目覚まし時計の鳴る音で目を覚ました俺は、布団の中でぐずぐずすることなく、ぱっと飛び起きた。 時間はまだ6時にもなっていない早朝だ。 表もまだ静かだし、朝からテンションの高すぎる妹もまだ眠っている。 俺はとっととジャージに着替えると、そのまま階下に下りた。 「よく続くわね」 とどこか呆れたような顔をしているお袋にはあえてコメントはせず、軽く食べて家を出た。 そうしてジョギングをするなんて、以前の寝穢い俺では決してしなかったようなことだろう。 走るのは大した距離じゃないが、少しずつ伸ばしたいと思っているし、そうして何がしたいかといえば、体力作りである。 少なくとも、ハルヒに荷物を持たされたりした時に、ぜえぜえ言って顎を出し、古泉の手を借りるような情けない真似はしたくない。 あいつのかばんを持つ、なんてのは無理でも、それくらいはしたくて普通だろ。 そういうわけでこのところ朝夕にジョギングなんぞしている俺なわけだ。 不思議なことに、そんなめんどうで苦しいことをしていても、古泉のことを考えればちらとも辛くないのだから、本当にこの病は恐ろしい。 苦笑しながらも予定のコースを走って家に帰る頃には妹も起きていて、 「キョンくんおはよー」 と挨拶を寄越すので、 「おう、おはよう」 「最近キョンくん自分で起きちゃってつまんなーい」 「あのな…」 「なんちゃって」 えへっと笑って見せた妹は、 「最近のキョンくん、ちょっとかっこいいよ」 とおだてるようなことを言ってくるから、 「じゃあお前もそろそろ俺のことをお兄ちゃんと、」 「やーだよー。キョンくんはキョンくんだもーん!」 と言って逃げた。 全く、可愛くないんだか可愛いんだか。 ため息を吐きながら、着替えを取りに部屋に戻り、ざっとシャワーを浴びてから制服を着る。 朝食もしっかり食べて、寝癖やなんかがないことを確かめてから、早めに家を出た。 遅刻なんてのも見っとも無いからな。 それに、うまく行けば古泉と朝から顔を合わせられるからな。 そうして今日も、どうやら運のいい日だったらしい。 前方に見間違えようのない頭を見つけて、俺は少し足を速めた。 「よう、古泉」 ぽんと肩を叩くと、古泉は朝っぱらから爽やかな笑みを見せ、 「おはようございます」 「お前は朝から元気だな」 と小さく笑えば、 「あなたも、最近調子がよさそうですよ」 と返される。 笑顔がきらきらして見えるのは、朝の光のせいか、それとも俺の目がおかしいということか。 「ちょっとな」 「何かありましたか?」 「大したことじゃない」 「そうなんですか? でも、このところ涼宮さんとも親密そうに見えますよ」 そう言った古泉は、少しばかり意地の悪い顔をしていた。 「そうでもないだろ。ただちょっと、勉強を教わったりしてるだけだ」 「勉強、ですか」 「…悪いか?」 「いえ……」 何か納得いかないような顔で首を振った古泉だったが、それ以上は何も言わなかった。 どういう反応だかよく分からんが、黙っているのもどうかと思い、 「それより、お前、ちゃんと飯は食ってるか?」 「食べてますよ」 そう古泉は苦笑して、 「食生活はきちんとするよう心がけてます」 「毎日学食の世話になるくせに」 「学食も悪くはありませんよ。栄養も考えてくれてますしね」 「朝晩はどうしてるんだ?」 「一応自炊してます」 「肉ばっか食ったりしてないだろうな?」 「大丈夫ですって」 言葉だけを捉えれば、俺のしつこさを鬱陶しがっているように聞こえなくもないが、古泉は楽しそうに笑っている。 この可愛い笑顔を見ると、懐かれていると思えるし、それが嬉しくもなる。 「古泉、」 俺は少しばかりの悪戯心を出して、ニヤリと笑うと、 「…可愛いな、お前」 と言ってやった。 古泉は一瞬その言葉が理解出来なかったかのようにぽかんとした。 そんな油断しきった顔も可愛くて、顔がにやける。 「え……っ、な……」 やっと理解出来たのか、古泉は顔を赤く染め、 「…じょ、冗談はやめてください!」 「はは」 声を立てて笑えば、悔しげに睨まれる。 それすら可愛い。 愛しい。 やっぱり好きなんだよなぁ、と日々実感し、思いを強める俺である。 そんな具合に、自己改革めいたものに熱心になっていた俺は、それこそ手段も選ばなかった。 ハルヒや国木田を捕まえては質問責めにするのはいつの間にか日常茶飯事になっていたくらいだ。 そんな訳で、今日も放課後の部室で参考書と自習用のノートを開き、うんうん唸って考え込んだあげく、どうしても理解出来ないので諦めて、ハルヒ大明神の教えを請おうと顔を上げた。 すると、真正面にいた古泉と目が合った。 退屈した様子も見せずに読書に勤しんでいたように思ったが、違ったんだろうか。 ……というか俺も、勉強に熱中してるような顔をしておいてちらちら古泉の様子を見ていたんだから、人のことは言えない訳だが。 目が合ったことでばつが悪そうな顔をしつつも、ハルヒの手前それを抑えた古泉は、 「どこか分からないところでも?」 と微笑しながら聞いてくる。 「ああ、まあ……」 「どこですか? 僕で力になれるようでしたら……」 とどこか嬉しそうに参考書をのぞきこもうとした古泉の目から隠すように、俺はノートを閉じた。 「いい、ハルヒに聞く。お前は読書の続きでもしててくれ」 突っぱねるように言った。 いや、実際その申し出は断りたかったのだ。 どうしてかと疑問に思うなら、少しでいいから考えてみていただきたい。 好きな奴に振り向いてもらいたくて頑張ってるってのに、その当の思い人に勉強を教えてもらって嬉しいか? 俺は嫌だね。 だから、とノートや参考書をがさがさとまとめて団長席に持って行くと、ハルヒは珍妙な顔をしていた。 「…どうかしたか?」 「別になんでもないけど……」 ハルヒにしては歯切れが悪い。 どういうことだろうか、と思いながらも今は勉強が優先だからと後回しにする。 「ここはほら、こっちの公式を使えって言わなかった?」 「ああ、そうか…」 うっかりしてた、と納得しながら席に戻ろうとした俺に、 「ねえ、」 とハルヒが声をかける。 なんだ。 「あんた、今日暇よね? 後でちょっと付き合ってくれない?」 「なんだ? 荷物持ちでも必要なのか? ……まあ、なんでもいいか」 断ろうとするだけ無駄だろう。 「分かった。最近世話になってるしな」 頷いて、今度こそ席に戻ろうとした俺は、俯いて机に描かれた作りものの木目を数えているかのような古泉に気づいて首を捻った。 「どうした? 顔色がよくないみたいだが……具合でも悪いのか?」 椅子に座りながらそう問えば、古泉は黙ったまま首を振った。 どことなくつれない反応である。 しかし、余裕がない時のそれとは少し違う気がした。 「古泉?」 「なんでもありません」 そう答えた声が硬い。 一瞬だけ俺を見た瞳が、まるで拗ねた子供のそれのようで。 ……まさか、ハルヒ相手に妬いてでもいるのか? ――なんてな。 んなわけねーか。 虫の居所でも悪いか何かだろう。 それかあれだ。 ハルヒが見た目以上に苛立つかどうかしていて、閉鎖空間のことが気になってるとかな。 しかし、どうやら古泉の様子は俺以外の目にもおかしく映ったらしい。 朝比奈さんと長門、そして古泉を先に帰したハルヒは、俺と並んで帰りの坂道をくだりながら、 「あんた、古泉くんのことがどうでもよくなりでもしたの?」 と言い出した。 「は?」 「…そうじゃないみたいね」 そう呟くように言ったハルヒは、 「じゃあなんで、あんなに古泉くんに冷たくしたの?」 「そんなに酷かったか?」 「酷かったわよ」 憤慨したようにハルヒは俺を睨み、 「古泉くんがあんなにしょげてるの、初めて見たわ。可哀相じゃない」 「随分と古泉贔屓だな」 まさかお前も古泉が気になるとは言わんだろうなと内心ひやひやしていると、ハルヒは唇を薄くして、 「当然でしょ。古泉くんは大事な副団長よ?」 「そうだったな」 と俺も小さく笑う。 ハルヒのこういうところ――普段あまり関心がないように見えるが、実際には自分の身内に入れた相手に何かあると本気で心配するし、何があろうと守ろうとするところは、嫌いじゃない。 多分、俺もどこか似たようなところがあるせいだろう。 「とにかく、古泉くんにはもっと優しくしなさいっ」 そう俺に命令したハルヒに、俺は軽く敬礼などして、 「了解」 と答えたものの、その日以来古泉は俺から距離を置くようになっちまった。 よそよそしいなんてもんじゃない。 部室では目もなかなか合わせてくれないし、登校の時間も変えたのか見かけることもろくにない。 ボードゲームに誘ってくることも全くなくなっちまった。 それと共に、唯一の一緒にいられる場所であるはずの部室が居心地の悪い場所になったように思える。 閉塞感じみたものを感じながら、俺はそっとため息を吐く。 俺はまた何か間違えでもしたのかね? |