好きと囁いて



期末テストが終われば、夏休みが来る訳だが、今回これまでになくいい成績を取った俺に、飛び上がるほど驚いたお袋はこれまで以上に監視が緩くなった。
おかげで、多少帰りが遅くなろうと何も言われないし、宿題をしているのかと口喧しく言われることもない。
当然、塾通いの話が出ることもない。
それで俺がどんな夏休みを過ごしているかというと、古泉の部屋に入り浸って過ごしている訳だ。
「今日も来たぞ」
と声を掛けながら、部屋に上がり込む。
ポケットに大事に落とし込んだ合鍵を押さえるだけでも嬉しくてにやけるってのに、古泉が無防備に寝こけてたりするからどうにも顔に締まりがない。
「古泉」
ベッド脇に膝をついて声を掛けてみると、
「ん……、うぅ……」
可愛い声を上げた古泉は、そのままもぞもぞとタオルケットに潜ろうとする。
「まだ起きないのか?」
「…ぅ、ん……、もう、ちょっとだけ……」
「はいはい」
それなら起きるまでの間に宿題でも進めておくかね。
そう思い、立ち上がろうとしたのだが、つんと引っ張られる感覚に動きが止まる。
見れば、古泉が俺の服の裾を小さくつまんでいた。
「行っちゃ、や……」
「……」
なあ、これ、押し倒しても許されると思わないか?
むにゃむにゃと寝言らしいものを漏らす古泉の白い手を取り、そうっと口づける。
ちゅっとわざとらしいリップ音を立ててやっても、古泉は起きやしねえ。
むしろ幸せそうにしながら更に深く眠ろうとするほどである。
「……お前なぁ…」
頼むから警戒してくれ、と前にも言った気がするんだが、とため息が出た。
初めて押し倒してみた時は、びくびく怖がられたし、俺だって本気じゃなかったからすぐに解放した。
次の時はじゃれあいの延長みたいなノリで押し倒してみたら、
「あっ、あのっ、その…、は、恥ずかしいんです……。ま、まだ、心の準備が……」
と真っ赤になって言われたあげく、
「…で、も……、その、あなたがどうしてもと言うなら……」
などと言われて、そのまま襲っちまうには、俺はあまりに古泉を好き過ぎた。
「分かった。お前がいいって言うまで待つから」
と言っちまった俺は馬鹿だったんだろうか。
以来、焦らされっぱなしである。
これくらいはいいよな、とタオルケットをめくり、その顔をのぞきこむ。
すうすうと寝息を立てる穏やかな寝顔も可愛い。
その薄桃色の唇に、そっと唇を重ねると、
「んん……」
と身動ぎした古泉が、かすかに俺の名を呼んだ。
そのまま伸し掛かりそうになるのをぐっと堪える。
寝込みを襲う卑怯者にはなりたくない。
古泉がこうして無防備な姿をさらすのも、俺を信じてくれてのことなんだからと自分に言い聞かせる。
昨日暗記した古典文学なんぞを脳内で繰り返し暗誦してなんとかやり過ごすしかない。
結局、一時間ほどしてやっと目を開けた古泉は、目を開けるなり幸せそうに微笑して、
「おはようございます」
「おう、おはよう」
「起こしてくださってよかったんですよ?」
「…寝顔に見とれてたんだ」
とうそぶけば、古泉はぱっと顔を赤らめる。
ああくそ、本当に可愛いな。
にやにやしながら、
「朝飯はどうする? 俺が作ってもいいが……」
と提案すると、
「いえ、大丈夫です。自分で作りますから」
「そうかい。なら、昼は俺が作るからな」
意趣返しの意味も込めてそう言えば、古泉は困ったようにしながらも微笑んで、
「ありがとうございます」
「そうたいしたことじゃないと思うがな」
苦笑しつつ、古泉に手を貸して起き上がらせる。
真夏だってのに、その体温が嬉しいなんて、本当にいかれてる。
パンとコーヒーと目玉焼きという簡単な朝食をゆっくり食べている古泉を見つめつつ、
「なあ、お前、いつまでも俺に敬語を使うつもりでいるのか?」
と尋ねると、古泉はきょとんとして、
「何かおかしいですか?」
「……まあ俺としてはお前の喋り方がどうあれ構わないといえば構わないんだがな」
しかし、どうせなら敬語なんて使わないでもらいたい。
「恋人なんだろ?」
古泉はぽっと顔を赤らめておいて、
「でも……」
と渋る。
「寝ぼけてたら敬語じゃないってことは、意識して敬語にしてるってことだよな? だったら、なくていいと思うんだが」
「……その、あなたの言いたいことは分かります。こ…恋人、です、からね」
そう言うだけでも照れ臭くて恥かしいとばかりに顔を赤くするくせに、それでも古泉は話を続ける。
「敬語で喋り続けるというのも不自然に思われることでしょう。でも……僕は、敬語の方がいいんです…」
「俺に遠慮でもしてんのか?」
「いえ、そうではありません。ただ……」
と古泉は一層頬を赤くして、
「…あなたが好きだからこそ、敬語を使いたいと思いもするんです……」
「…襲われたくないなら、可愛いことを言うなって、俺は何度言えばいいんだ?」
「ええっ!?」
驚きに目を見開いていても可愛くて仕方ないんだから、そんなことを言うだけ酷ってことかね。
まあいい、とにかくこれだけは言っておこう。
俺は小さく笑って、
「敬語じゃないのも好きだからな」
「うぅ……」
恥ずかしいのか、耳まで真っ赤にして顔を伏せる古泉が本当に可愛い。
愛しいとはこういう感情を言うのだろうとしみじみ感じた。
朝食の後は、少しだけ勉強をした。
少しだけになったのは、せっかく古泉と二人きりで過ごせるというのに、勉強ばかりじゃつまらんからでもあるし、やはり古泉に教わるのは少しばかり悔しいような情けないような気持ちになるからでもある。
ノートや参考書を片付けて、テレビをつけ、二人並んでソファに座っているだけでも、案外幸せな気分にはなれるもんだ。
手を握ったり抱きしめたり、それからキスくらいまでなら、古泉も許してくれる。
そればかりか、そういうことは結構好きらしい。
ぼうっとテレビを見ていると、その油断した頬に横からキスしてきたりする。
その悪戯な笑みも好きだ。
「古泉」
と呼ぶだけでも嬉しそうに微笑む。
「好きだぞ」
と告げれば尚更で、
「僕も好きです」
とまで言ってくれる。
俺は古泉を抱きしめて、独り言めいた呟きを落とす。
「どっちが先になるかな」
「え? 何がですか?」
きょとんとしている古泉の唇に、自分のそれをちょんとあわせて、
「…お前の敬語がなくなるのと、お前がイロイロと許してくれるのと、どっちが先かと思ってな」
「え…、あ、その、それは……」
かあぁっと赤くなる古泉の柔らかな髪を撫でて、
「どっちが先でもいいし、どれだけ待たされてもいいけどな」
「……ごめんなさい」
「謝るなって」
「でも……」
申し訳なさそうに縮こまる古泉に、俺は少し意地悪く、
「あまり聞き分けが悪いと、嫌なことするぞ?」
「え?」
「例えば、こういうこととか、な」
言いながら、古泉の唇に自分のそれを合わせる。
だが、それだけでは止めてやらない。
ぽかんとして無防備な唇を舌先でなぞり、くすぐったそうに身をよじる古泉をきつめに抱きすくめる。
本気の抵抗がないのをいいことに、唇の隙間に舌を潜らせると、柔らかくなめらかなそれに触れた。
おずおずと伸ばされる舌を舐めて、軽く吸い上げると、びくりと古泉の体が震える。
くすぐったいのか、それとも気持ちいいからなのかはまだ少々判別がつきかねるが。
俺としては、それはとても気持ちいい行為だった。
ぬるつく舌は思うようにならず、少し力を込めるとするりと逃れてしまう。
もっと深く、と求め、それこそ互いの頬に鼻先が埋まりそうなほどに吸い付く。
くちゅりと音を立てるような深いキスに、目眩に似たものさえ感じながら、そっと離れると、古泉は赤い顔をして、
「もう……どこでこんなの覚えたんですか…」
とどこか呆れたように言うから、
「今、ここで」
「…もう」
そう笑った古泉は、
「あなたって意外と……」
「スケベだろ」
開き直って軽口を叩けば、優しく抱きしめられる。
「そんなところも好きですよ」
「そりゃ、ありがとな」
じゃあ、もう一回するか?
「…そういうことは、言わなくていいんですよ」
と笑って、今度は古泉からキスをくれた。