決定打



どうやら俺は本当に古泉が好きであるらしい、と明確に自覚したのはどの段階だっただろうか。
よく覚えてはいない。
なんとなくそうだろうかと思い、そんなまさかと思っているうちに、認めざるを得なくなった。
それは、気がつくと古泉のことばかり考えているせいであったし、あいつの一挙手一投足さえ気になっていたせいでもある。
何より、あいつのことを夢に見て……その、なんだ、酷く興奮した痕跡を目にして、覚悟を決めた。
あまりにもデリカシーがないと嘲笑ってくれるな。
男なんて、しょせんそんなもんなんだ。
好きだなんだといった甘酸っぱい感情よりも、欲望が先に立つんだよ。
それから、様々な葛藤やらがあってようやくそれを認めたのかと言うと、それほどでもなかった。
そうか、と。
驚くほど、それはすとんと落ち着いた。
腑に落ちる、というのはこういう感覚なんだろうな。
俺は古泉が好きなんだということを納得しちまえば、それからはじたばた足掻くことも抵抗することもなかった。
自分から踏み出すことで相手を傷つけ、あるいは相手の将来なんかをゆがめることへの不安はあっても、相手が同性であることへの抵抗感はなく、俺ってバイセクシャルだったんだろうかと苦笑した程度でしかなかった。
残った不安は、決意でかき消す。
古泉が好きならそれでいいだろうと、ある意味では開き直ったわけだ。
好きなら当然、あいつにも俺を好きになってほしいとは思う。
だが、そうでなくてもいいんだ。
俺が勝手に惚れただけだからな。
一方的に思うだけでも恋は恋だろ。
もし、あいつが俺のことを好きになってくれたなら、勿論嬉しくて堪らないだろうが。
そんな風に、思ってきた。
だから、俺としては本当に、長期戦の構えだったのだ。
古泉の複雑な立場だって知っているわけだし、それにあいつが、ああ見えて結構人の心の機微ってやつに鈍かったりするってことも分かってたからな。
あいつがぼんやりだか忙しくだかしている間に、男でも磨いていようかと思っていた。
そうでなければ――こう言うと少しばかり響きが悪くなるんだが――、少しずつでもあいつの隙に入り込んで、逃げられないようにしてしまいたいとも。
しかし、どうも難しいらしい、と先日の一件で気付かされた。
俺にそんな権利などないと解っているはずだってのに、あいつが俺でない誰かにちやほやされたり、そうして笑顔を振りまいたりしているだけでも妬けてくる。
あいつを見ているだけで、独占したくて堪らなくなる。
俺以外の誰かがあいつに触れるのも、声を掛けるのも、あいつがそれに嬉しそうな反応を見せるのも、何を見ても苦しい。
そんな余裕のないことじゃ、逃げられるかも知れないってのに。
そんな風に、どうしようもなくぐるぐると、それこそ自家中毒でも起こしそうなほど考え込んでいた俺に気付いていなかったんだろう。
古泉は嬉しそうに俺の隣りを歩いて帰りながら、いつものように顔を近づけてくる。
綺麗で、可愛らしい顔を見つめ返すと、
「昨日、森さんと会ったんです」
となんだか分からんがそんな話が始った。
「…それで?」
抑えきれず、声が素っ気無さを帯びるが、古泉はよっぽどいいことでもあったのか、にこにこと楽しそうである。
「最近は肩の力がいい具合に抜けてきたみたいだって褒めていただきました。うまくストレスと向き合えるようになったんじゃないかって」
「…そうかい」
聞きたくない、なんて思いそうになる自分に反吐が出る。
自分の思考の鬱陶しさにはぞっとした。
この程度のことで妬けるなんて間違っている。
そう、理性的な部分は警告する。
だが、それでも収まらない部分が確かにあった。
そうして、恋なんて面倒な疾患に罹患しているからか、それとも俺がもともとそういう性格だということなのか、そっちの方が強く出ちまったらしい。
「それでですね、」
とまだなにやらウキウキと話そうとする古泉の言葉を、
「だったら、」
と遮った上、古泉がびくりと竦みあがるほどきつく睨みつけ、
「愚痴ったりするのも、森さんに頼めばいいんじゃないか?」
などと言っちまった。
「え……」
呆然と立ち尽くす古泉に背を向け、逃げるように俺はその場から離れる。
実際、俺は逃げたのだ。
これ以上、古泉が俺以外の人のことを考えて嬉しそうにするのを見たくなかったし、他の人間の話を楽しそうにする古泉の声も聞きたくなかった。
あるいは、見ていられる気がしなかったし、聞ける気がしなかったということかも知れん。
息が切れるほど急いで家に帰り、自室に飛び込む。
そうして、頭を抱えた。
間違ってる。
どう考えても、違う。
あんな反応なんて、するべきじゃなかった。
俺は確かに古泉のことが欲しい。
だが、古泉を傷つけてまで欲しいんじゃない。
古泉が幸せなら、他の誰かとくっついたっていいとさえ、思っていたはずなんだ。
なのにどうしてこうなったんだ?
「…くそ……」
毒づきながら、ぐっと拳を固める。
今みたいな、古泉が寂しいままでいて、俺だけに頼ることを望むような、そんなサイテーヤローではいたくない。
そもそも俺はただ、古泉にもっと楽しい顔をして欲しいはずだろ?
俺の隣りで、というのがつけばそりゃあ勿論もっと嬉しいが、そうでなくてもいいはずだ。
それくらい本気で、俺は古泉が好きなんだ。
だから、古泉に頼れる先が増えたりするのはいいことだ。
さっきだって、森さんに褒められたのが古泉は本当に嬉しいようだった。
それなら、一緒に喜んでやればよかった。
いや、そうするべきだったのだ。
大体、他に選択肢がないような状況で選ばれたからと言って、喜ぶほど小さな男でいていいのか?
それじゃいかんだろう。
選択肢が広がって、相対的に俺に対する評価が下がったとしても、それでも古泉が俺を選んでくれるような、周りに左右されないような、価値のある男になりたい。
そう思うなら、さっきのあれは本当に最低最悪だ。
俺はまだ握り締めたままになっていたかばんを放り出し、洗面所でざばざばと顔を洗った。
煮えた頭には冷水が酷く心地好い。
そうして気合を入れて、俺は着替えもせずに家を出た。
向かう先は決まってる。
古泉の所に言って謝ろう。
少しでも挽回出来ればありがたいが、そうでないにしても、俺こそ今から変わらなければならない。
もっといい男になろう。
間違っても、今のままでなんかいたくない。
そう、心に誓った。
全力で走ったせいで、洗ったはずの顔は汗だくで見苦しいことこの上ない。
しかし、汗をぬぐう余裕もなく、俺は古泉の部屋のインターフォンを鳴らす。
「どうしたんですか?」
驚き、慌てたような顔で現れた古泉は、やっぱりいくらか元気がないようだった。
それに向かって、俺はすぐさま頭を下げた。
「すまん」
「え、あ、あの…?」
ここが玄関先じゃなければ土下座したいくらいだ。
「…さっきは悪かった」
限界まで頭を下げたままそう言った俺に、古泉は困ったようにだが笑ってくれたらしい。
「気にしてませんよ。どうぞ、顔を上げてください」
そう優しく言葉を掛けられ、そろりと顔を上げると、古泉は俺が思ったよりも柔らかな笑みを浮かべていた。
「僕の方こそ、すみません。でも、」
と悪戯っぽく笑ったかと思うと、
「話はちゃんと最後まで聞いて欲しいです」
「すまん……」
猛省する俺に、古泉はにこにこと、
「森さんに褒めてもらえたのも、あなたのおかげなんですって、そう、言いたかっただけなんですから」
………。
「…は?」
「あなたが、僕にあなたを頼ってもいいと許可してくださったでしょう?」
「…そう……だが…」
しかし、そんなのは一度あったきりで、あれから何かあったということもない。
だからてっきり、あんなものは大して役に立たず、社交辞令か何かだとでも思われたんだろうと思っていたのだが、違ったんだろうか。
「何があっても、あなたがいてくださると、そう思ったら、それだけでもとても心強いんです。ですから…本当に、助かってるんですよ」
古泉はそう、本当に嬉しそうに言ってくれた。
それこそ、さっき森さんの話をしていた時の比でなく。
思わずそれに見惚れた俺だったのだが、だからと言って、今日の悔恨の念及び決意まで水に流してしまうつもりはない。
古泉がこんなに可愛くて、人が好くて、優しいなら、俺もそれに見合うくらいのいい男になりたい。
いや、なってやると改めて誓う。
元々、長期戦のつもりだったんだ。
それくらい、遠回りでもなんでもないだろ?