古泉とぎこちないままでいるだけでも胸が痛い。
しかし、だからと言ってどうすればいいのか分からず、やけにでもなったように勉強に打ち込んでいた。
その成果を出そうと、気負いながら期末試験に向けて準備をしていた俺に、
「うちにいらっしゃいませんか」
と古泉が声を掛けてきたのは、期末試験の始まる前日のことだった。
場所は、帰る途中の曲がり角、いつもなら何も言わずに背を向けて帰って行く古泉に、またなと声を掛けるだけしか出来ないで終わるその場所だった。
また無視されちまうんだろうと思うと、声を掛けるのも躊躇われるように思えたってのに、古泉からそう言われ、一瞬言葉の意味が理解出来なかったくらい驚いた。
「……え…?」
「だめですか?」
そう問われ、言葉に詰まる。
行きたいのは山々だ。
しかし、初日から苦手な数学が待ち構えている以上、帰って勉強したいという思いもある。
「…行きたいんだが……数学がなぁ……」
ぶつぶつと呟く俺に、古泉は苦笑して、
「そんなに勉強熱心でしたっけ?」
「最近心を入れ換えたんだよ」
誰のためだと思ってるんだ、とは言わずにいたってのに、
「……涼宮さんのため、ですか?」
と言われ、唖然とした。
「…は?」
なんとかそうとだけ呟いた俺に、古泉は下手な悪役みたいに酷薄そうな顔を作って、
「まさか僕が気づいてないとでも思ったんですか?」
「なんの話だ」
訳が分からず戸惑う俺を、古泉は泣きそうな顔で睨んだ。
「涼宮さんと付き合いはじめたんじゃないんですか?」
「んなわけあるか!」
なんだそのとんでもない想像、いや妄想は。
「そうなんでしょう? だから、このところ涼宮さんと一緒に過ごされることが多くて、僕のことなんて、まるきりどうでもよくなって……」
泣きそうな声が俺の喉を凍り付かせる。
なあ、お前、今自分が何を言おうとしてるのか、分かってんのか?
それじゃまるで、お前が、俺を――。
「涼宮さんと付き合うなら、それはそれで言ってくださったらいいじゃないですか。内緒にする必要なんてないのに……! それとも、そんなことも話してもらえないんですか…!?」
……期待させといてそれか。
がくりと力が抜けた。
なんだそれ。
結局俺は友人としてしか見てもらえんということなのか?
いや、同性なんだからしょうがないのかも知れん。
そう自分に言い聞かせるが、どうにも、なあ?
「……お前のがよっぽど酷いな」
思わずそう呟いていた。
「どういう意味です…?」
「さあな」
舌打ちしたくなりながら、俺はすぐ側の塀を蹴り飛ばした。
びくっとする古泉を視界の端に捉えながら、俺は小さく尋ねた。
「……ひとつ、聞く。…お前だったら、付き合ってる相手だとか好きな相手だとか、自分をよく見せたい相手に、勉強を教わったりすることが出来るのか?」
「…え……?」
戸惑いの声を上げた古泉に背を向け、ゆっくり歩き出す。
「……俺はハルヒと付き合ってなんかいない。付き合うつもりもない。たとえそれを、お前や、お前ら機関がどんなに望んで、俺に働きかけようとも、な。…それだけは、覚えとけ」
じゃあな、と振り返りもせずに告げた俺の腕を、古泉はいきなり掴んだ。
「まだなんかあるのか?」
「……本当…ですか……? 涼宮さんと付き合ってない、なんて……。それに、さっきの言葉からして、涼宮さんを好きなわけでもない、と……?」
「ああ。……お前らには悪いがな」
当てこすりのようなことを言った俺を見つめたまま、古泉はその瞳に溜めた涙の雫をこぼした。
「なっ…!?」
なんで泣くんだ、と慌てる俺に、
「すみ、ません……。で、も…、嬉し、くて……」
「……嬉しい、だと?」
「ええ、嬉しいです」
開き直ったように古泉は泣きながら笑った。
「なんでだよ。俺がハルヒに惚れたら喜ぶのが、お前らじゃなかったのか?」
まさか、と嫌な予感が込み上げてくる。
ハルヒが好きだとは言ってくれるなよ、と願うような気持ちになる。
「機関のメンバーとしてはそうあるべきなのでしょうね。でも、僕は……嫌、です。そんな、こと……」
想像しただけで悲しくなったかのように、くしゃりと顔を歪める。
その目からは涙が後から後から流れてくる。
「お、おい……」
「嫌です…。あなたに、誰か特別な人が出来る、なんて……」
その言葉に、かっと顔が熱くなる。
意味を考える必要もなかった。
耳にその音が入った瞬間、体が動いていたようにも思う。
「泣くな……」
そう言いながら、俺は古泉を抱きしめた。
「ああくそ、お前の方が背が高いから、締まんねぇな」
苦笑しながら、背中を撫でてやる。
「う…、ぁ、あの……?」
「泣き止めって。…な?」
「…無理、です……」
情けない声で言った古泉は、実際涙が止まらない様子で泣きじゃくっている。
しかし、こんな往来で泣きじゃくられると人目があって色々とまずい。
「古泉、とにかくお前の家に行くぞ」
強引に古泉の手を引いて駆け出す。
そのまま急いで部屋へと飛び込んでも、無理に部屋に上がり込み、ソファに座らせても、古泉はまだ泣いていた。
その泣き顔もやはり可愛い。
にやけそうになりながらもぐっと堪え、
「大丈夫か?」
と声を掛けると、古泉はふるふると首を振った。
その頼りなさに、思い切り撫で回したい衝動にかられる。
少しだけなら、と自分に言い訳して、そろそろと古泉の頭を撫でる。
「なあ、どうして嫌なんだ?」
「……分かる、でしょう…? それとも、それも分からないくらい鈍いんですか?」
恨みがましく睨んでも、ぼろぼろ泣いてたんじゃ可愛いだけだと誰か教えてやってくれ。
「教えてくれないのか?」
「……」
古泉はしばらく黙り込み、その間ずっと俺を睨んでいたが、ややあって、観念したようにため息を吐いた。
「あなたには、気持ち悪がられるだろうと思います。でも、あなたが聞いたんですから、せめて顔には出さないでください。お願いですから…」
そう懇願しておいて、古泉はぎゅっと目を閉じ、
「……あなたが、好き、なんです…」
とか細い声で告げた。
そのくせ、
「ご、ごめんなさい。気持ち悪いですよね……」
ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返す古泉に、俺はとうとう我慢出来なくなり、古泉を思い切り抱きしめ、固く目を閉じたままなのをいいことに、その唇を奪った。
「っ……!?」
驚きに目を見開いた古泉の顔が真っ赤に染まる。
「なっ…あ……!?」
どういうことかと聞きたいんだろう古泉に、俺は出来る限り柔らかく笑って、
「俺も好きだから、謝らなくていいんだ」
「嘘でしょう……?」
「本当だ」
そう笑って、俺はもう一度キスをする。
柔らかくて気持ちいい唇に、余計に顔が緩む。
「好きだ」
「そ、んな……」
「嫌か? それとも、気持ち悪いか?」
やゆするように問えば、古泉は小さく唇を尖らせて、
「……そんな訳、ないでしょう?」
とその唇を俺のそれへと押し付ける。
思っていたよりも慣れていないのかと思うと、なんだかくすぐったくなる。
「やっぱり可愛いな」
そう言ってキスをして、抱きしめ直す。
頬をくっつけあうほど近づいて、それから俺は声を上げて笑った。
「ったく、恰好がつかないよな」
「え…?」
「お前の方が背も高いし、かっこいいし、頭もいいだろ?」
だから、と言った俺に、
「そんなことありませんよ!」
古泉は慌てて、というより、勢い込んで、
「あなたは僕なんかよりもずっとかっこいいです。見た目がどうというのではなくて、いざという時の決断力や、何かあった時に見せてくださる包容力なんて、とても真似出来ないものです。それにこのところは勉強も熱心に頑張っておられますし……」
「そりゃ、お前に負けてられないからな」
と笑えば、古泉はもうひとつ顔を赤くして、
「…それで……だったんですか…?」
ああ、と俺は頷き、
「お前を惚れさせられるくらい、いい男になりたくてな。勉強だけじゃなくてジョギングなんかもしてたんだぞ」
と笑いながら、古泉の頭を抱きしめる。
「涙、止まったか?」
「…嬉し泣きしそうです」
と嬉しそうに言ったが、どうやらまだ話は続いていたらしい。
「それに、」
と話し出し、
「背なんて関係ないくらい、あなたは器が大きくて、素敵な人ですし、今更変わろうとしなくても、僕は十分あなたに惚れ込んでますよ」
などと可愛いことを言うから、
「まあ、身長については、横になれば関係ないっていう名言もあるしな?」
と言って、そのまま古泉を押し倒してみた。