事の目的としてはクラスで馴染めりゃいいってことなんだろうから、そうなれるように頑張ればいいだろ」
「もう、あっさりしてるのね」
仕方ないなぁ、と笑った朝倉は、
「キョンくんはこんなこと言ってるけど、キョンくんのためにも頑張ろうね、みんな!」
と声を掛けていた。
それに応じるクラスメイトたちは可愛いんだが、何で俺のためなんだ?
「知らないの? この体育祭で一番になったクラスには、クラウンが送られるのよ」
クラウンってつまり王冠か。
「そう。王子様がいないクラスだったら女の子用の可愛いティアラなんだけど、王子様がいたら男物のクラウンが贈られるの。キョンくんにはきっと似合うと思うから、楽しみにしててね」
そう言われても、と戸惑う俺に、ハルヒが、
「その時はあたしが演劇部あたりから王子様に相応しい衣装も借り出してきてあげるわ。キョン! ちゃんとやるのよ!」
お前は本当にそれで俺がやる気を出すと思っていやがるのか、と問い詰めてやりたくなったのだが、俺の苦情はクラスメイトたちの歓声に紛れて掻き消された上、ハルヒもとっとといなくなっちまった。
そうして体育祭は始まったのだが、俺は運動に関して自信がない。
精々応援でもしているか、と考え、出場する選手に、
「気をつけてな」
とか、
「頑張れよ」
とか声を掛け、帰ってきた選手には、
「お疲れさん」
だの、
「残念だったな」
だの、
「凄かったな」
だのと言葉を掛けていた。
その時一々名前を呼んでいるのに気がついたらしい朝倉が、
「ねえ、もうみんなの名前覚えてたの?」
「一応な。お前も覚えてるんだろ」
「あたしはクラス委員だもの。名前と顔くらい把握してないと困っちゃうわ。でも、あなたはそうじゃないでしょ?」
「それでも、毎日顔を合わせてりゃ顔と名前くらい覚えるし、それに、物をもらっておいて知らんふりってのも出来ないからな」
何せ、クラスのほとんどの人間に物を貢いでもらってるんだ。
今日の昼に食べる弁当も、阪中が作ってきてくれると言っていたからと素直にそれに甘えさせてもらっているくらい、貢物に依存させてもらっている以上、誰に何をもらったかくらいは把握しておくべきだろう。
「真面目なのね」
くすっと朝倉は笑い、
「それに、思ってたよりずっと頭もいいみたい」
どうせ俺はばかにしか見えねえよ。
「あら、そういう意味じゃないわ。深謀遠慮が出来るような複雑な内面を抱えた人には見えないってこと。そんなこと、出来ない方がずっといいでしょ?」
さて、どうだろうね。
「あたしは、ついつい余計なことまで考えちゃうから大変なの。考えずに動いても成功を掴める人が羨ましいわ」
それは誰のことだ?
「具体的に誰ってことはないわ」
そうは思えなかったのだが。
「そう? 気のせいよ」
と笑った朝倉は、
「ほら見て。涼宮先輩が走ってるわ」
とグラウンドを指差して話をはぐらかした。
しかし、ハルヒの走りっぷりはなかなか見事なものだった。
リレーの一選手として走っているのに、自分のクラスの仲間も含め、周りの選手など全く視界に入れていないに違いない。
それくらい楽しそうに走っていた。
どうせなら、陸上部にでも入ってやりゃいいのに。
二年のリレーはハルヒのクラスが勝利したのも当然だと思うくらいの見事な走りっぷりだった。
しかし、ハルヒとは別の組で走っていた長門も速く、それこそ瞬間移動かと思うような異常な速さを発揮していた。
ふたりとも凄い、と思っていると、競技を終えたハルヒと長門がこっちに走ってきた。
「キョーン!」
と叫んだハルヒは俺に駆け寄ると、
「勝ったわよ! ちゃんと見てたんでしょうね?」
「ああ、見てた見てた」
「感想は?」
キラキラ目を輝かせて聞いてくるハルヒには、自分のクラスにさっさと戻れと言うのも躊躇われ、俺は苦笑しつつ答えてやった。
「かっこよかったぞ」
ハルヒはぱっと顔を輝かせるなり、俺を抱きしめた。
苦しい、というか胸が当たってるぞ。
苦情を言う俺の肩を、長門がつつく。
「…見てた?」
「ああ、凄かったな。速過ぎて驚いたぞ」
「……そう、よかった」
と長門が嬉しそうに、小さく笑った。
どうでもいいが、どうしてふたりともわざわざ俺のところに来るんだろうな。
などとやっている間に、グラウンドでは三年から降順に行われていたリレーの順番が一年に移っていた。
ハルヒと長門を帰らせた俺は、自分のクラスのために声を張り上げて応援していたのだが、結果はあえなく敗北。
それというのも多分、別のクラスに古泉がおり、これまた見事な走りを見せたからだろう。
自分のクラスへ戻る途中に、わざわざ俺のところへ顔を見せた古泉に、
「何しに来たんだ?」
と聞くと、
「つれないですね」
と苦笑された。
「僕としては、あなたのために走ったつもりなんですけれど」
「全然俺のためになっとらん」
「同じクラスでしたら、走りだけでなく、勝利だってあなたに捧げられたでしょうに。それを思うと違うクラスなのが残念でなりません」
「サムいから止めろ」
というか、この一月ばかりの間にこいつも王子様としての仕事が板についちまったな。
くさいセリフを恥ずかしがるような羞恥心さえなくしている。
その上、いつの間にか一人称まで僕に変えちまって……そこまでするほどの仕事かよ、これが。
俺がそんなことを思っているとは露知らず、古泉は胡散臭い笑顔で、
「寒いのでしたら、僕が温めて差し上げますよ?」
「やめろ」
いいからとっとと帰れ、と古泉を追い返した俺は、自分の出場競技が迫っていることに気がつき、慌ててテントを出た。
遅れかけているのは古泉を追い返すのに手間取ったせいだ。
朝倉が、
「お先に」
と言って先に出て行った時に一緒に出てりゃ余裕だったのに。
入場門へ向かっていると、
「あ、キョンくん」
と声がした。
天使の如きこのお声は朝比奈さんのものに他ならない。
俺がぱっとそちらを見るのと、朝比奈さんが見事にすっ転ぶのとはほとんど同時だった。
「だ、大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄ると、
「うぅ、大丈夫れす…。キョンくん、急がないと、競技に遅れちゃう…」
「競技に遅れるくらいなんです。今、救護班に…」
と助け起こそうとしたところで、鶴屋さんがひょこっと現れた。
「あっれー? みくるまた転んだのー? どじっこだねぇ、全く!」
と楽しそうに笑いつつ、
「キョンくん、ここはあたしに任せて、さっさといった方がいいにょろ。次の100メートル走に出るんだろっ?」
「そうですけど、何で知ってるんです?」
「さっき名前呼ばれてたからねっ」
そんなに遅れちまってたか。
しかし、朝比奈さんを残していくのは忍びない。
だが朝比奈さんはふるふると首を振り、
「あたしは大丈夫だから、キョンくんは早く行って下さい」
と言ってくださった。
ここでごねても、朝比奈さんを困らせるだけだろう。
「すみません、後でお詫びに行きますから」
と言い残して、朝比奈さんを鶴屋さんに任せ、俺は入場門へ走った。
並ぶなりすぐ入場となり、危なかった、と息をついたところで、
「何やってたの?」
と朝倉に小突かれた。
「ちょっとな」
「頑張って走ってよ?」
「俺に期待するな」
「もしキョンくんの成績が奮わなかったとしても、あたしがその分取り戻して見せるけど、とにかく全力でやってね。頑張る姿だけでも、女の子って感動するんだから」
長年女をやってるつもりだが、そいつは初耳だな。
そんな風にして挑んだ競技で、俺が手を抜くはずもない。
しかし、本気でやったところでたかが知れているというのが凡人の凡人たるゆえんであり、悲しいところなのだろう。
結果は三位。
よくもなく悪くもないあたりが実に俺らしい。
しかし、クラスの得点を見るともう少しいい成績を取りたかったな。
そんなことを反省していると、スタート地点に朝倉が立つところだった。
俺の視線に気付いたのか、軽く手を振り、ウィンクまで寄越す。
随分と余裕だな――と思ったのも納得できる走りっぷりを、朝倉は見せた。
ハルヒといい勝負だ。
それなのになんで運動部に入っていないのか全く分からん。
ちなみに朝倉は俺が、
「大活躍だったな」
と言っても、
「そう?」
と軽く流して見せた。
うむ、カッコイイ。
退場門から一緒に歩いてクラスのテントまで戻りながら、俺は言った。
「朝倉の方が王子様に向いてるんじゃないのか?」
成績も運動神経もいいし、面倒見もいいだろ。
「あたしじゃだめよ。王子様なんて柄じゃないし、どちらかというと保護者ってところかしら」
それもまた納得出来るが。
「あたしよりキョンくんの方が、人を惹きつけられる分、王子様には適任だと思うわ。私はクラスのことで手一杯だし。でも、そうね」
と朝倉は笑い、
「今日みたいにクラスで行動する行事の時は、キョンくんがみんなを引っ張ってくれるなら、あたしはそのフォロー役をするわ。女房役ってところね」
「勿体無いな」
朝倉がフォローだけに回るというのも、俺の女房役ってのも。
「買い被り過ぎよ」
と笑った朝倉を見ていると、可愛いと思った。
これだけ可愛かったら、王子様じゃしっくり来ないのかね。
「楽しそうに何を話してるんですか?」
いくらか不機嫌な声に振り返ると、古泉がいた。
「またお前か」
「酷いですね」
と眉を寄せた古泉が、軽く朝倉を睨む。
おいおい、どういうつもりだ。
俺が問うより早く、朝倉は笑顔でそれを受け流すと、
「ねえ、ちょっといい?」
と古泉に言った。
「え?」
と戸惑う古泉の腕を引っ張って、朝倉は俺から離れた。
俺に聞かせたくない話でもしているのだろうか。
だとしたら何の話だ?
首を傾げながら、古泉が朝倉に何かしないように見守っていると、いきなり古泉が真っ赤になった。
はにかむような表情で、わたわたと慌てて何か言っているのが見える。
最近のふてぶてしい表情より、初めて会った頃みたいにそうやってる方が可愛い。
……と古泉には言わないでおいた方がいいんだろうな。
赤くなって立ち尽くす古泉を置いて戻ってきた朝倉に、
「何話してたんだ?」
と聞くと、
「内緒」
と言われた。
質問さえ許さない笑顔で、楽しそうに。

なお、結果として優勝を勝ち取ったうちのクラスは、応援くらいしかしていない俺を壇上に押し上げた挙句、クラウンを押し戴かせ、更にコスプレまでさせて、満足したようだった。
俺に白タイツをはかせやがったハルヒのことは、しばらく許せそうにない。