「と、いうわけで、あんたには王子様として頑張ってもらうから!」 開口一番にそう言ったのは、入学早々教室にやってきて、俺の何が気に入ったのか散々にちょっかいを出し、嵐のように去っていったことのある上級生だった。 名前は涼宮ハルヒだと言っていたかな。 有名人らしく、ハルヒが来るだけで教室内がざわめく。 俺は椅子にだらしなく座ったままハルヒを睨み上げ、 「俺が何だって?」 敬語を使う必要のない相手だという判断の元、ぞんさいな口を利いたが、ハルヒはやはり気にせず、 「言っておくけど、あんたに拒否権はないわよ。あたしに選ばれたことを光栄に思いなさい」 お前の方こそ人の話を聞けよ。 その王子様ってのは何だ。 こんな口の聞き方をするし、髪も男並に短い上、やることだってとても女らしいと言えないということは自覚しているが、俺は女だぞ。 「誰も本当に男になれなんて言わないわよ。ここは女子校なんだし」 そうだったな。 なんだって俺がこんなお嬢様学校に通わねばならんのだと嘆きたくなる発作がぶり返してくる。 ため息を吐きながら窓の外へと目をやると、教室内が何故か沸き立った。 きゃーとか、素敵ーとか、声が上がってるが何に反応してるんだか全く分からん。 このノリについていけないのだ。 そもそも、小中と一般的な公立校に通ってきた俺が、今更こんな学校に通うことになったのは、親父の事業が成功したからというだけのことに過ぎない。 一躍セレブの仲間入りを果たせたんだから、娘である俺にもそういう学校に通え、ということらしいが、成金の娘としていじめられる可能性を微塵も考慮していないのが親父らしいといえば親父らしい。 今のところ、いじめに遭うこともなければ、特に外されたりすることもないのだが、いつそうなってもおかしくはない。 いじめという行動は要するに、集団の中における異物を排除する、本能的な行動でもあるからな。 そして、異物と言う意味では、俺は他の生徒とはかなり違ってしまっている。 今も俺の横で何やら喚いているハルヒも、どこだかの大会社のお嬢様だそうだし、同じクラスの国木田も、旧家の跡取り娘だという話だ。 それでも一応、国木田みたいに友人が出来ていることを思えば、いじめの心配など、本当は必要ないのかもしれない。 だから俺がこうして憂鬱なのは、別に理由があるんだろう。 多分、……一緒に高校に通うはずだった連中が、恋しいのだ。 俺は男みたいな性格だから、友達も男が多くて、だからこんな女の子ばかりで妙に華やかな空気というものに慣れることが出来ない。 それで余計に気分が晴れないんだろう。 「ちょっと、キョン! 聞いてんの!?」 頭を掴まれ、強引にハルヒの方を向かされる。 俺はハルヒを睨み上げ、 「聞いとらん」 と言ってやった。 それでハルヒがムカついた顔をするのは分かる。 だが、何でその向こうでクラスの連中が、きゃあきゃあ声を上げるのかが理解出来ない。 「いいわ。キョン、あんたはその路線で行きなさい」 何の話だ。 「たまにはワイルド系っていうか、ぶっきらぼうな王子様がいたところで別にいいでしょ。放課後、ここで待ってなさい。一緒に王子様をやる子を連れてくるから」 それだけ言ってハルヒは出ていった。 結局何なんだ、と首を傾げていると、 「やっぱり、キョンが選ばれたんだね」 国木田が小さく笑いながらそう言った。 「あれは一体なんだったんだ? 王子様だのなんだのと、わけが分からん」 「話を聞く気がなかっただけでしょ? 涼宮先輩はちゃんと説明してたのに」 そうかい。 「しょうがないね。私が説明するよ」 と言った国木田の丁寧な説明によると、この学校には王子制度というシステムがあるのだそうだ。 それは明文化されたような公然としたものではないのだが、伝統として長いこと引き継がれているもので、それに関わる活動については教師の監視の目も緩むのだとか。 その王子様とやらのやるべきこととは、女ばかりの閉鎖空間――何故だかこの言葉が嫌いだ――で乙女たちの理想像を演じ、夢と希望を与えてやることなのだそうだ。 擬似的なものであっても男というものに全く触れていなければ、実際に男と会った時にどうしていいか分からなくなってしまう危険性がある、というのもその理由のひとつらしい。 「キョンは男の子みたいにカッコイイから、みんな注目してるんだよ。今も、ほら」 と国木田はいきなり距離を詰め、俺を軽く抱きしめた。 それだけで歓声だか悲鳴だか分からない声が上がる。 国木田の女の子らしい匂いと、その耳に響く声とで頭がくらくらしている俺に、国木田は笑い、 「ね?」 「どうでもいいが離してくれ」 「女同士なんだから少しくらい気にしなくてもいいのに」 「気にする」 大体、同じ年頃の女子との接触が極端に少なかった俺としては、抱きしめられるなんてかなりの衝撃なのだ。 勘弁願いたい。 「キョンって本当に男の子みたいだね」 と国木田は笑っていたが、俺は余計にげんなりさせられた。 王子様とやらをやらされると、この調子で女子が寄ってくるって言うのだろうか。 だとしたら、最悪だ。 何とかして逃げ出したい。 ――と、思ってたってのに、そして、その通り行動しようと、放課後になるなり教室を飛び出そうとしたってのに、なんでハルヒは既にいるんだろうな、畜生。 それこそ荷物をまとめている間に来たんだが、授業はどうしたんだろうか。 朝の言葉に嘘がないと証明するかのように、もうひとり、背の高い生徒をひとり連れてきている。 せっかくの綺麗な長い髪がぐしゃぐしゃになっていて勿体無い。 それもこれもハルヒに強引に手を引っ張られてきたせいだろう。 可哀相に。 「キョン、これがあんたと一緒に王子様をやる古泉一樹さんよ」 ハルヒに言われ、俺の前に引きずり出された彼女は、赤い顔をしていた。 走ってきたからだろうか。 「あ、あの、……古泉一樹です。どうぞ、よろしくお願いします」 恥ずかしそうに言う姿は可愛らしいが、俺はそんな大した人間じゃないぞ。 彼女には悪いが、握手を求めて差し出された手を受けるわけにもいかないしな。 「悪いが、俺は王子様役なんてするつもりはないぞ」 俺は古泉ではなくハルヒに向かってそう言った。 だが、 「どうしてですかっ!?」 泣きそうな顔で俺に縋りついて来たのは何故か、古泉の方だった。 「私が一緒だからですか? それなら私、辞退しますから、だから、」 「ちょっと待て、なんでそうなる」 そもそもお前が一緒だとどう支障が出るって言うんだ。 俺はただ単に自分の性格及び容姿を鑑みて、王子様なんつうむず痒いものなんざやってられんと判断しただけであってだな、 「どうしてです? あなたこそ、ぴったりだと思います」 俺のどこが、と俺が口にするより先に、 「あなたはカッコイイですよ。それでいて、可愛らしくて、素敵な方だと思います」 ……まるで俺のことをよく知っているような口ぶりだが、何なんだ、お前。 「あ、そ、それは…そのぅ…」 赤くなって縮こまってしまった古泉に代わり、ハルヒが言った。 「古泉さんはね、入学式の日に見かけて以来、あんたに憧れてたんだって。仲良くしてあげなさいよ」 憧れてって……。 呆れながら古泉に視線を移すと、ますます赤くなり、恥ずかしそうにする古泉の姿が見えた。 女の俺から見ても可愛い。 可愛いんだが……頭の中でなら言ってもいいか。 正直、キモイ。 俺は別に憧れの対象になるような奴じゃないと思うんだが、それなのになんでそんな目で俺を見ることが出来るんだか全く以って理解出来ない。 女子校っていうのは魔窟か。 化け物の巣か。 あるいは宇宙人によって洗脳でもされているのか。 思ったことを全て言ったら、古泉が泣き出すだろうと予想は簡単についた。 だから俺は端的に、 「頼むから、俺のことは放っておいてくれ」 と言って立ち上がり、ハルヒを押し退けて教室を出た。 「…やっぱりカッコイイ…」 なんて、古泉の呟きは聞かなかったことにする。 げんなりしながら廊下を歩いていると、 「あ、キョンくん」 と声を掛けられた。 聞きおぼえのある声は、2年の朝比奈さんだ。 振り向くと、小さくて可愛らしい、女の俺でも守りたくなるような姿をした朝比奈さんが立っていた。 急いできたのか、息が上がっているのも愛らしい。 「どうかしましたか?」 「えっと、この前のお礼にと思ってクッキーを焼いてきたんだけど…受け取ってもらえますか?」 この前、というのは先日、登校中に朝比奈さんが他校生に絡まれていたのを助けた時のことだろう。 「ありがたく頂戴します」 と受け取ると、朝比奈さんがほっとしたように笑った。 「キョンくんが甘いもの好きかどうか分からなかったから、甘さは控えめにしたんだけど…」 まだどこか不安そうに言う朝比奈さんに、 「甘いものは普通に好きですよ」 と言いながら、ちょっと失礼して可愛らしくラッピングされた袋を開ける。 ピンクのリボンで飾ってある辺りがまた可愛らしい。 中から出てきたきつね色のクッキーを取り上げ、口に放り込む。 柔らかなそれが溶けると共に、ふわりとレモンの香りが広がった。 「おいしいですよ。レモンクッキーですか」 「うん。よかったぁ。喜んでもらえて」 「朝比奈さんが手ずから作って下さったってのに、喜ばないなんてことはありませんよ」 俺はそう請け負うと、 「それより、あれからどうです? また危ない目に遭ったりしてませんか?」 「うふ、大丈夫よ。あの日は大丈夫だと思ってひとりで家を出ちゃったけど、あれからはちゃんと気をつけてるから」 ここの生徒ってことは、この人もお嬢様なんだろうな。 ふわふわと頼りないところなんか、まさにそんな感じだ。 柔らかく微笑む朝比奈さんにつられるように、俺まで笑顔になりながら、 「もしまた何かあったら呼んでください。俺でよければいつでも駆けつけますから」 「ありがとう」 と朝比奈さんは小さく笑い、 「キョンくん、本当に王子様みたいですね」 「そんなことはないと思いますけど」 と頭を掻いた俺に、 「あるわよ」 と断言したのはハルヒの声だった。 そういえば俺はハルヒから逃げ出したところで朝比奈さんに呼び止められたんだっけ? しまったな。 しかし、朝比奈さんがわざわざ俺に会いにいらしてくださったというのに放って帰るなんてことは出来ない以上、こうなったのもまた必然というものだろう。 「あんた、相手によったらそんな口も利けるのね」 呆れきった調子でハルヒが言い、俺に詰め寄った。 「なんなのさっきのとろけきった顔! 甘ったるいのを通り越して薄ら寒い言い回し! 近くで聞き耳立ててた子までくらくらじゃないの」 そうなのか? と視線をめぐらせると、確かに熱っぽい目でこちらを見てる生徒が数名目に入った。 そんな特別妙なことをした覚えはないんだが。 「分かったわ、キョン」 ハルヒは妙に真剣な顔で俺を睨みつけると言った。 「あんた、これからは校内で物をもらえる時、絶対拒んじゃだめよ。出来るだけ丁寧にお礼言って、受け取りなさい」 「と言われても、義理も何もないのに物をもらうのは性分に合わないんだが…」 「それだけで王子様としての業務を終りにしてあげるんだから、ありがたく思いなさいよ。高額商品とかをもらいたくないって言うんだったら、手作りのみに限るってしてもいいから」 そうして俺はなんだかわけが分からないままその条件を呑まされ、それ以後、雪崩のようなプレゼント攻撃を受ける破目になってしまったのだった。 |