乙女心と下心



古泉との関係を表す言葉はいくつもある。
団員。
仲間。
友人。
それから、恋人。
最後の言葉については、なんとも言いがたい。
俺の好奇心ゆえに至ってしまった結果だから言い訳のしようもない。
むしろ古泉に謝ったっていいのかも知れん。
そんなことを考えているから、俺は古泉に頼まれると嫌と言えないのだろう。
「今日下着を見に行こうと思うんですけど、一緒に行きませんか?」
と満面の笑みで古泉が言ったのは、俺が部室に入ってすぐだった。
それこそ、椅子に座る暇もない。
「下着?」
俺は眉を寄せた。
そんなもの、一人で買いに行くものであってわざわざ他人と連れ添って見に行くようなもんでもないと思うんだが、古泉にとっては違うんだろうか。
大体、下着自体が他人に見せびらかすものではない以上、他人と一緒に買いに行くというのはそれだけで十分羞恥プレイになりうると思うのは、そう間違った認識でもないだろう。
それなのにどうしてそんなところへ誘われにゃあならんのだ。
「下着くらい、一緒に買いに行ったりしますよ。ねえ?」
と古泉が賛同を求めたのは長門と朝比奈さんだ。
長門は返事の必要を感じなかったのか、ぴくりともしなかったが、朝比奈さんはお茶を淹れる手を休めつつ、
「そうね。あたしも鶴屋さんと一緒に行ったりします」
「へぇ、そんなもんなんですか」
甚だ意外だ。
下着なんて買いに行くのも結構恥ずかしいのに、友達と一緒に行くということは普通のショッピング感覚と同じなんだろうか。
しかしながら、自分が世間一般に言う女子高校生、あるいは女性というものから著しく懸け離れた精神構造を有していることは自覚しているので、ここは素直に納得しておくとしよう。
朝比奈さんのお言葉でもあることだしな。
「そういう態度はどうなんでしょうね…」
古泉の怒ったような、妙に迫力のある声が、やけに近くから聞こえ、俺は思わず身を竦ませた。
近いぞ。
「これくらい、恋人同士なら当然です」
拗ねるように言って古泉は自分の豊満な胸を俺の腕にぎゅっと押し付けるようにした。
朝比奈さんも長門もいるんだぞ。
過剰なスキンシップと、聞かれたらまずい発言はよせ。
「嫌です。それにどうせ、これだけ小さな声でしゃべれば聞こえませんよ」
その言葉は間違っておらず、朝比奈さんはお茶を淹れるのに一生懸命だし、長門は長門で本に夢中で、俺たちに注意なんぞ一欠けらも払ってはいなかった。
なんとなく寂しく感じるのは何でだろうな。
「あなたはどうやらスポーツブラくらいしか持ってないようですけど、勝負下着の一枚や二枚、持ってたって罰は当たりませんよ」
そんなもん、どこで使えって言うんだ。
「それは勿論、私の家に泊まりに来る時に決まってるでしょう」
それはつまり何か。
自分のことを食ってくれと言わんばかりに自らデコレートしろということか。
そんな漫画やアニメでしか使えないようなネタは却下だ、却下。
裸にリボン並みの恥ずかしさじゃないか。
「下着くらい、いいじゃないですか。出来るんだったら私だって、あなたのことを爪先から髪の毛の先端に至るまで着飾らせて差し上げたいですよ。でもそれは嫌でしょう」
当たり前だ。
お前に任せたらどんなことになるか分からんが、とりあえず目も当てられないことだけはわかっている。
「酷いですね。…まあ、私も、あなたが着飾った姿なんてほかの人には見せたくないから、それは構わないんですけど。でも、それならせめて下着くらいっていうこの乙女心を分かってくださいませんか」
乙女心じゃなくて、下心だろ。
お前のための勝負下着って時点で既にお前に脱がされることが決定してるからな。
「それは勝負下着でなくてもそうでしょう。違いますか? それとも誰か他の人に脱がされる予定でも?」
あるわけねえだろ。
とにかく、俺は下着に金を掛ける余裕なんざない。
「それなら私からプレゼントします」
それも癪だから却下。
日本円で4桁以上になるような高額のプレゼントは誕生日とクリスマスにしか貰わない主義でな。
なんでもない日には茶菓子レベルのものしか俺は受け取らんぞ。
「困りましたね」
とため息を吐いた古泉は、一層俺の耳に唇を寄せ、その綺麗な薄桃色の、愛らしいと言えないこともない唇で囁いた。
「このまま私と下着を買いに行くのと、下着を買わずに私の部屋に行ってチョコレートシロップやホイップクリーム、それから季節の果物で文字通りデコレートされるの、どっちがいいですか」
俺にとってはどちらにしても嫌なものを二つ、古泉にしてみればどちらになってもいいものを二つ、選択肢として提示するとは汚い手法だ。
一体どこの悪徳商法だよ。
というか、胸焼けを起こしそうな脅しをするな。
「別に、あなたは大人しくしていてくだされば胸焼けなんて起こしませんよ。ただ、普通にするよりもずっと焦らされる破目になるでしょうけど、あなたは焦らされるのもお好きですし、問題ありませんよね?」
大有りだ、この野郎。
いい加減にしろ、とでも怒鳴って断れればよかったんだろうが、そうするには俺は古泉に弱く、かつ古泉も自分の優位を弁えすぎていた。
――かくして俺は、嫌々ながら洋服屋ならぬランジェリーショップに連行されたのだった。
その居心地の悪さと言ったらなかったね。
何しろ溢れんばかりのレースとフリルの波だぞ。
もちろん、迷彩やアニマル柄だってあるにはあったが、ピンクや白、黒のレースの方が圧倒的に権勢を誇っていた。
並んでいるどれもが布面積が小さい下着ってのも目に痛い。
それから、ガーターベルトなんて初めて目にしたぞ。
「おや、そうですか?」
俺の隣りから手を伸ばした古泉が、それを手に取り、
「あなたに似合いそうですね」
と邪気のない笑顔で言った。
「勘弁してくれ…」
頭痛すら感じる俺に古泉は、
「いいと思いますよ? どちらかと言えばボーイッシュなあなたが、白の網タイツに同じく白のガーターベルトをしているというのも」
全然よくない。
そんな妄想をめぐらせるお前には寒気すら覚える。
「そうなるとやっぱりブラとショーツも白でしょうか。レースとフリルがいっぱい付いたのなんて似合いそうですよ」
「人の話を聞け! 誰がガーターベルトなんか付けるって言ったよ!?」
「着てくださらないんですか?」
うるっと目を潤ませて少し背を屈め、目を覗きこんでくるというのは反則技ではないだろうか。
俺はぐっ、と言葉を詰まらせつつ、
「分かった、ガーターベルトについては検討してやらんこともない」
検討の結果却下にする可能性は高いだろうが。
「だが、ブラについては俺の胸のサイズじゃお前の言うようなのはないと思うぞ」
そもそもAAカップなんざ置いている店のほうが少数派なんだがな。
「そのことなんですけど」
と古泉は俺の胸を覗き込むように、制服の胸元を引っ張った。
止めろ。
「本当に、AAカップなんですか?」
「そうじゃないように見えるか?」
「測ったことはあるんでしょうね?」
「まさか」
測るまでもなく平坦だ。
スポーツブラをしているのだって、義務感によるものであって必要性はまったく感じてないっていうのに、ちゃんと測ってると思うのか?
「やっぱり」
と古泉はわざとらしくため息を吐き、
「一度きちんと測ってみた方がいいですよ。サイズの合わないブラは体にもよくありませんし、それにあなたは胸は大きい方が好きなんでしょう?」
そりゃ、小さいよりはな。
「それならなおさら測ってみるべきですよ」
そう言うなり、古泉は俺に確認も取らず店員さんに言ってメジャーと試着室を借りた。
測りましょうかとマニュアル通りとはいえ親切に言ってくれた店員さんには笑顔で断りを入れて、だ。
試着室とはいえ古泉と密室でふたりきりにはなりたくないのだが、まさか他の客や店員さんたちがカーテン一枚隔てたところにいるような場所で不埒な行為には及ぶまいと、俺は諦めのため息を吐きながら古泉と共に試着室に入った。
「それじゃあ、服を脱いでください」
と笑顔で言う古泉の声さえ弾んで聞こえるが、それは別に俺の気のせいでも被害妄想でもないに違いない。
しかし、いくら女性店員でも他人の前で脱ぐよりはマシか。
俺は古泉に背を向けるとセーラー服を脱ぎ、スポーツブラを外した。
「まずアンダーバストから測りますね」
その言葉と共に古泉の手が背後から伸び、緩くメジャーが回される。
「少し胸を持ち上げていただけますか?」
「こうか?」
持ち上げるほどもないと思うんだが、一応言われた通りにする。
かすかな乳房の下に回されたメジャーが少しだけ引き締められ、
「60センチ弱ってところですね」
細いなぁ、とか何とか呟いた古泉がメジャーをもう一度緩め、
「今度は息を吸っていただけますか?」
「何か意味があるのか?」
「ありますよ。普通にしてる時のサイズに合わせたら息をした時に苦しくなるかもしれないでしょう?」
なるほど、と思いつつ息を吸い、止める。
「62センチ、これなら特に問題はなさそうですね」
そう言って古泉はメジャーテープの端を放したらしい。
メジャーが緩み、だらりと下がる。
「今度は体を前に倒してください」
前にって、何をするんだ?
「普通にしてたら胸が下の方へ逃げるでしょう? だから、胸が一番大きくなるようにしてやるんですよ」
そう言った古泉の胸が俺の背中に当たり、俺の体を前に倒した。
「古泉、重い」
「少しくらい気にしないでください。大体あなた、向き合った状態で胸を押し潰すくらいに体重掛けられるのは好きじゃないですか」
不穏なことを言い出すな。
TPOを弁えろ。
などと俺が文句を言っている間に、古泉の手が俺の胸を寄せ上げるようにして掴んだ。
「ちょ…っ、痛いって」
「すみません。そんなに痛みました?」
言いながらも古泉がそれを止める気配はない。
むしろ当初の目的を忘れて揉みしだいているようにしか見えない。
「こ、らっ…! 何、考えてんだよ…!」
「息、上がってますね」
ふふっと笑いながら、古泉の歯が俺の耳を食む。
「興奮してるんですか? こんな場所で」
誰のせいだと思ってるんだ、こいつは。
「私はただ、あなたの胸が少しでも大きくなるように協力してるだけですよ」
白々しい。
というか、いい加減に止めろ!
いい加減肘鉄でも食らわせてやろうかと思ったのを察したか、古泉は手を放さないまでも、大人しくさせた。
「こう、胸をちゃんと支えていてくださいね」
と言って俺の手を取ると、胸を押さえさせる。
これはこれで変な気分になるんだが。
「そうですね。…あなたの手のひら越しの感触というのも、なかなか素敵ですよ」
だから変態発言は止めろと言うのに、本当にこいつはハルヒ以上に人の話を聞かない奴だ。
それでも、一応目的を思い出したらしい。
名残惜しげに手を放した古泉が、
「ちゃんと支えた状態のままで、体を起こしてください」
と言うので、その通りにした。
確かに、普通にしているよりは胸があるように見えなくもないな。
「そうでしょう? では、測りますね」
再びメジャーが回される。
ただし今度は乳首の上を通すようにだ。
…って、古泉。
「はい?」
にやけ顔をしているだろうと思わせるような声で古泉が答えたのへ俺は渋面を作り、
「わざとらしく乳首を触るな」
「いやぁ、乳首が勃っていた方が少しは大きくなるかと思いまして」
そんな気遣いは要らん。
さっさと測って終らせろ。
「畏まりました」
俺はもはやため息も出ない。
本当になんでこんな目にまで遭って要りもしないブラを買わなければならないんだろうなぁ、おい。
「ろ…」
言いかけて、古泉が黙り込んだ。
何なんだ。
よっぽどショックな数値だったのか?
俺には大して堪えないだろうからさっさと言え。
「…えぇと……ろくじゅう……はちセンチ、です」
68ってことはどうなるんだ?
アンダーが60だか62だかで、トップが68だから、6〜8センチの差があると考えればいいのか?
俺は壁に貼ってあったサイズ表に目を走らせ、思わず沈黙した。
「えっと、その…」
背後で何やらおたおたしている古泉を他所に、
「……結局AAカップかよ」
と呟いたのは、少しだけ、本当に少しだけだが期待していたからだ。
「ま、まだまだ成長期ですから、胸もきっとまだ育ちますよ」
要らんフォローをありがとうよ。
Eカップのお前に言われてもあんまり嬉しくはないが。
ため息を吐きながら、脱いだスポーツブラに手を伸ばす。
「ものは考えようですよ。育て甲斐があっていいじゃありませんか」
俺は呆れながら古泉を振り返り、尋ねた。
「……それ、フォローのつもりか?」
「…すみません……」
思ったよりもしょげているのがおかしくて、俺はくっと小さく笑い、
「そう言うんなら、しっかり育てろよ?」
「…っ!」
さっきまでセクハラをしておいて顔色ひとつ変えていなかった古泉がいきなり真っ赤になった。
俺はにやにや笑いながら、
「とりあえずの目標はAカップな。最終目標は任せる」
「頑張りますっ!」
「…って、ここで揉むな! このばかっ!!」
今度こそ肘鉄を食らわせてやったことは言うまでもない。

ちなみに店内にはAAカップの在庫がなかったので、その日は古泉だけがブラを買った。
ガーターベルトについては検討の結果購入を却下したことは言うまでもない。
スポーティーなブラやショーツにあんなもんが似合うはずもないしな。
俺は古泉について店内を見て回りながら、色々ときわどいデザインのものを古泉に勧めて過ごした。
自分が着なくていいと思うと選ぶのも気が楽だな。
最終的に古泉は、俺が勧めた中では比較的まともな、白いレースがたっぷりついたそれを選んだ。
可愛いからというのが古泉がそれを選んだ理由だが、俺としては前開きである点を評価したいと思う。
とりあえず俺と買い物が出来たことで満足しているらしい古泉の隣りを歩きながら、俺は今夜どうやって主導権を握ってやろうかと考え込むのだった。